2022年11月30日水曜日

「ツリー上のイエスさまに参れる少年」ドストエフスキー

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「ツリー上のイエスさまに参れる少年」

Мальчик у Христа на Ёлке

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 クリスマスが近いので、F・M・ドストエフスキーの小品を紹介します。

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ツリー上のイエスさまに参れる少年

クリスマスの物語

一 施しを乞う少年

 子どもっていうのは不思議なもので、夢に出たり心に浮かんだりするものなんですよ。クリスマス前や、降誕祭前のクリスマスもたけなわのときになると、私はいつも家の外の、ある道の角っこで、どうにも七歳より上には見えない少年を見かけたものです。ひどい大寒気なのにその子はほとんど夏の格好をしていて、ただし首もとはなにか古きれのようなものが巻いてあり、つまり誰かに服を着せられてお遣いに出されたんでしょうね。その子は「手を出して」歩いていまして、要するにこれはそういう特別な言い方で、つまり施し物を乞うていました。この言い方は少年たちが自分で作ったものです。この子のようなのはわんさかいて、あなたも道を歩いていれば、そういう子たちがうろついていて何か板についたようなことを寂しくうなっているのを耳にしますよ。けれども私の話すこの少年はうなっていなくて、どこか無垢な話し方をしていて、ぎこちなくも人を信じ切ったように私の目を見つめるんです。きっと、この職業を始めたばかりなんでしょう。私が細かく尋ねてみると、少年には姉がいて、仕事はしないで、病気なんだと言います。もしかしたら本当かもしれませんが、あとになって知ったところでは、このような少年はごまんといるとのことです。子どもたちはわざわざ一番寒いときに「手を出しに」駆り出されて、それで何ももらえないで戻れば、ぶたれてしまうんです。少年が何コペイカかを集め、赤いかじかんだ両手をしてどこかの地下室に戻ると、そこでは怠け者の一味みたいなのが酔っぱらっていて、そいつらはちょうどあの<日曜日も目前になると(こう)()をストライキし、水曜日の晩にもならないうちにまた仕事に戻ってくる>連中です。地下室では、こっちじゃ腹を空かせ旦那に叩かれる奥さん方が一緒になって酔っぱらっていて、そっちじゃ腹を空かせた乳飲み子たちが泣き叫んでいる。ウォッカに、汚物に、淫乱、でも第一にまずウォッカ。コペイカを集めた少年はすぐにでも酒場に行かされて、そしてまた酒を持ってくる。遊びでときどき少年の口にもビン半分そそぎこまれて、アハアハ笑う声がしたと思うと、子は息がハッと止まってほとんど気を失いそうになりながら床に倒れ込んで・・・

(と、ここで私の口にもいまいましいウォッカが否応なく入れられてしまいました。)

 この少年が大きくなれば、早いうちにどこかの工場に売られるのですが、稼ぐお金は全部また怠けものたちのところに持ってこなければならず、そしてそいつらが飲みに使い果たしてしまうのです。ところが工場に行く前にも、もうこの子らというのは真っ赤な罪びとになります。子どもらは街をぶらついていて、あちこちの地下室には忍び込んで気づかれずに夜を明かせる場所があることを知っています。ある一人の少年は、ある掃除夫のいるところの何かカゴのようなところの中に何夜も立て続けに泊まり込みましたが、掃除夫は結局気づかなかったなんてことがあります。ひとりでにコソ泥へとなっていくのです。窃盗は八歳の子どもの心でも熱中してくるもので、時にはその行為の罪深さにはなんら気づかないときもあります。しまいには、自由ひとつのためには何もかも、飢えにも寒さにもぶたれるのにも、耐えきると、怠けものの大人たちからは逃げて独立して放浪するようになります。この野蛮な生き物は、場合によっては何もわかっていません。自分がどこに住んでいて、なんの出自で、神さまはいるのかも、君主さまはいるのかも。時にはこの子らにまつわる、耳を疑うようなことも伝えられていますが、やはりすべて本当のことのようです。

 

二 ツリー上のイエスさまに参れる少年

 けれども私は小説家(ロマニスト)です。そして、どうやら一つの「物語」をこの手で創ったみたいです。どうして書いているか、それは<どうやら>創ったわけです。なにしろ私は自分でも何を創ったか分かっているのですが、それでも私にはやはり夢に出てくるのです。ある日ある時、これが起こったという夢が。すなわちそれが起こったのは降誕祭の前夜、「どこかの」大きな町でひどい寒気の時のようです。

