2026年1月21日水曜日

トランプあそび「ドゥラーク」

  なんでもロシアには、十八世紀の昔から伝わるトランプゲーム、その名も「ドゥラーク」があるとか。ドゥラークはロシア語で「ばか」のことで、このゲームの中では負けた人を「ばか」と呼ぶそうです。今でもドゥラークで遊ぶ人がいるとかで、動画サイトでは遊び方を説明した動画がいくつも出てくる。

 しかし、このブログとして何よりもまず先にコメントしなくてはいけないのは、ゴーゴリの小説『消えた手紙』Пропавшая грамотаでは、ウクライナのコサックと地獄の魔女がこのドゥラークで勝負するシーンがあるところ。ロシア語原文でも平井肇の和訳を読んでも何が起こっているのかさっぱり分からない。そこで、作品の理解を深めるために、ドゥラークのルールを覚えてみたいと思います。

 あらかじめ要領だけ申し上げると、ドゥラークとはカードを出し合って強い方が勝つゲームです。

 ドゥラークにもいくつか種類があるようですが、ここではクラシカルと呼ばれているものを扱います。

1.用意

 ドゥラークは2人以上で行う対戦ゲームです。

 このゲームに必要なのは、全てのスート(ハート、ダイヤ、スペード、クラブ)で6、7、8、9、10、J、Q、K、Aの九種類を集めた合計36枚のカード。べつに54枚でもできるけど、終わるのに時間がかかるのでふつうは36枚で遊ぶそうです。

2.ゲームの開始

 誰でもいいので、36枚のセットをよく切って、集まったプレイヤーに一人5枚ずつカードを配ります。配り切ったら、残った山札の一番上にあるカードをめくって、誰でも見えるように置きます。これが、その対戦での切り札のマークを決めます。仮に切り札がスペードの10だとしましょう。すると、スペードのマークがこの対戦での切り札となります。

 さらに残ったカードの山は、切り札の上に伏せて置くのですが、切り札の数字とマークが分かるように半分だけ見えるようにしておきます。

3.進め方

 カードを配った人の左に座ってる人から、時計回りに順番がきます。最初に順番の来たプレーヤーは、手持ちの札の中から、なんでもいいので一枚カードを出すか、同じ数字で別々のマークのカード2枚を出します(例えば数字は同じ7でマークはハートとクラブ)。

 次に回ってきた人は、この目の前にあるハートとクラブを倒すために、ハートの9、ダイヤの9という風に同じマークでかつ数字の大きいものを選びます。なお、Aは一番大きい数とみなされるので、ハートのA、クラブのAでも勝てます。

 切り札と同じマークは数字に関係なくそれ以外のマークのカードを全て倒せます。たとえば、切り札がスペードの10だった場合、スペードのカードを出せばハートのAもダイヤのJもクラブのQも倒せます。ただし、同じスペードのカードは倒すことはできません。

 切り札と同じマークに対しては、同じマークのもっと大きな数字でなければ勝てません。スペードの9を出されたら、スペードのJなりスペードのAなりで撃ち返さなければなりません。

 一枚でも倒せないカードがあった側のプレーヤーは、出したカードを全て自分の持ち札にしなければならず、また自分のターンをパスしなければなりません。一方、すべてのカードを出し切ったら、それらは墓地に送られ、このゲームでは使わないことになります。

4.カードの補充

 ゲームが終るまで、カードの撃ち合いのたびに、プレーヤーは切り札の上に載せた山札から手札が5枚になるように補充し続けます。表にしていた切り札は、一番最後にとることになっています。山札が足らず、全員が5枚になるようにいきわたらない場合は、山札を等分します。

5.ゲームの終了

 最後にカードが手元に残った者が負けです。もし山札がなくなっても全プレーヤーの手元にカードが残っていた場合は引き分けです。また、もし最後の撃ち合いであるプレーヤーが自分のカードを出せて、相手のプレーヤーもそのカードを打ち返せたら、引き分けになります。

6.二回目以降

 負けたものは「ドゥラーク(ばか)」になり、次のゲームでカードを配る役をします。

 以上はロシア語による説明やYouTubeの動画を参考にまとめたものです。

Карточная игра Дурак: правила, как играть в подкидную, переводную, классическую версию игры Дурак

Как играть в Дурака. Правила игры. - YouTube

Как научиться хорошо играть в дурака. Алекс Деукс

🌿Как играть в Дурака||колода 36 карт//Нежданчик🤭

 ではこれをもとにゴーゴリの『消えた手紙』でドゥラークで勝負する部分を読んでみたいと思います。

 あるコサック(語り手にとっては「爺さん」)は、大事な手紙を隠しておいた帽子を魔女に盗まれてしまいます。魔女は、返してほしければ三度「ドゥーレニ」(ドゥラークと同じ)で勝つことという条件を出します。

 ―Шапку отдадим тебе, только не прежде, пока сыграешь с нами три раза в дурня!

「帽子は返してやろう、ただしわしらと三度ドゥーレニをやってからな!」

   Вот и карты розданы. Взял дед свои в руки ― смотреть не хочется, такая дрянь: хоть бы на смех один козырь. Из масти десятка самая старшая, пар даже нет; а ведьма все подваливает пятериками. Пришлось остаться дурнем!

さてカードが配られた。爺さんは取り分を手にとったが、見るのも嫌なほどのくず札である。一枚でも切り札があればお笑いだったが。せいぜい十が最高だが、ペアに至ってはない。かたや魔女は五枚組を出し続ける。ドゥーレニになってしまった。

・・・はて、пятерик(五枚組)とは。今まで見てきたルールだと、同じ数字の別々のマークの札5枚ということになる。クラシカル以外の別のドゥラークのルールを見ても、同じ数字の別々のマークの札4枚を出すことがあるというのはある。しかし、トランプはマークが4つしかないので、別々のマーク5つというのはおかしいから、なにか違う五枚組のことを言っていると思われる。なお、平井肇の翻訳を見ると「ニニ一」という字に「ピヤチエリク」という振り仮名を振ってあるので、「二枚・二枚・一枚」で表せる何らかのセットを言っているらしい。どうもここではもっと複雑なルールがあるらしいが、いずれにしても魔女が続けざまに強いカードを出してくるのは何かおかしいので、爺さんは「カードを切るときにずるをしたんだ」と考えます。

«Ну, думает, ведьма подтасовала; теперь я сам буду сдавать». Сдал. Засветил козыря. Поглядел на карты: масть хоть куда, козыри есть. И сначала дело шло как нельзя лучше; только ведьма ― пятерик с королями! У деда на руках одни козыри; не думая, не гадая долго, хвать королей по усам всех козырями.

