2026年3月4日水曜日

ロシアの英語の教科書

ロシアの中学校で使っている英語の教科書が面白いのでそれについて書きます。

English 9と表紙にありますが、これは9年生用の英語という意味です。ロシアの学校は小中高一貫の11年制で、小学校は4年、中学校は5年、高校が2年なのですが、学年は通して言うことになっていて、9年生とは日本の中学3年生にあたります。

表紙にシェイクスピアの顔が見えるように、使われているのはイギリス英語です。写真やイラストもロンドンの街や名所、二階建てバスなどで、イギリスづくしです。生徒への課題はイギリスとロシアの文化を比較しましょうなどといったものが多く、特に自分で英語の文章を書いたりスピーチする課題では、ロシアの文化をいかに説明するかが中心になっています。ロシアでは「標準的な英語стандартный английский язык」と言う場合はイギリス英語のことを指します。構文や文法の説明などもこの「標準的な英語」を用いています。用いている単語の数は日本の教科書より多いように思われます。

比較対象として日本の教科書はどうでしょう。この本を手に入れた当時の私も中学生だったのですが、英語の教科書の内容を覚えている限り思い出してみましょう。私の学校では三省堂のNew Crownというシリーズを使っていました。しかし、その中では、日本の中学校がアメリカ英語を教えるからといって、とくにアメリカづくしというわけではありませんでした。むしろ、地域を限定せず、世界中のさまざまな文化や幅広い出来事をテーマにしていました。登場人物は日本人の加藤健と田中久美、中国人のヤン・メイリン、ケニア人のムカミ・カマウなど多国籍で、レッスンごとのテーマは、中国の漢字について、韓国人の食事のマナーについて、アイヌの文化について、イギリスの湖水地方について、キング牧師の演説、食糧不足や貧困問題について、など。英語を手段として世界中の出来事に興味を持とうというねらいがあるように感じられます。

英国の歴史や文化に的を絞ったロシアの教科書は、言語を用いる人々文化を学ぶという、語学の世界ではごく自然な興味関心に沿った内容であるといえます。ただし、やや内容が偏狭になりやすいという弱点があるといえるでしょう。たとえば私の高校時代の英語教科書のように、スヌーピーの作者チャールズ・M・シュルツの人生と仕事について扱うのは、アメリカのものということで対象からはずれてしまうわけです。

一方、日本の教科書のように世界中の文化・出来事を扱ったものは、とくに語彙レベルで見た場合はかなり豊富な語彙を扱うことができます。「地球温暖化」などユニバーサルな現象や、医療についてといった理数系の話題も手広く取り込むことができます。しかし、たとえば韓国の食事マナーでしたら、英語よりも韓国語を勉強した方がいいわけです。英語に万能感を持ってしまうと、ややもすれば英語で世界中のことにアクセスできるという過剰な発想につながるおそれがあります。地域ごと民族ごとの言語をたいせつに、英語以外の言葉を勉強することで英語を相対化することも大事ですし、それがひるがえって英語の勉強にもなるものだと私は考えています。

さて、二つの国の教科書を比べると、語学教材の題材、登場人物の造形やその会話の場面設定をいかにするかというのは、実は面白い研究テーマな気がしてきます。

* * *

『外国語教材のテーマ設定っていろいろあるよね』の話

ここで、ちょっと話を英語から広げて、NHKラジオの語学番組について。NHKの語学講座は半年でワンクールなのですが、講師とテーマが変わります。2019年度春のまいにちフランス語は「世界のフランコフォニーと話そう」、2024年度春のまいにち中国語は「おとなりさんと中国語で話そう」です。

この年度のフランス語の講師はお茶の水女子大学の小松祐子先生。フランス語と聞いて日本人がパリやフランスを想像するというイメージをいったん脇に置いて、フランス語が特にヨーロッパやアフリカ、南太平洋の国々、カナダのケベック州など世界中で話されているということに目を向けています。会話の主人公はモロッコ出身のレイラとフランス人のエマニュエルで、仕事の出張や旅行でベルギーやブルキナファソ、ニューカレドニア、カナダなど各地に旅します。実際のところ、フランス語が広い地域で用いられているのは植民地主義の結果ではあります。とはいえフランス語圏のさまざまな文化を見ることはフランス語学習者にも必要な視点なのかもしれません。

