2016年4月17日日曜日

ロシアの神話

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神話
Мифология

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文学にはいろいろなジャンルがあります。小説や詩歌もありますし、このブログでは子供向けの作品や、フォークロアをメインに書いてきました。

ところが、まだ神話については一度もふれていません。

日本には、日本人に知られる神話がいろいろあります。
大国主命や、ヤマトタケルという名前は有名ですし、「いなばの白うさぎ」はよく絵本になっています。

では、ロシアにはそもそも神話があったのでしょうか。
その答えは、すぐには出せません。

今でこそロシアはキリスト教の国ですが、キリスト教がやってくる前の大昔のロシアには、土着の信仰がありました。日本人と同じように、自然界にいるさまざまな神様を崇拝していたのです。

ところが、ロシア文学の本や、記事をいろいろ見ても、具体的にどんな神話があったかについてほとんど分からないのです。

ときどき、昔のスラブ人が信仰していた神様の名前(ペルーンやヴェルス)というのが出てきても、それらが登場する物語や伝説について語る資料が、なかなか見つからないのです。

ロシアの神話ってどんなものだろう?

もっと、ギリシア神話みたいに誰誰という神様が誰誰と恋に落ちて、とか、そういうのはないのでしょうか?

と思っていたら、ちょうど、ロシア文学史の本に、神話についての記述がありました。


「...ところが、ロシアの場合は違います。ギリシャのように壮大な体系の神話も、アメリカ原住諸族のように混沌とした豊富な神話も、アフリカのある地方のようにフォークロアと密接に入り組んだ神話も、ロシアには(一般に、スラブ族には)ありませんでした。あるのは、フォークロアや伝説の中に散在する神話の断片だけです。」
(藤沼貴『ロシア文学案内』岩波文庫)


やはり、ロシア(やその他スラブ人)の神話といっても、かろうじて神様の名前がいくつかあがるだけで、私が期待している、ギリシャ神話や、日本の神話みたいな、壮大な物語は、どうもロシアには無いようです。

それでも、一つでいいから何か物語はないものかと探してみると、ロシアの学校で使っている国語の教科書に、神話についてのページがありました

ただし、ここにも、残念な前置きがついていました。「スラヴ人の神話は保存されなかった。神話があるとしたら、それは研究者たちのメモや、一部の小説家たちの作品にバラバラな形で残っている。」とのことです。やはり、断片的な研究資料をつないで、作家たちが足りない部分を想像などで補って創作した『神話』がある、という程度のようです。

そして、一部の小説家が書いた神話の例として、こんなものが載せられていました。ブース・クレセーニ、「ロシアの知らせ」という本に入っている「大地の創造」という話です。

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「大地の創造」

 明るい光が誕生するまでは、この世界は底なしの闇に包まれていた。暗闇の中にただ一つあったのが、ロード(ロシア語で「祖」「生まれ」の意味)という、私たちの最初の祖先である。ロードは天の神スヴァローグを産み、その中に強い魂を吹き込んだ。ロードはスヴァローグに、四つの頭を与えた。世界を見渡せるように。何ものも隠れることのできないように。世界で起こっているあらゆる事に目がとまるように。

 スヴァローグはソーンツェ(太陽)のために、青い天球へと道を作りはじめた。その上を、日々が馬のように駆け抜けていけるように。朝がきたら昼間が燃えるように。昼間のあとに夜が飛んでくるように。

 スヴァローグが空をただよいながら、自分の支配する世界を眺めていた。そこでは、ソーンツェ(太陽)が空を転がっていた。明るいメーシャツ(月)は星々を眺めていたが、その下ではオケアーン(大海)が広がっていて、波を打ち、泡を立てていた。スヴァローグは自分の支配する世界を全て眺めたが、ただ一つ、母なるゼムリャー(大地)が見つからない。
 「ゼムリャー(大地)はどこだ?」スヴァローグはがっかりした。

 そこでスヴァローグは気が付いた。オキアーン(大海)の中に、小さな小さな黒い点が見える。それは点ではなかった。それは、灰色の泡から生まれた、灰色のカモが泳いでいたのである。
 「ゼムリャー(大地)がどこか、お前は知らないか?」スヴァローグは灰色ガモに尋ねた。
 「ゼムリャー(大地)は私の下にあります。オケアーン(大海)の深いところに埋まっています。」

 灰色のカモは三度オケアーン(大海)の中にもぐりこみ、三度目には、一握り分の土をくちばしにくわえてきた。スヴァローグはゼムリャー(大地)を掴むと、手の中でもみ始めた。

 「赤きソーンツェ(太陽)よ、暖めておくれ、明るいメーシャツ(月)よ、照らしておくれ、風よ、激しい風たちよ、吹いてくれ!力を合わせて、土から、母なるゼムリャー(大地)を作りだそう、恵みの大地を...」

 スヴァローグが土をこね、ソーンツェ(太陽)が暖めて、メーシャツ(月)が照らして、風たちが吹いた。風たちが、土をスヴァローグの手から吹き飛ばすと、土は青い海の中に落ちた。赤きソーンツェ(太陽)がそれを暖めると、殻をつけた母なるゼムリャー(大地)が焼き上がった。明るいメーシャツ(月)が、それを冷ました。

 このようにして、スヴァローグは母なるゼムリャー(大地)を創造したのである。

(『文学 5年生 上巻』啓蒙出版より。)

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(文と訳:市川透夫)

2016年4月13日水曜日

宇宙飛行士の日


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宇宙飛行士の日
День космонавтики
4月12日
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4月12日はロシアでは「宇宙飛行士の日」です。
ソ連時代に、ユーリー・ガガーリンが世界で初めての宇宙飛行に旅立った日です。

ロケット発射の時に言った有名な言葉は、

Поехали!
パイェーハリ!
「出発!」

というごくシンプルなものでした。
もう一つガガーリンが言った言葉としては、「地球は青かった」というものがあります。しかし、本当にそう言ったという証拠が実はありません。私は、青い地球を見ながら、地上との通信でそんなコメントをしたのかと思っていたのですが、そうでもないようです。
一節によると、地球に戻ったあとのインタビューで、「地球は青いベールをまとった花嫁のようだった」などと言ったのが元だそうですが...