― Ге-ге! да это не по-козацки! А чем ты кроешь, земляк?

― Как чем? козырями!

― Может быть, по-вашему, это и козырь, только по-нашему, нет!

   Глядь ― в самом деле простая масть. Что за дьявольщина! Пришлось в другой раз быть дурнем<...>

 「ふん、魔女がちょんぼしたんだ」と爺さんは考えた。「今度は俺が配るぞ」。配った。切り札を宣言した。手札を見ると、組札は申し分なし、切り札がある。で、初めは事はこの上なくうまく運んだ。ところがそこへ魔女がキングの五枚組(※平井肇訳「王牌キング入りのニニ一ピヤチエリク」)を出すではないか!爺さんの手には切り札ばかり。深い考えはなしに、キングの髭を切り札で叩いた。

「へっへ。コサックらしくないな。旦那、なにでもって叩こうとしてる」

「なにが、なにでもってだ。切り札だぞ」

「お前にとっちゃ切り札かもしれないが、うちでは違うぞ」

 見直すと、本当にただの組札になっている。なんたる奇々怪々、二度目もドゥーレニになってしまった。

 どうも、「五枚組」というのはここではキングを含む何らかの五枚組のカードか、もしくは魔女の魔法でありもしないキング5枚が出てきたと考えるのがいいらしい。では、三回戦はどうなったのか。

<...>сдал в последний раз. Опять идет ладно. Ведьма опять пятерик; дед покрыл и набрал из колоды полную руку козырей.

― Козырь! ― вскричал он, ударив по столу картою так, что ее свернуло коробом; та, не говоря ни слова, покрыла восьмеркою масти.

― А чем ты, старый дьявол, бьешь!

   Ведьма подняла карту: под нею была простая шестерка.

― Вишь, бесовское обморачиванье! ― сказал дед и с досады хватил кулаком что силы по столу.

   К счастью еще, что у ведьмы была плохая масть; у деда, как нарочно, на ту пору пары. Стал набирать карты из колоды, только мочи нет: дрянь такая лезет, что дед и руки опустил. В колоде ни одной карты. Пошел уже так, не глядя, простою шестеркою; ведьма приняла. «Вот тебе на! это что? Э-э, верно, что-нибудь да не так!» Вот дед карты потихоньку под стол ― и перекрестил: глядь ― у него на руках туз, король, валет козырей; а он вместо шестерки спкстил кралю.

― Ну, дурень же я был! Король козырей! Что! приняла? а? Кошачье отродье!.. А туза не хочешь? Туз! валет!..

(...)最終回のカードを出した。また順調に進む。魔女はまた五枚組を出す。爺さんが倒して山札から取ったら、持ち手いっぱい切り札が出る。

「切り札だ!」爺さんが卓にカードを叩きつけると、勢い余ってひっくり返った。相手はなにも言わず、八の組札で倒した。

「ばばあ、いまなにを出した」

 魔女はカードを持ち上げた。下にあったのはただの六だ。

「出たぞ、悪魔のまやかしだ」と爺さんは言うと、いらだって力の限り卓を殴った。

 幸いなことに魔女が持ってるは弱い組札だ。申し合わせたように、爺さんが持ってるのはペアだ。山札からカードを取りにかかるが、やる気が失せる。あまりにくずばかり引くので両手がたれさがるほどだ。山札には一枚もなくなった。もう目をやらず、ただの六で始めた。魔女が受けた。「いやはや!何だ、これは?へへへ、きっと何か間違っているんだ」そこで爺さんはカードをそっと卓の下に持っていくと…十字を切った。見ると、両手には切り札のエース、キング、ジャック。爺さんは六の代わりにクイーンを出した。

「ほら、ドゥーレニ(ばか)だったのは俺だぞ。切り札のキング。どうだ。受けたか?え?猫の一族め!エースはいらんか?エース!ジャック!」

 結局、魔女のまじないという不浄の力に対して、十字架という神聖な力で対抗して勝つという結果でしたが、ドゥーレニ(ドゥラーク)とは強いカードを出し合って戦うトランプゲームであり、絵札とエースが強いということが分かっていればもっとリアルに読めるのではないかと思います。

 『消えた手紙』はソ連時代制作のアニメーションがYouTubeで視聴可能です。

Пропавшая грамота - YouTube

(市川透夫)

2023年6月25日日曜日

ゼレンスキー大統領のインスタグラムから

今日という日は沈黙があってはならない日です。そしてリーダーシップがまさに必要とされる時です。
今日世界は、ロシアの支配者たちが何も統制できていないのを目の当たりにしました。いっさい何も。ただただ全てが混乱状態です。先を見抜く目がまったく無かったのです。それも武器の油を注がれたロシア領のことで。
世界は怯えていてはなりません。何が我々を守ってくれるかを、我々は知っています。それは我々の一体性ただひとつです。ウクライナは必ずヨーロッパをどのようなロシアの軍隊からも守ることができます。そして、誰がその軍隊を指揮しているかは重要ではありません。我々は守ります。ヨーロッパ東翼の安全は我々の防衛によってのみ持ち堪えます。そしてなぜならそれは、我々の防衛の一回一回の支持の発揮がみなさんの防衛、自由な世界でのあらゆる人々への支持だからです。

ロシア語で言います。クレムリンから出てきた人は明らかに怯えており、おそらくどこかに隠れていて顔を出しません。もうモスクワにはいないと確信してきます。誰かに電話してなにか問いかけているのでしょう...何に怯えているのか彼自身わかっています。なぜならこの脅威を生み出した本人だからです。悪、すべての損失、あらゆる憎悪を彼自身が広げています。地下の避難所を長い時間かけまわっていられる限り、みなさんは何もかも、ロシアと結びつきのある何もかもを失うことになります。
我々ウクライナ人は何をすべきか?我々は国を守る。自らの自由を守る。我々は沈黙しない、行動を起こす。我々には勝つ力がある。そして勝てる。この戦争にあって我々の勝利とはただ一つの意味しかない。

