2021年9月4日土曜日

「波を駆ける女」試訳

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波を駆ける女

A・グリン
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久しぶりのブログです。 最近、ネタをツイッターで小出しにすることが増えたためか、まとまってブログに投稿するということがなくなって、気が付けば2年経っていました。

最近自分には何かできることはないかと思い、ロシアの小説の翻訳をやるかということで、アレクサンドル・グリンの中編「波を駆ける女(仮)」Бегущая по волнамを選びました。第一章だけ試みにやってみたのですが、見てもらう相手もいないのでここに載せることにしました。


波を駆ける女

 

それはラ・デジラード島・・・

ああ、ラ・デジラード島よ、マンチニールの木に覆われたその斜面が海の向こうから持ち上がってきたとき、我々はどれほどの憂愁にとらわれたか。

L・シャドゥルン

 

第一章

 

聞かされたところでは、私は突然起きる類のある急病のおかげでリースに行き当たったのだという。それは道中でのことだった。私は意識不明と高熱の中で列車を降ろされ、病院に入れられた。

危機が去ると、フィラートル医師は私が病室を出るまでの残った時間を常に親しげに楽しませてくれ、私のアパートを見つける面倒を見てくれた上に女中まで探してくれた。私は医師には大いに感謝しているが、さらにこの部屋の窓は海を向いていた。

ある時フィラートルが言った。

「ガルヴェイさん、私はあなたをこの街に無理やりひきとめているような気がします。私があなたにアパートを借りてさしあげたことにいっさい遠慮しなくとも、お元気になられたら旅立っていいのです。いずれにせよ、このさき旅を続ける前に、あなたはいくらかくつろぐ必要が不可欠です。自分の中での小休止です。」

 医師は明らかにほのめかしをしていた。そして私は「未実現のこと」の威力についての対話を思い出した。その威力は急激な病のおかげでいくらか弱まっていたが、私は依然として時々、心の中で、その消えるとは思えぬ決然と動く音を聞いていた。

 街から街へ、国から国へと移っていく中で、私は情熱や熱狂よりもさらに支配力のある力に屈していった。

 遅かれ早かれ、老年であれ花盛りであれ、「未実現のこと」は我々を呼び、我々はどこからその呼び声が飛んできたかを知ろうとしてあたりを見回すのである。そのとき、自分の世界の真ん中で目を覚ますと、重々しく気を取り直し一日一日を大切にしながら、人生を見つめ、心と体全体を使って理解しようとする。すなわち、「未実現のこと」は実現しようとしていないか?その形は明瞭でないか?手をのばしさえすれば、その弱々しく点滅する輪郭をとらえて抑えられるかどうか?と。

 そうしている間にも時間は過ぎていき、我々は高い霧のような「未実現のこと」の岸辺を船で進みながら、日々の物事について解釈するのである。

 この題目で私は何度もフィラートルと会話した。しかしこの感じの良い医師はまだ「未実現のこと」の別れの手に触れられたことがなく、そのために私の説明には動揺されていなかった。医師は私にこのことについて全て質問し、それなりに穏やかに、ただし私の不安を認めそれを理解しようとよく注意しながら話を聞いていた。

 私はほとんど良くなっていたが、動作が途切れ途切れなのによって起こる反応があり、フィラートルの助言が有益と見なした。そのために、病院から出たあと、リースでも特に美しい通りであるところのアミリー通りの右の角のアパートに住み着いた。家は道を下った先の端にあり、港に近く、船渠の裏にあった。それは船のがらくたと、港仕事の鋭い、距離によってやや和らげられた音によって、執拗でない程度には壊される静寂の場所であった。

 私は二つの大きな部屋を占めた。一つ目は海をむいた巨大な窓があり、二つ目は一つ目より二倍ほど大きかった。下に行く階段のある三つ目の部屋には、女中が住んだ。昔ながらの堅苦しいが清潔な家具、古い家、フラットの奇妙な配置は街のこの個所の比較的静かなことによく合っていた。東と南に角が向いていた部屋からは、一日中日の光が消えず、そのために、この古めかしい居場所は、長年過ぎた明るい平和と、無尽蔵の永久的な太陽の脈とに満たされていた。

 私が家の主人を見たのは一度きり、金を払った時であった。その人は太って騎兵の顔をし、静かで話し相手に向かって突き出た青い瞳をした男性であった。料金を受け取りに立ち寄ると、まるで私のことを毎日見ていたかのように、なんの興味や活気を見せなかった。

 三十五歳ほどの、ゆったりとした用心深い女中は、レストランから昼食と夕食を運んできて、部屋を片付けると、自室へと戻った。もう私が別段何も言いつけてこず、しゃべくって歯をほじりながら、漠然とした思考の流れに身を任せるためだけを大部分の目的とした会話の中には入れてくれないことを女中は知っていたのだ。

 とにかく、私はここで住み始めた。そして延べ二十六日を過ごした。何度かフィラートル医師が尋ねにきた。

(市川透夫)

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