もう一つ、明治学院大学の西香織先生が担当するまいにち中国語のテーマは、日本にある中国語話者とのコミュニケーションでした。日本を舞台に、街の公園で出会った福建省出身の老人、日本の高校に転校してきた中国出身の生徒、電車がわからず困る観光客、老人ホームで生活する于さん、マンションで隣に引っ越してきた高さん一家などと、日本人が日本在住の中国人と仲良く会話するというもの。

NHKの語学番組は、毎回テーマが変わるので、一つの教材の世界観やテーマばかりでなく、複数のものを学習し、豊かな体験ができるものなのかもしれません。

再びロシアに話を戻すと、ロシア語も教材のテーマが幅広い言語です。NHKの講座を例に挙げれば、伝統的によくあるロシア文学の講読や、モスクワ、サンクトペテルブルグを舞台にした、いかにもロシアといったテーマの雰囲気の講座もあります。一方で、極東やシベリアの都市を舞台に、各地の少数民族を取材したテレビ講座(沼野恭子先生)や、2015年春のまいにちロシア語『サンクトペテルブルクからカスピ海を目指して』(鳥山祐介先生)のようにロシア中央にも多くあるジョージアレストランについて言及した回など、異なる視点の講座もあります。

NHK以外は無いのか、という突っ込みが来そうなので他の例を挙げると、関西大学のロシア語の教科書『こんにちは、ピロシキ!Можно говорить по-русски?』では、キルギスについて紹介するページがあり、あるネット投稿では、編纂者にキルギス滞在経験があることが反映されているそうです。実際、ロシア語を話す地域はロシアに限らず、ソ連時代の歴史を持つ中央アジアの国々やバルト三国などといった隣国があります。また、ロシア語学習の動機として、こうした中央アジアの言語のほかに、ロシア連邦の中にあるサハ人やモンゴル系民族、ツングース諸語などの各民族の言語を勉強するために、資料が豊富なロシア語を先に学ぶというものがあります。

ロシア語を使う世界にこのような形で多様性があるのは、良し悪しという問題ではなく、ロシア語やロシアの置かれた実情でもあります。ロシア語を学習する人々には、タジキスタンのタジク語を勉強したくてロシア語を始めた、という人もいれば、そうではなくトルストイやドストエフスキーに興味があってロシア語を勉強したという人もいます。バレエやピアノの留学や仕事でロシアに行くという人もいます。カザフスタンに出張、ということでロシア語を勉強する人もいると思います。しかしいずれのパターンでも、ロシア語を勉強する運命になった以上は、モスクワやサンクトペテルブルグの文化以外の視野を持つ必要があるのかもしれません。

(市川透夫)

2026年1月21日水曜日

トランプあそび「ドゥラーク」

  なんでもロシアには、十八世紀の昔から伝わるトランプゲーム、その名も「ドゥラーク」があるとか。ドゥラークはロシア語で「ばか」のことで、このゲームの中では負けた人を「ばか」と呼ぶそうです。今でもドゥラークで遊ぶ人がいるとかで、動画サイトでは遊び方を説明した動画がいくつも出てくる。

 しかし、このブログとして何よりもまず先にコメントしなくてはいけないのは、ゴーゴリの小説『消えた手紙』Пропавшая грамотаでは、ウクライナのコサックと地獄の魔女がこのドゥラークで勝負するシーンがあるところ。ロシア語原文でも平井肇の和訳を読んでも何が起こっているのかさっぱり分からない。そこで、作品の理解を深めるために、ドゥラークのルールを覚えてみたいと思います。

 あらかじめ要領だけ申し上げると、ドゥラークとはカードを出し合って強い方が勝つゲームです。

 ドゥラークにもいくつか種類があるようですが、ここではクラシカルと呼ばれているものを扱います。

1.用意

 ドゥラークは2人以上で行う対戦ゲームです。

 このゲームに必要なのは、全てのスート(ハート、ダイヤ、スペード、クラブ)で6、7、8、9、10、J、Q、K、Aの九種類を集めた合計36枚のカード。べつに54枚でもできるけど、終わるのに時間がかかるのでふつうは36枚で遊ぶそうです。

2.ゲームの開始

 誰でもいいので、36枚のセットをよく切って、集まったプレイヤーに一人5枚ずつカードを配ります。配り切ったら、残った山札の一番上にあるカードをめくって、誰でも見えるように置きます。これが、その対戦での切り札のマークを決めます。仮に切り札がスペードの10だとしましょう。すると、スペードのマークがこの対戦での切り札となります。