ではみなさんはなにをするのか?みなさんの軍隊がウクライナの領域に長くあればあるほど、より大きな雪崩をやがてロシアにもたらすことになる。この人がクレムリンに長くいればいるほど、大惨劇は大きくなる。
(ゼレンスキー・ウクライナ大統領のインスタグラムhttps://www.instagram.com/reel/Ct4WX6WOp9t/?igshid=MzRlODBiNWFlZA==)

2023年1月20日金曜日

ヴィイ

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『ヴィイ』 N.V.ゴーゴリ

Вий

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ロシア語版『ヴィイ』の表紙。
ウクライナの村娘。しかしこの青白い顔は・・・?

 現ウクライナ出身の小説家ゴーゴリというと、『鼻』『外套』といったペテルブルグを舞台にした作品が有名ですが、これとは対照的に、故郷ウクライナを舞台にした、いわゆる「ウクライナもの」の作品も著しています。

『ディカニカ近郊夜話』(上巻「ソロチンツィの定期市」「イワン・クパーラの前夜」「五月の夜または水死女」「消えた手紙」/下巻「降誕祭の前夜」「恐ろしき復讐」「イワン・フョードロヴィッチ・シポニカとその叔母」「魔法にかかった土地」)

 この二巻にまとめられた諸作品は、ゴーゴリが初期に発表したもので、当時ロシアでウクライナのエキゾチズムに対する流行があったことから、好評で迎えられました。

 もう一冊、このようなものがあります。

『ミルゴロド』(「むかしの人」「ヴィイ」「タラス・ブリバ」「イワン・イワノヴィッチさんとイワン・ニキフォロヴィッチさんが喧嘩した話」)

 こちらは『ディカニカ』に比べると、それぞれの物語がばらばらの時代・舞台・世界観を取り上げているので、より独立性が高い作品群になっています。

 『ディカニカ近郊夜話』のうちいくつかについてはこのブログで過去に取り上げましたが、ここでは『ミルゴロド』のうちの一つ「ヴィイ」について述べます。

 題になっているヴィイとは化け物の名前で、原文には著者自身の注釈で「民衆の創造物」と書いてありますが、実際にはゴーゴリの発想と考えられます。

 主人公はホマー・ブルートという神学校の学生です。夏休みに同じ学校の仲間たちと故郷へ帰るとちゅう、ホマー君は魔女に襲われます。このとき、魔女にけがを負わせてなんとか振り切りました。(以下、作品の結末を記述してありますので、知りたくない方は***まで飛ばすことをお勧めします。)

 さて、ある村についたホマー君は、そこの村長の娘が亡くなったと知らされます。そこで、弔問に訪れ、娘の亡骸を見たホマーはあることに気づきます。死んだ娘というのが、あの時傷を負わせた魔女だったのです。神学生は恐れをなしました。

 悲しみに暮れる村長ですが、神学校の学生が来たということで、弔いのお経を頼みます。それは、三夜連続、夜からニワトリが鳴く明け方までお祈りを続けるというものです。

 ホマーはどんなに嫌がっても、逃げ出すこともできず、結局お経を読むことになりました。すると娘、すなわち魔女は棺桶ごと宙を飛びまわったり、起き上がって襲ってきたりします。魔女のほかにも多くの妖怪が出てきて、最後にはヴィイが登場し、ホマーは魂を抜かれて死んでしまいました。

 ホマーの死因は信心が足らなかったことだと作中で説明されていますが、実際ゴーゴリが宗教的なもの、キリスト教の理想に対する敬意が強かったということが表れています。

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 作品中ではほかに、神学生たちが劇を披露するという内容が語られますが、実際に帝政ロシアでは、宗教的な劇をやったのは神学校の生徒たちだったという事情があります。三夜弔いの祈祷をあげるというのも、スラブ人の民話に同様の筋があるものです。

 全体的には、魔女や妖怪が姿を見せて登場するという意味では、『ディカニカ近郊夜話』に並んで民話的な色彩が濃いといえます。(その他の『ミルゴロド』に収められた作品、たとえば「むかしの人」などは怪奇の要素がそこまでは強くありません。)

<この作品を読むなら>

「ヴィイ」を日本語で読める本はあまり多くありませんが、このようなものが出版されています。

ちくま文庫『世界幻想文学大全 怪奇小説精華』東雅夫編(https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480430120/

河出文庫『ロシア怪談集』沼野充義編(https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309467016/

現在では稀覯本ですが、1984年に金の星社から、子ども向けにリライトされた次のようなものも出ています。

(世界こわい話ふしぎな話傑作集12ロシア編)『魔女の復讐』田辺佐保子訳・文(https://www.kinnohoshi.co.jp/search/info.php?isbn=9784323006628

 やはりゴーゴリの幻想的な世界観はわくわくさせるものがあり、子どもたちにぜひ語り聞かせたい、ということで、『ヴィイ』を初め、『五月の夜』『降誕祭前夜』など、このような児童書として出版することが過去にも数多くされています。

<映像で観るなら>

 この物語はソビエト時代に映画化されており、YouTubeの映画製作会社の公式チャンネルで鑑賞できます。

1967公開 "Вий" https://www.youtube.com/watch?v=Amh3uudVMBo

 新たに作られたものもありますが、かなりアレンジされているので、原作とは違うものとして楽しんだほうがいいでしょう。

2022年11月30日水曜日

「ツリー上のイエスさまに参れる少年」ドストエフスキー

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「ツリー上のイエスさまに参れる少年」

Мальчик у Христа на Ёлке

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 クリスマスが近いので、F・M・ドストエフスキーの小品を紹介します。