 私には心に浮かんでいます、地下室に一人の少年がいるのが。しかしまだとても小さい、六歳かもっと幼いくらいです。この少年は朝、湿った寒々しい地下室の中で目が覚めました。何かガウンのようなものを着て、震えていました。呼吸は白い息になって飛び出していて、少年は長持ちの中の片隅に座って、退屈まぎれにこの息を口から吹いては、飛んでいくのを見て楽しんでいました。しかしその子はひどくご飯が欲しかったのです。少年は朝から何度か高床に近寄ったりしました。そこではクレープのように薄い御座の上に、何かの結び目のようなものを枕がわりに頭を載せて、病気の母親が横になっていました。母親はどうやってここにやってきたのでしょう?おそらく、我が息子を連れて別の街からやってきて、突然病気になったのです。貸し部屋の主人はたった二日前に警察に捕まりました。住人たちはあちこちに出かけました、世間はめでたい雰囲気ですからね、で、たった一人残った怠け者が、クリスマスが待ちきれなかったので、もう何日間も死んだように酔いつぶれていました。部屋のもう片隅ではリウマチでどこかの八十の婆さんがうめいていました。婆さんはいつかどこかで子守りをしていたけれども、いまは孤独に死のうとしていて、おおと声を出し、少年にぶつぶつぐつぐつ文句を言っていたので、もう少年はその隅には近づきたがらなくなりました。たっぷり飲むものはといえば玄関のどこかで見つけましたが、パンのかけらはどこにも見つからないので、もう母さんを起こしに歩み寄って十度目になります。とうとう、暗闇の中が嫌になりました。もう夜になってだいぶ経つのに、明かりは点く様子もありません。母さんの顔を手さぐりで触ると、少年は母さんがすっかり動かなくなって、壁のように冷たくなっているのに驚きました。「ここは寒いもんなあ」と少年は思うと、亡き人の肩に手をかけていたのもうっかり忘れて、ちょっと立っていましたが、そえから手にハアと息をかけて温めると、唐突に高床の上でつばの付いた帽子を探し当てて、そっと手探りで地下室から出ました。少年はもっと早く出かけてもよかったのですが、上の方、階段上の、一日中となりの家の扉で吠えていた大きい犬が怖かったのです。けれども犬はいなかったので、少年は唐突に表に出ました。

 なんとまあ、すごい街ですよ。少年はまだ一度もこんなものは見たことありませんでした。出身のあそこでは、夜な夜なそれは真っ暗闇で、通り一つに街灯が一本あるっきり。木造の小さい家々は雨戸を締め切っています。外は、すこしたそがれになれば、誰もいなくて、みんな家に閉じこもり、犬どもの群れが吠えるばかりで、犬も数百数千いて一晩中鳴いたり吠えたりしています。ところが代わりにそこはそれはもう暖かかくて、ご飯ももらえたのに、この街ときたら、誰がくれるものでしょう。それからここはすごい雑音や轟音で、すごい明かりと人々、馬や馬車、それに大寒気、大寒気。追い立てられた馬々の、息の熱い鼻っ面から凍える蒸気がもくもくあがっています。ほろほろ雪をかきわけて石畳をひづめが打ち鳴らし、誰もかれもが押し合いへし合い、それになんとまあ、ひとくち食べたい、何かひとくち食べたい、それに指がもう痛くなってきました。そばを警官のやつが通っていきましたが少年を見て見ぬふりをして顔をそらしました。

 また道が通っています。ああ、なんて広いんだろう。こんなところでは轢かれてしまう。人々の叫んでいること、走ったり駆けたりしていること、それに明かりったら、明かりったらもう。ところでこれは何だろう。わあ、大きな大きなガラス、ガラスの向こうには部屋、部屋の中には天井まで届きそうな木が立っています。それはクリスマスツリーで、ツリーにはいくつもの明かりや、黄金の紙の飾りや球がついていて、周りには人形や小さな馬のおもちゃが吊るしてあります。部屋中を駆け回っている子どもたちはおしゃれで、こぎれいで、笑って遊んで、食べて、何か飲み物を飲んでいます。ごらん、そこでは女の子が男の子とダンスを始めましたよ、なんてかわいい女の子だろう。それに音楽ときた、ガラスごしに聞こえる。少年はじっと見て、驚いていて、もう笑顔になっているけれど、手も足も指が痛くてすっかり赤くなり、もう曲がらなくてぴくりとするのも痛いのです。そして突然少年は自分の指がとても痛いのを思い出し、泣き出して先へと走っていきましたが、また別のガラスごしに部屋が見えて、そこにはやっぱりツリーが並んでいて、でもテーブルの上にはケーキ、それもアーモンドだの赤いのだの黄色いのだのいろいろあって、そこには貴婦人が四人座っていて、誰かが来ればケーキを渡しているのですが、ドアはひっきりなしに開いて、外からたくさんの旦那さまが入ってくるのです。少年は忍び寄って、とつぜんドアを開けると中に入りました。その時の、叫ばれて手をふられたことときたら。一人の貴婦人が早めに駆け寄って、手に1コペイカを掴ませると、外に出るのを促されるようにドアを開けられました。少年はひどく驚きました。コペイカはすぐさま滑り落ちて段々の上をカラカラ落ちていきました。少年は赤くなった指を曲げてそれを止めることができませんでした。少年は早く早くと走り出しましたが、どこへ行っているか自分でも分かりませんでした。また泣き出したくなりましたが、怖いので、走って走って、両手に息をかけました。そして少年は憂うつな気分にとらわれました、それも一人ぼっちで暗かったからですが、突然、なんとどういうことでしょう、これはまた何でしょうか?人々が集まって立って驚いているのです。向こうの窓辺に三人の小さい人形が、赤と緑に着飾ってそれはもうまるで生きているかのようでした。何かお爺さんのようなのが立って、まるでバイオリンを弾いているようで、他の二人は同時にもっと小さいバイオリンを弾いているようで、音に載せて頭をゆらして、お互いを見つめて唇を震わせて、しゃべっています。本当にしゃべっているのです。ただガラスごしで聞こえません。それで少年はまず始めにこれは生きているのかと思いましたが、人形であるのにすっかり気づくと、突然笑い出しました。こんな人形は見たことがありませんし、こんなものがあるとは知らなかったのです。とつぜん後ろから誰かにガウンをつままれたのに気づきました。体の大きい意地悪な男の子がそばに立っていて、とつぜん頭を殴ると、つば付き帽子をはぎとり、少年を蹴飛ばしたのです。少年は地面にむかって転げ落ち、そこで叫び声がし、少年は目の前が真っ暗になって、飛び上がると走りに走って、とつぜん自分でもどこだか分からず、扉の下の隙間を通って、よその家の中庭に駆けこんでいきました。そして薪木の山の陰に腰かけるました。「ここなら見つからないし、暖かいよ。」