 さらに残ったカードの山は、切り札の上に伏せて置くのですが、切り札の数字とマークが分かるように半分だけ見えるようにしておきます。

3.進め方

 カードを配った人の左に座ってる人から、時計回りに順番がきます。最初に順番の来たプレーヤーは、手持ちの札の中から、なんでもいいので一枚カードを出すか、同じ数字で別々のマークのカード2枚を出します(例えば数字は同じ7でマークはハートとクラブ)。

 次に回ってきた人は、この目の前にあるハートとクラブを倒すために、ハートの9、ダイヤの9という風に同じマークでかつ数字の大きいものを選びます。なお、Aは一番大きい数とみなされるので、ハートのA、クラブのAでも勝てます。

 切り札と同じマークは数字に関係なくそれ以外のマークのカードを全て倒せます。たとえば、切り札がスペードの10だった場合、スペードのカードを出せばハートのAもダイヤのJもクラブのQも倒せます。ただし、同じスペードのカードは倒すことはできません。

 切り札と同じマークに対しては、同じマークのもっと大きな数字でなければ勝てません。スペードの9を出されたら、スペードのJなりスペードのAなりで撃ち返さなければなりません。

 一枚でも倒せないカードがあった側のプレーヤーは、出したカードを全て自分の持ち札にしなければならず、また自分のターンをパスしなければなりません。一方、すべてのカードを出し切ったら、それらは墓地に送られ、このゲームでは使わないことになります。

4.カードの補充

 ゲームが終るまで、カードの撃ち合いのたびに、プレーヤーは切り札の上に載せた山札から手札が5枚になるように補充し続けます。表にしていた切り札は、一番最後にとることになっています。山札が足らず、全員が5枚になるようにいきわたらない場合は、山札を等分します。

5.ゲームの終了

 最後にカードが手元に残った者が負けです。もし山札がなくなっても全プレーヤーの手元にカードが残っていた場合は引き分けです。また、もし最後の撃ち合いであるプレーヤーが自分のカードを出せて、相手のプレーヤーもそのカードを打ち返せたら、引き分けになります。

6.二回目以降

 負けたものは「ドゥラーク(ばか)」になり、次のゲームでカードを配る役をします。

 以上はロシア語による説明やYouTubeの動画を参考にまとめたものです。

Карточная игра Дурак: правила, как играть в подкидную, переводную, классическую версию игры Дурак

Как играть в Дурака. Правила игры. - YouTube

Как научиться хорошо играть в дурака. Алекс Деукс

🌿Как играть в Дурака||колода 36 карт//Нежданчик🤭

 ではこれをもとにゴーゴリの『消えた手紙』でドゥラークで勝負する部分を読んでみたいと思います。

 あるコサック(語り手にとっては「爺さん」)は、大事な手紙を隠しておいた帽子を魔女に盗まれてしまいます。魔女は、返してほしければ三度「ドゥーレニ」(ドゥラークと同じ)で勝つことという条件を出します。

 ―Шапку отдадим тебе, только не прежде, пока сыграешь с нами три раза в дурня!

「帽子は返してやろう、ただしわしらと三度ドゥーレニをやってからな!」

   Вот и карты розданы. Взял дед свои в руки ― смотреть не хочется, такая дрянь: хоть бы на смех один козырь. Из масти десятка самая старшая, пар даже нет; а ведьма все подваливает пятериками. Пришлось остаться дурнем!

さてカードが配られた。爺さんは取り分を手にとったが、見るのも嫌なほどのくず札である。一枚でも切り札があればお笑いだったが。せいぜい十が最高だが、ペアに至ってはない。かたや魔女は五枚組を出し続ける。ドゥーレニになってしまった。

・・・はて、пятерик(五枚組)とは。今まで見てきたルールだと、同じ数字の別々のマークの札5枚ということになる。クラシカル以外の別のドゥラークのルールを見ても、同じ数字の別々のマークの札4枚を出すことがあるというのはある。しかし、トランプはマークが4つしかないので、別々のマーク5つというのはおかしいから、なにか違う五枚組のことを言っていると思われる。なお、平井肇の翻訳を見ると「ニニ一」という字に「ピヤチエリク」という振り仮名を振ってあるので、「二枚・二枚・一枚」で表せる何らかのセットを言っているらしい。どうもここではもっと複雑なルールがあるらしいが、いずれにしても魔女が続けざまに強いカードを出してくるのは何かおかしいので、爺さんは「カードを切るときにずるをしたんだ」と考えます。

«Ну, думает, ведьма подтасовала; теперь я сам буду сдавать». Сдал. Засветил козыря. Поглядел на карты: масть хоть куда, козыри есть. И сначала дело шло как нельзя лучше; только ведьма ― пятерик с королями! У деда на руках одни козыри; не думая, не гадая долго, хвать королей по усам всех козырями.