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ツリー上のイエスさまに参れる少年

クリスマスの物語

一 施しを乞う少年

 子どもっていうのは不思議なもので、夢に出たり心に浮かんだりするものなんですよ。クリスマス前や、降誕祭前のクリスマスもたけなわのときになると、私はいつも家の外の、ある道の角っこで、どうにも七歳より上には見えない少年を見かけたものです。ひどい大寒気なのにその子はほとんど夏の格好をしていて、ただし首もとはなにか古きれのようなものが巻いてあり、つまり誰かに服を着せられてお遣いに出されたんでしょうね。その子は「手を出して」歩いていまして、要するにこれはそういう特別な言い方で、つまり施し物を乞うていました。この言い方は少年たちが自分で作ったものです。この子のようなのはわんさかいて、あなたも道を歩いていれば、そういう子たちがうろついていて何か板についたようなことを寂しくうなっているのを耳にしますよ。けれども私の話すこの少年はうなっていなくて、どこか無垢な話し方をしていて、ぎこちなくも人を信じ切ったように私の目を見つめるんです。きっと、この職業を始めたばかりなんでしょう。私が細かく尋ねてみると、少年には姉がいて、仕事はしないで、病気なんだと言います。もしかしたら本当かもしれませんが、あとになって知ったところでは、このような少年はごまんといるとのことです。子どもたちはわざわざ一番寒いときに「手を出しに」駆り出されて、それで何ももらえないで戻れば、ぶたれてしまうんです。少年が何コペイカかを集め、赤いかじかんだ両手をしてどこかの地下室に戻ると、そこでは怠け者の一味みたいなのが酔っぱらっていて、そいつらはちょうどあの<日曜日も目前になると(こう)()をストライキし、水曜日の晩にもならないうちにまた仕事に戻ってくる>連中です。地下室では、こっちじゃ腹を空かせ旦那に叩かれる奥さん方が一緒になって酔っぱらっていて、そっちじゃ腹を空かせた乳飲み子たちが泣き叫んでいる。ウォッカに、汚物に、淫乱、でも第一にまずウォッカ。コペイカを集めた少年はすぐにでも酒場に行かされて、そしてまた酒を持ってくる。遊びでときどき少年の口にもビン半分そそぎこまれて、アハアハ笑う声がしたと思うと、子は息がハッと止まってほとんど気を失いそうになりながら床に倒れ込んで・・・

(と、ここで私の口にもいまいましいウォッカが否応なく入れられてしまいました。)

 この少年が大きくなれば、早いうちにどこかの工場に売られるのですが、稼ぐお金は全部また怠けものたちのところに持ってこなければならず、そしてそいつらが飲みに使い果たしてしまうのです。ところが工場に行く前にも、もうこの子らというのは真っ赤な罪びとになります。子どもらは街をぶらついていて、あちこちの地下室には忍び込んで気づかれずに夜を明かせる場所があることを知っています。ある一人の少年は、ある掃除夫のいるところの何かカゴのようなところの中に何夜も立て続けに泊まり込みましたが、掃除夫は結局気づかなかったなんてことがあります。ひとりでにコソ泥へとなっていくのです。窃盗は八歳の子どもの心でも熱中してくるもので、時にはその行為の罪深さにはなんら気づかないときもあります。しまいには、自由ひとつのためには何もかも、飢えにも寒さにもぶたれるのにも、耐えきると、怠けものの大人たちからは逃げて独立して放浪するようになります。この野蛮な生き物は、場合によっては何もわかっていません。自分がどこに住んでいて、なんの出自で、神さまはいるのかも、君主さまはいるのかも。時にはこの子らにまつわる、耳を疑うようなことも伝えられていますが、やはりすべて本当のことのようです。

 

二 ツリー上のイエスさまに参れる少年

 けれども私は小説家(ロマニスト)です。そして、どうやら一つの「物語」をこの手で創ったみたいです。どうして書いているか、それは<どうやら>創ったわけです。なにしろ私は自分でも何を創ったか分かっているのですが、それでも私にはやはり夢に出てくるのです。ある日ある時、これが起こったという夢が。すなわちそれが起こったのは降誕祭の前夜、「どこかの」大きな町でひどい寒気の時のようです。

 私には心に浮かんでいます、地下室に一人の少年がいるのが。しかしまだとても小さい、六歳かもっと幼いくらいです。この少年は朝、湿った寒々しい地下室の中で目が覚めました。何かガウンのようなものを着て、震えていました。呼吸は白い息になって飛び出していて、少年は長持ちの中の片隅に座って、退屈まぎれにこの息を口から吹いては、飛んでいくのを見て楽しんでいました。しかしその子はひどくご飯が欲しかったのです。少年は朝から何度か高床に近寄ったりしました。そこではクレープのように薄い御座の上に、何かの結び目のようなものを枕がわりに頭を載せて、病気の母親が横になっていました。母親はどうやってここにやってきたのでしょう?おそらく、我が息子を連れて別の街からやってきて、突然病気になったのです。貸し部屋の主人はたった二日前に警察に捕まりました。住人たちはあちこちに出かけました、世間はめでたい雰囲気ですからね、で、たった一人残った怠け者が、クリスマスが待ちきれなかったので、もう何日間も死んだように酔いつぶれていました。部屋のもう片隅ではリウマチでどこかの八十の婆さんがうめいていました。婆さんはいつかどこかで子守りをしていたけれども、いまは孤独に死のうとしていて、おおと声を出し、少年にぶつぶつぐつぐつ文句を言っていたので、もう少年はその隅には近づきたがらなくなりました。たっぷり飲むものはといえば玄関のどこかで見つけましたが、パンのかけらはどこにも見つからないので、もう母さんを起こしに歩み寄って十度目になります。とうとう、暗闇の中が嫌になりました。もう夜になってだいぶ経つのに、明かりは点く様子もありません。母さんの顔を手さぐりで触ると、少年は母さんがすっかり動かなくなって、壁のように冷たくなっているのに驚きました。「ここは寒いもんなあ」と少年は思うと、亡き人の肩に手をかけていたのもうっかり忘れて、ちょっと立っていましたが、そえから手にハアと息をかけて温めると、唐突に高床の上でつばの付いた帽子を探し当てて、そっと手探りで地下室から出ました。少年はもっと早く出かけてもよかったのですが、上の方、階段上の、一日中となりの家の扉で吠えていた大きい犬が怖かったのです。けれども犬はいなかったので、少年は唐突に表に出ました。