 少年は腰かけると縮み込みましたが、恐怖のあまり一息つくこともできず、とつぜん、本当にとつぜん、気持ちがよくなってきました。手も足もとつぜん痛くなくなり、暖炉に当たっているかのように、とてもとても暖かくなりました。全身はぞくっとしました。それもそう、少年は眠ってしまったのです。ここはなんと気持ちよく寝付けることか。「ここに少しいたらまた人形を見に行くぞ、あの本当に生きているみたいな人形を!」そして急に少年は、母さんが歌をうたってくれているのが聞こえました。「お母さん、眠いや、ここで寝るととっても気持ちがいいよ!」

「うちにクリスマスツリーを見に行きましょう、坊や」そこへ急に小さい声がささやきかけました。

 少年は、これはみんな母さんなのだと思いかけましたが、違います、母さんではありません。誰が一体少年を呼んだのか、目には見えませんが、暗闇の中誰かが身をかがめこんで抱きしめてくるので、少年はその人に手を差し出すと、急に・・・ああ、なん明るい光だろう、それにクリスマスツリーです。それもクリスマスツリーであるどころか、どこにも見たことのない木なのです。少年は今どこにいることやら、何もかも輝いて、光っていて、周りにはやっぱり人形があります・・・いいえ、これはみんな男の子や女の子たちで、ただとても明るくてみんな少年の周りをぐるぐる回っています。みんながキスしてくれて、手をとってくれて、担いでくれて、それに少年は空を飛んでいて、見えるものといえば、母さんが見つめて嬉しそうに笑ってくれている顔です。

「お母さん、お母さん!ああ、なんてここはすばらしいんだろう、お母さん!」少年は母親に叫ぶと、また子どもたちとキスし、そしてあのガラスの向こう側に見えた人形のことを早く話して聞かせたくなりました。「男の子たちも、女の子たちも、君たちは誰なんだい?」少年は笑って愛おしい気持ちでみんなに尋ねるのでした。

「これは『イエス様のツリー』だよ。」みんなは少年に答えました。「イエス様はいつもこの日、ツリーがない小さな子どもたちのために、ツリーを用意してくださるんだ。」そこで少年は、この男の子たちや女の子たちがみな自分と同じような子どもであることを知りました。ただ、ある者は、ペテルブルグの役人たちがドア元の階段に捨て置いたカゴの中で凍え死にした者で、またある者は養育院からひきとられたのに、養母のもとで息絶え、またある者は、(サマーラ大飢饉のときに)母親の枯れ上がった乳のもとで死に、またまたある者は三等車の車両の中で悪臭のせいで死にましたが、みんな今はここにいて、みんなここでは天使のようで、みんなイエス様のおんもとにいて、そして少年もその中におり、みんなに手を差し出し、みんなとみんなの罪深き母親たちを祝福しています・・・そしてその母親たちもその場で横に立っていて、泣いています。一人一人が我が息子や娘を見て取り、駆け寄ってキスをし、両手で涙を拭いてやって、泣くのはおやめ、ここはこんなに素晴らしいのだからと言って頼むのでした・・・

 ところが下の方では朝になると、掃除夫たちが薪木の山の陰に駆けこみ凍え死んだ少年の小さい亡骸を見つけたのでした。その母親も見つかりました・・・母親は子より先に死んだようでした。二人とも天の神さまのおんもとで再会を果たしました。

 それでなんで私がこんな、平凡なきちんとした日記、それも作家の日記には入らないような物語を創作したのでしょう?それに実際にあった出来事についての話を特別に請け合ったというのに。でもそこが大事で、私は、このことがみんな実際に起こりうるように思えて見えるのです。つまり、地下室や薪木の山の陰で起こったこと、イエス様のツリーのもとで起こったことが。それが起こりうるか起こりえないか、どうみなさんに申し上げようか私も分かりません。そこが物語をつくる私の小説家(ロマニスト)たるゆえんです。

(訳・市川透夫)