― Ге-ге! да это не по-козацки! А чем ты кроешь, земляк?

― Как чем? козырями!

― Может быть, по-вашему, это и козырь, только по-нашему, нет!

   Глядь ― в самом деле простая масть. Что за дьявольщина! Пришлось в другой раз быть дурнем<...>

 「ふん、魔女がちょんぼしたんだ」と爺さんは考えた。「今度は俺が配るぞ」。配った。切り札を宣言した。手札を見ると、組札は申し分なし、切り札がある。で、初めは事はこの上なくうまく運んだ。ところがそこへ魔女がキングの五枚組(※平井肇訳「王牌キング入りのニニ一ピヤチエリク」)を出すではないか!爺さんの手には切り札ばかり。深い考えはなしに、キングの髭を切り札で叩いた。

「へっへ。コサックらしくないな。旦那、なにでもって叩こうとしてる」

「なにが、なにでもってだ。切り札だぞ」

「お前にとっちゃ切り札かもしれないが、うちでは違うぞ」

 見直すと、本当にただの組札になっている。なんたる奇々怪々、二度目もドゥーレニになってしまった。

 どうも、「五枚組」というのはここではキングを含む何らかの五枚組のカードか、もしくは魔女の魔法でありもしないキング5枚が出てきたと考えるのがいいらしい。では、三回戦はどうなったのか。

<...>сдал в последний раз. Опять идет ладно. Ведьма опять пятерик; дед покрыл и набрал из колоды полную руку козырей.

― Козырь! ― вскричал он, ударив по столу картою так, что ее свернуло коробом; та, не говоря ни слова, покрыла восьмеркою масти.

― А чем ты, старый дьявол, бьешь!

   Ведьма подняла карту: под нею была простая шестерка.

― Вишь, бесовское обморачиванье! ― сказал дед и с досады хватил кулаком что силы по столу.

   К счастью еще, что у ведьмы была плохая масть; у деда, как нарочно, на ту пору пары. Стал набирать карты из колоды, только мочи нет: дрянь такая лезет, что дед и руки опустил. В колоде ни одной карты. Пошел уже так, не глядя, простою шестеркою; ведьма приняла. «Вот тебе на! это что? Э-э, верно, что-нибудь да не так!» Вот дед карты потихоньку под стол ― и перекрестил: глядь ― у него на руках туз, король, валет козырей; а он вместо шестерки спкстил кралю.

― Ну, дурень же я был! Король козырей! Что! приняла? а? Кошачье отродье!.. А туза не хочешь? Туз! валет!..

(...)最終回のカードを出した。また順調に進む。魔女はまた五枚組を出す。爺さんが倒して山札から取ったら、持ち手いっぱい切り札が出る。

「切り札だ!」爺さんが卓にカードを叩きつけると、勢い余ってひっくり返った。相手はなにも言わず、八の組札で倒した。

「ばばあ、いまなにを出した」

 魔女はカードを持ち上げた。下にあったのはただの六だ。

「出たぞ、悪魔のまやかしだ」と爺さんは言うと、いらだって力の限り卓を殴った。

 幸いなことに魔女が持ってるは弱い組札だ。申し合わせたように、爺さんが持ってるのはペアだ。山札からカードを取りにかかるが、やる気が失せる。あまりにくずばかり引くので両手がたれさがるほどだ。山札には一枚もなくなった。もう目をやらず、ただの六で始めた。魔女が受けた。「いやはや!何だ、これは?へへへ、きっと何か間違っているんだ」そこで爺さんはカードをそっと卓の下に持っていくと…十字を切った。見ると、両手には切り札のエース、キング、ジャック。爺さんは六の代わりにクイーンを出した。

「ほら、ドゥーレニ(ばか)だったのは俺だぞ。切り札のキング。どうだ。受けたか?え?猫の一族め!エースはいらんか?エース!ジャック!」

 結局、魔女のまじないという不浄の力に対して、十字架という神聖な力で対抗して勝つという結果でしたが、ドゥーレニ(ドゥラーク)とは強いカードを出し合って戦うトランプゲームであり、絵札とエースが強いということが分かっていればもっとリアルに読めるのではないかと思います。

 『消えた手紙』はソ連時代制作のアニメーションがYouTubeで視聴可能です。

Пропавшая грамота - YouTube

(市川透夫)