 なんとまあ、すごい街ですよ。少年はまだ一度もこんなものは見たことありませんでした。出身のあそこでは、夜な夜なそれは真っ暗闇で、通り一つに街灯が一本あるっきり。木造の小さい家々は雨戸を締め切っています。外は、すこしたそがれになれば、誰もいなくて、みんな家に閉じこもり、犬どもの群れが吠えるばかりで、犬も数百数千いて一晩中鳴いたり吠えたりしています。ところが代わりにそこはそれはもう暖かかくて、ご飯ももらえたのに、この街ときたら、誰がくれるものでしょう。それからここはすごい雑音や轟音で、すごい明かりと人々、馬や馬車、それに大寒気、大寒気。追い立てられた馬々の、息の熱い鼻っ面から凍える蒸気がもくもくあがっています。ほろほろ雪をかきわけて石畳をひづめが打ち鳴らし、誰もかれもが押し合いへし合い、それになんとまあ、ひとくち食べたい、何かひとくち食べたい、それに指がもう痛くなってきました。そばを警官のやつが通っていきましたが少年を見て見ぬふりをして顔をそらしました。

 また道が通っています。ああ、なんて広いんだろう。こんなところでは轢かれてしまう。人々の叫んでいること、走ったり駆けたりしていること、それに明かりったら、明かりったらもう。ところでこれは何だろう。わあ、大きな大きなガラス、ガラスの向こうには部屋、部屋の中には天井まで届きそうな木が立っています。それはクリスマスツリーで、ツリーにはいくつもの明かりや、黄金の紙の飾りや球がついていて、周りには人形や小さな馬のおもちゃが吊るしてあります。部屋中を駆け回っている子どもたちはおしゃれで、こぎれいで、笑って遊んで、食べて、何か飲み物を飲んでいます。ごらん、そこでは女の子が男の子とダンスを始めましたよ、なんてかわいい女の子だろう。それに音楽ときた、ガラスごしに聞こえる。少年はじっと見て、驚いていて、もう笑顔になっているけれど、手も足も指が痛くてすっかり赤くなり、もう曲がらなくてぴくりとするのも痛いのです。そして突然少年は自分の指がとても痛いのを思い出し、泣き出して先へと走っていきましたが、また別のガラスごしに部屋が見えて、そこにはやっぱりツリーが並んでいて、でもテーブルの上にはケーキ、それもアーモンドだの赤いのだの黄色いのだのいろいろあって、そこには貴婦人が四人座っていて、誰かが来ればケーキを渡しているのですが、ドアはひっきりなしに開いて、外からたくさんの旦那さまが入ってくるのです。少年は忍び寄って、とつぜんドアを開けると中に入りました。その時の、叫ばれて手をふられたことときたら。一人の貴婦人が早めに駆け寄って、手に1コペイカを掴ませると、外に出るのを促されるようにドアを開けられました。少年はひどく驚きました。コペイカはすぐさま滑り落ちて段々の上をカラカラ落ちていきました。少年は赤くなった指を曲げてそれを止めることができませんでした。少年は早く早くと走り出しましたが、どこへ行っているか自分でも分かりませんでした。また泣き出したくなりましたが、怖いので、走って走って、両手に息をかけました。そして少年は憂うつな気分にとらわれました、それも一人ぼっちで暗かったからですが、突然、なんとどういうことでしょう、これはまた何でしょうか?人々が集まって立って驚いているのです。向こうの窓辺に三人の小さい人形が、赤と緑に着飾ってそれはもうまるで生きているかのようでした。何かお爺さんのようなのが立って、まるでバイオリンを弾いているようで、他の二人は同時にもっと小さいバイオリンを弾いているようで、音に載せて頭をゆらして、お互いを見つめて唇を震わせて、しゃべっています。本当にしゃべっているのです。ただガラスごしで聞こえません。それで少年はまず始めにこれは生きているのかと思いましたが、人形であるのにすっかり気づくと、突然笑い出しました。こんな人形は見たことがありませんし、こんなものがあるとは知らなかったのです。とつぜん後ろから誰かにガウンをつままれたのに気づきました。体の大きい意地悪な男の子がそばに立っていて、とつぜん頭を殴ると、つば付き帽子をはぎとり、少年を蹴飛ばしたのです。少年は地面にむかって転げ落ち、そこで叫び声がし、少年は目の前が真っ暗になって、飛び上がると走りに走って、とつぜん自分でもどこだか分からず、扉の下の隙間を通って、よその家の中庭に駆けこんでいきました。そして薪木の山の陰に腰かけるました。「ここなら見つからないし、暖かいよ。」

 少年は腰かけると縮み込みましたが、恐怖のあまり一息つくこともできず、とつぜん、本当にとつぜん、気持ちがよくなってきました。手も足もとつぜん痛くなくなり、暖炉に当たっているかのように、とてもとても暖かくなりました。全身はぞくっとしました。それもそう、少年は眠ってしまったのです。ここはなんと気持ちよく寝付けることか。「ここに少しいたらまた人形を見に行くぞ、あの本当に生きているみたいな人形を!」そして急に少年は、母さんが歌をうたってくれているのが聞こえました。「お母さん、眠いや、ここで寝るととっても気持ちがいいよ!」

「うちにクリスマスツリーを見に行きましょう、坊や」そこへ急に小さい声がささやきかけました。

 少年は、これはみんな母さんなのだと思いかけましたが、違います、母さんではありません。誰が一体少年を呼んだのか、目には見えませんが、暗闇の中誰かが身をかがめこんで抱きしめてくるので、少年はその人に手を差し出すと、急に・・・ああ、なん明るい光だろう、それにクリスマスツリーです。それもクリスマスツリーであるどころか、どこにも見たことのない木なのです。少年は今どこにいることやら、何もかも輝いて、光っていて、周りにはやっぱり人形があります・・・いいえ、これはみんな男の子や女の子たちで、ただとても明るくてみんな少年の周りをぐるぐる回っています。みんながキスしてくれて、手をとってくれて、担いでくれて、それに少年は空を飛んでいて、見えるものといえば、母さんが見つめて嬉しそうに笑ってくれている顔です。

「お母さん、お母さん!ああ、なんてここはすばらしいんだろう、お母さん!」少年は母親に叫ぶと、また子どもたちとキスし、そしてあのガラスの向こう側に見えた人形のことを早く話して聞かせたくなりました。「男の子たちも、女の子たちも、君たちは誰なんだい?」少年は笑って愛おしい気持ちでみんなに尋ねるのでした。

「これは『イエス様のツリー』だよ。」みんなは少年に答えました。「イエス様はいつもこの日、ツリーがない小さな子どもたちのために、ツリーを用意してくださるんだ。」そこで少年は、この男の子たちや女の子たちがみな自分と同じような子どもであることを知りました。ただ、ある者は、ペテルブルグの役人たちがドア元の階段に捨て置いたカゴの中で凍え死にした者で、またある者は養育院からひきとられたのに、養母のもとで息絶え、またある者は、(サマーラ大飢饉のときに)母親の枯れ上がった乳のもとで死に、またまたある者は三等車の車両の中で悪臭のせいで死にましたが、みんな今はここにいて、みんなここでは天使のようで、みんなイエス様のおんもとにいて、そして少年もその中におり、みんなに手を差し出し、みんなとみんなの罪深き母親たちを祝福しています・・・そしてその母親たちもその場で横に立っていて、泣いています。一人一人が我が息子や娘を見て取り、駆け寄ってキスをし、両手で涙を拭いてやって、泣くのはおやめ、ここはこんなに素晴らしいのだからと言って頼むのでした・・・

 ところが下の方では朝になると、掃除夫たちが薪木の山の陰に駆けこみ凍え死んだ少年の小さい亡骸を見つけたのでした。その母親も見つかりました・・・母親は子より先に死んだようでした。二人とも天の神さまのおんもとで再会を果たしました。

 それでなんで私がこんな、平凡なきちんとした日記、それも作家の日記には入らないような物語を創作したのでしょう?それに実際にあった出来事についての話を特別に請け合ったというのに。でもそこが大事で、私は、このことがみんな実際に起こりうるように思えて見えるのです。つまり、地下室や薪木の山の陰で起こったこと、イエス様のツリーのもとで起こったことが。それが起こりうるか起こりえないか、どうみなさんに申し上げようか私も分かりません。そこが物語をつくる私の小説家(ロマニスト)たるゆえんです。

(訳・市川透夫)

2022年2月25日金曜日

ゼレンスキー大統領のビデオメッセージ(全訳)

ビデオ:

https://www.president.gov.ua/videos/zvernennya-prezidenta-ukrayini-pro-posilennya-oboronozdatnos-2013

2022年2月24日付け ゼレンスキー・ウクライナ大統領のビデオメッセージ

偉大なるウクライナの偉大なる民よ。

 約束通り、短く簡潔に一日のことを話します。本日我々は、我が国の防衛能力と耐久性を強化しました。我が国を守ってくれる戦士たちの背後を覆うべく、我々は30日間の予定でウクライナ全領域に非常事態宣言を導入しました。この決定は335名の最高会議議員によって採択されました。大防衛連合が動き始めたのです。最高会議はまた、防衛部門の資金に充てる追加資源に関するセットとなる決定を行いました。明日、全議員が各地域の国民を支援するために向かいます。我が国の国際パートナーたちはウクライナ支援のために最大規模で動員されています。我々はパートナーたちに先制的な制裁を行うよう説得することに成功しました。昨日、アメリカ合衆国は対ロシアの追加制裁を発動しました。本日米国はノルド・ストリーム2に対する制裁を発動しました。対ロシアの個別的・経済的制裁のセットは欧州連合も認めたものです。日本政府とオーストラリア政府も新たな制裁を発動しました。本日私はオランダのマルク・ルッテ首相と言葉を交わしました。マルク・ルッテ首相は、同国もまたセットの制裁を準備していると請け合いました。本日私はキエフで、ポーランドのアンジェイ・ドゥダ大統領ならびにリトアニアのギターナス・ナウセーダ大統領と会見しました。我々は会談の結果、共同声明に署名しました。その中では、我々のポーランドとリトアニアの朋友が、欧州連合メンバーへの候補としての地位をウクライナに提供することを支持していると明言されています。本日我々は国連総会に具体的行動を行うことを呼びかけました。すなわち国際平和維持部隊をウクライナに送ることです。私はウクライナの大実業界の代表者たちと会見しました。私たちは、彼らがみな自らのチームと共にウクライナにいるということで同意しました。ありがとう。彼らはウクライナを守るために働いている。私たちは、全ての政治勢力と同意した。すなわち最も早いうちに最高会議は経済に関する諸法律のセットを採択すべきであると。それは「経済的愛国主義」です。ウクライナを助けてくれているすべての人に感謝します。これからも動いていきましょう。

 ここからはロシア語で話します。

 本日私はロシア連邦大統領との電話会談のイニシアチブをとりました。その結果は、無音でした。とはいえ無音は、ドンバスにおいてあるべきでしょう。したがって本日は、ロシア国民のみなさんに向けて話したいと思います。私は大統領としてではなく、一人のウクライナ国民として、ロシア国民のみなさんに話しています。

私たちとみなさんは、全長2000キロメートル以上の国境で分かたれています。いまそれに沿い、あなたがたの軍隊が立っています。20万人以上の兵士、1000台の軍事車両です。みなさんの指導者は一歩先へ、他の国の領域へ入ることを是認しました。そしてこの一歩は、もしかしたらヨーロッパ大陸における大きな戦争の始まりになるかもしれません。一日また一日と起こっていくかもしれないことについて、いま世界中が話しています。その原因はあらゆる瞬間にも生じうるものです。あらゆるセンセーションが、あらゆる火花が。すべてを燃やし尽くす火花が。

みなさんは聞かされています。この炎がウクライナの民の開放をもたらすと。しかしウクライナの民は自由です。ウクライナの民は過去を記憶していて、自ら未来を建設しています。建設いているのであり、みなさんの国で毎日テレビで語られるがごとく破壊しているのではありません。みなさんの国でのニュースの中のウクライナと、現実の世界でのウクライナは、全く別の国です。そして差異で重要なこととは、私たちの方が本物であるということです。

みなさんは聞かされています。私たちがナチであると。しかしまさか、ナチズムに打ち勝つために800万もの命を犠牲にした民が、ナチズムを支持することができるでしょうか?どうして私がナチになれるでしょうか?そのことを、戦争の間ずっとソビエト軍の歩兵として過ごし、未独立のウクライナの指揮官として死んだ私の祖父に話してみてください。

みなさんは聞かされています。私たちがロシアの文化を憎んでいると。どうやって一つの文化を憎むことができるでしょう?隣人とは、常にお互いに文化的に豊かにしあっていくものです。しかしそれで隣人どうしが一つになるわけではありません。私たちが、みなさんの中に溶け込んでいくのではありません。私たちは別々ですが、それは敵になる理由にはなりません。私たちは自らの歴史を確定して建設していくことを望んでいます。平和に、平穏に、誠実に。

皆さんは聞かされたことがあります。私がドンバスを攻めるよう命令すると。問題がないのに射撃し、爆撃するようにと。しかし問題はあります。誰を射撃するかです。何を爆撃するかです。私が何十回も訪れたことのあるドネツクを?顔が、目が見えました。友人たちと一緒に遊んだアルチョーマ通りを?ユーロ(欧州選手権)で地元の人たちとウクライナの男子選手たちを応援したドンバス・アリーナを?ウクライナ選手たちが負けたのでみんなで飲んでいたシチェルバコフ公園を?私の最高の友人の母が住んでいる家があるルガンスクを?私の最高の友人の父が眠る場所を?ご注意ください、私はいまロシア語で話していますが、誰もロシアでは、この地名や通りの名や出来事がなんのことか、誰も理解していません。みなさんにとってはこれは他人事なのです。見知らぬものなのです。これは私たちの土地、私たちの歴史です。なんのために、そして誰と戦争をする必要がありますか?みなさんの中では多くの方がウクライナにきたことがあります。みなさんの中で多くはウクライナに家族がいます。ウクライナの学校で学んだ人がいます。ウクライナ人と親しくなった人がいます。みなさんは私たちの性格を知っています。みなさんは我が国の人たちを知っています。私たちの原理を知っています。私たちが何を大切にしているか、みなさんには明らかです。ですから自分の心の声に、理性の声に、耳をすませてください。私たちの声が聞こえるでしょう。ウクライナの国民は平和を望んでいます。ウクライナの政権は平和を望んでいます。望んでいるし実行しています。すべてを、できることすべてを実行しています。

私たちは同じ国ではありません。これは事実です。大多数の国がこのことについてウクライナを支持しています。なぜか?なぜなら話しているはあらゆることを犠牲にした平和ではなく、平和と原則について、公正について、国際的な権利についてだからです。自らを規定する権利について、自らの未来を自ら規定する権利についてだからです。一つ一つの社会が安全である権利、一人ひとりが脅威なく生きていく権利についてだからです。これが、私たちにとって大切なもののすべてです。これが世界にとって大切なもののすべてです。私はこれがみさなんにとっても大切であることを確かに知っています。私たちは確かに知っています。私たちには冷たい戦争も、熱い戦争も、その二つの混ざった戦争も。しかしもし私たちが攻められることがあれば、もし私たちから自分の国が、自由が、命が、私たちの子どもたちの命が奪い取られそうになったら、私たちは身を守ります。攻めるのではなく、身を守るのです。攻めることをすれば、みなさんは私たちの顔を見ることになります。背ではなく、顔です。戦争とは大きな悲劇です。その悲劇では大きな犠牲が、あらゆる意味での犠牲が払われます。人々は、財産も名誉も生活水準も自由も失いますが、もっとも重大なことは、人々が近しい人を失うことです。自分自身を失うことです。戦争では常に、あらゆるものが足りなくなります。ありあまるのは、痛み、汚れ、血、死です。何千何万もの死です。

みなさんは聞かされています。ウクライナはロシアに脅威をもたらすと。これは過去にもなく、現在もなく、将来もない。みなさんはNATOの安全保障を要求しています。私たちもウクライナの安全、安全保障を、あなたがた、ロシアから、そしてブダペスト覚書のその他の保障国から要求します。現在私たちは、あらゆる防衛協定の外側にいます。ウクライナの安全は、私たちの隣国の安全と結びついています。したがって今は全ヨーロッパの安全について話をしなければなりません。しかし私たちの第一の目的は、ウクライナの平和と我が国民であるウクライナ人たちの安全です。そのために私たちはこのことをすべての人々と、話す心構えであり、その中にはみなさんもいます。様々な形式の様々な場において。戦争は全ての保障を奪い去ります。安全の保障は誰のもとからもなくなることになるでしょう。このことで誰が最も苦しむことになるか?人々です。このことを最も望んでいないのは誰でしょう?人々です。このことを許さないのは誰でしょう?人々です。この「人々」が、みさなんの中にいることは、私は確信しています。社会活動家、ジャーナリスト、音楽家、俳優、スポーツ選手、学者、医師、ブロガー、スタンドアップコメディアン、ティックトッカー、その他多くのふつうの人々。ふつうの人々です。男性、女性、お年寄り、子どもたち、父親たち、そして何より大切なのは、母親たち。ウクライナにいる人々も等しく同じです。そしてウクライナの政府もです。どれだけみなさんが逆のことを説得されたとしても。私は、この自分のメッセージがロシアのテレビ放送では流ないことは分かっています。しかしロシア国民は見なければなりません。ロシア国民は事実を知らなければなりません。事実とは、立ち止まらなければならないということです。遅くないうちにです。そしてロシアの指導部が平和のために私たちとテーブルに着くことを望まないのなら、指導部はみなさんとテーブルについてくれるでしょうか?ロシア人たちは戦争を望んでいますか?私はこの問いに答えたい気持ちが強くあります。しかし答えはみなさん、ロシア連邦の国民のみなさん次第という以外ありません。

ご清聴ありがとうございました。

(訳:市川透夫)

2021年10月23日土曜日

ロシアのお茶とコーヒー、そしてハチミツ

ロシアではもともと、クワス(黒パンからつくるビールのようなもの)やモルス(ベリーの実のジュース)などが飲まれていました。

ロシアに初めてお茶が伝わるのは1638年、モンゴルのハーンがロマノフ朝初代のミハイル・ロマノフに献呈したときで、それ以後は中国から輸出されるようになりました。そして18世紀にロシアの様々な階層でお茶を飲む習慣が広がりました。やがてロシアでは「サモワール」と言われる湯沸かし器が使われるようになりました。サモワールには大きな卓上版のほかに、旅行用の小さなものもあります。

一方コーヒーは、改革で知られるピョートル1世によってもたらされました。1740年には初めてのコーヒーショップがペテルブルグに登場します。詩人プーシキンの代表作「エヴゲーニー・オネーギン」では、オネーギンがコーヒーを飲むシーンが登場します。

モスクワでお茶とコーヒー、そしてそのお供のお菓子を買える有名なお店といえば、ミャスニツカヤ通りにある「チャイ・コーフェ」です。お店の中に入った瞬間にカフェインの魅力的なにおいとチョコレートの甘い香りがただよってきて酔いそうになるほどです。




ここでなくても、スーパーなどで普通のお茶、さまざまなフレーバーのついたハーブティー、が手に入るほか、お菓子(ここではコンフェーティといって、飴やチョコーレートのボンボンを丸く包んだもの。)は大量に棚に入っているのを掴んで量り売りしているところもあります。

ロシアではとりわけ鉄道などでお目にかかるのが、透明のコップと、それをはめて使う「パトスタカーンチク」と呼ばれる取っ手付きのコップ入れです。透明のコップをそのまま触るには暑いので、ケースに入れて使うわけです。

またロシアでは風邪をひいたときに一番言われているのが、ハチミツを入れた紅茶です。ハチミツに関しては、ロシアでは定期的にハチミツ市が開催され、モスクワの公園などでも見かけます。各地のいろんな花から採取したハチミツを試食しながら選ぶことができます。

そして話はハチミツへ

ロシア語ではクマのことをメドヴェーヂというのですが、これはメド(ハチミツ)とヴェーヂ(食べる者)から来た語で、おそらく本来はクマを直接さす言葉があったのですが、森に住むロシア人にとってクマは天敵、直接その名を口にするのは不吉なこととされたのか、このような遠回しの言い方が定着しました。

なお、ウクライナ語でクマという場合、ヴとメの音が入れ替わってヴェドメーチになっています。これはいわゆるメタテーゼ(音位転換)と呼ばれる現象で、日本語で言うなら「あきばはら」が「あきはばら」になったという例があります。

ハチミツといえば、ハチミツを使ったお酒「メダヴーハ」は定番のお酒で、ウォッカより歴史が深いです。アルコール度数は3~5パーセントとあまり強くなく、甘いビールのような風味なのであまり強くない人でも飲めます。

ロシアの伝承おとぎ話の世界では、物語の締めくくりの定型文としてこのようなものがあります。「こうして無事王子様とお姫様魔は結婚したとさ。そのお祝いは飲めや歌えの大騒ぎで、私もそこに参ってハチミミツ酒を飲もうとしたが、ヒゲをつたって流れてしまい、一口も入らなかった」ここにもハチミツ酒が出てくるんですね。これは、おとぎ話の語りべが、たくさん話して喉がかわいたから飲むものをくれ、という意味があるそうです。

最後に、ロシアにはハチミツを使ったケーキ、メダヴィークがあります。ハチミツをつかったスポンジとクリームが層になっていて、スーパーにも売っています。

メダヴィークと紅茶


(市川)

2019年8月31日土曜日

ロシアの民話『カワカマスの命令にしたがって』


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「カワカマスの命令にしたがって」
По щучьему велению
ロシアの民話
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ロシア民話の中で代表的な話の一つに、『カワカマスの命令にしたがって』というものがあります。

物語の主人公はエメーリャという若者で、非常になまけものです。冬になるといつも暖炉の上で寝ているわけです。

「暖炉の上で寝る」というのは状況が分かりづらいですが、ロシア民話ではときどき出てくる表現です。
ロシアの伝統家屋では、暖炉は壁に埋め込まれている形ではなく、大きな台のようになっています。
上には横になれるほど広いスペースがあり、非常に暖かいので、
一家のおじいさんなどが優先して座る特等席なのです。
(チェコのとある物語にも同様の暖炉が出てきました)

なので、その暖かい場所で寝てばかりいるエメーリャは非常になまけものといえます。

このエメーリャは、冬のある日、川に水をくみにいきます。
冬なので川は凍っていて、氷には一か所だけ魚釣りができる程度の小さな穴が開いているのですが、
そこから水をくもうとしたら、ぐうぜん魚のカワカマスを捕まえました。

大きなカマスなので、スープに入れて食べようと考えるエメーリャですが、
そのカマスはとつぜん人間のことばで喋ります。

「命は助けてください。命を助けるかわりに、魔法の言葉を教えます。
『カワカマスの命令にしたがって、私の命令にしたがって』
と唱えれば、どんな願いも叶うでしょう」

カマスの命は免じてやったエメーリャは、さっそく呪文をとなえます。
『カワカマスの命令にしたがって、私の命令にしたがって、
桶の水よ、ひとりでに歩いて家まで帰れ』

すると、水をくんだ重い桶からは足が生えて、持ち運ばなくとも、家へ帰っていくのでした。

このあとエメーリャは、カワカマスの呪文を使って、
例の暖炉ごと街を移動したりするのですが、いろいろあって、
最終的にはお姫様と結婚するところまでのぼりつめます。

なまけものの若者が、魔法ひとつでお姫様のお婿になるわけですから、
エメーリャは実は賢かったのでしょう。

この話は日本では中村喜和先生のロシア民話集に翻訳がある他には、小学館から出ている「なまけもののエメーリャ」(山中まさひこ文、ささめやゆき絵)で読むことが出来ます。ロシアでは誰でも知っている話です。
(市川透夫)