さて、ロシアではこのような祝日があると、外でお祭りが開かれます。

モスクワにある宇宙飛行士記念博物館(Музей космонавтики)は無料で開放されるのですが、私がモスクワ滞在中に行ってみるととても長い行列ができていました。

で、私は博物館の中に入るのは止めたのですが、代わりに博物館の敷地内で、屋外コンサートが開かれていました。歌や踊りやダンスやサーカス団のパフォーマンスがいろいろとありました。
さて、このコンサートの締めくくりには、ステージ場に横断幕が垂らされました。
そこには、こんなメッセージが。

Будь первым!
最初の人になれ!

最初の宇宙飛行士ガガーリンにちなんでのメッセージです。何において最初になるかどうかはともかく、とりあえず最初になれ、という意味のようです。

むむ、別に最初にならなくてもいいのでは、と思うのですが...

そういえば日本人が最初にやったことってなんだろう。
カラオケや新幹線みたいに、「独自の発明」をしたものはあるのですが、
他の国との競争において一番乗りになったこと、っていうとあまり思いつきません。
IPS細胞なんかそうだっけ...

宇宙飛行士博物館のモニュメント。
とても高く、宇宙を目指して伸びている。

宇宙飛行士博物館のすぐそばにある、ホテル「コスモス」。

(文と写真:市川透夫)


2016年4月10日日曜日

プーシキン『ルスランとリュドミーラ』


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「ルスランとリュドミーラ」
Руслан и Людмила
作:A.S.プーシキン
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詩、と聞いてどんなイメージをお持ちでしょうか。
詩やポエムと聞くと、なんだか非常にロマンチックで、高尚で、なかなか一般人の手に届かないところにあるもの、というイメージがあります。

しかしロシアでは詩は、少なくとも日本と比べれば、非常に身近な存在です。
まだ小学校にも入っていない子供が、プーシキンの詩を暗唱したりするぐらいです。
私のロシア人の友人にも、詩を作るのが好きな人がいます。
そして、ロシアでは詩を書く人というのは大変尊敬されています。

私のロシア人のツレは言いました。

В России поэт больше поэта.
(ロシアで詩人は詩人以上の意味を持っている)。

ロシア文学といえば、外国ではトルストイやドストエフスキーが有名ですが、ロシア国内で一番偉いのは、詩人のプーシキンという人なのです。
外国で詩人があまり有名にならないのは、ロシア語が持っている詩のリズムや面白さが、翻訳ではなかなか伝えられないためです。

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『ルスランとリュドミーラ』という叙事詩があります。
ロシア文学の名作の一つ、作者はプーシキン。

この物語は、王子様が冒険の旅に出る話です。
さまざまな苦難を乗り越え、最後に悪い魔法遣いをやっつけると、お姫様を救い、結婚するというもの。
ロシアの様々なフォークアを元に、プーシキンが作り出したおとぎ話です。

この人は詩人。「ルスランとリュドミーラ」も、全体がリズムを持った詩です。

さて、この王子様とお姫様の物語には、冒頭に序詩が捧げられています。
それは、このおとぎの国へと読者をいざなう、幻想的で面白くてわくわくする名文だと思います。
ロシア人の間では、とても有名です。

「入り江のほとりで」

入り江のほとりには、青く茂った樫の木。
その樫の木には、金の鎖がかかっている。
昼も夜も、学者のネコが、
鎖のまわりをぐるぐる歩き続ける。
右に歩いては歌を歌い、
左に歩いては物語を語る。

そこでは奇跡が起こる。森の妖精がぶらつきまわる、
水の妖精が木の枝に座っている。
そこでは知られざる道の上に、
見たこともない生き物の足跡がある。
ニワトリの脚がついた木の小屋が、
窓もドアもないまま立っている。
森も、谷間も、幻に満ちている。
朝日が昇る頃、海から波が、
ひとけもなく悲しげな岸の上に打ち寄せて、
三十人の美しい戦士たちが、
次々に水の中から、輝きながら現れる。
戦士たちには海の大王がついている。
そこでは王子様が通りすぎて、
悪い王様を連れ去っていく。
そこでは、民の見ている前では、
雲の中を飛んで、森を越え、海を越え、
魔法使いが、勇士を連れて飛んでいく。
暗闇の中では、お姫様が泣いている、
それにはオオカミが忠実に仕えている。
そこでは、バーバ・ヤガーを乗せた木の臼が、
ひとりでに、のろのろ動き回っている。
そこではカシチェイ王が黄金の上で嘆いている。
そこにはロシアの魂がある...ロシアの香りが漂う。
私はそこにいって、ハチミツ酒を飲んでいた。
海のそばで私は、青く茂った樫の木を見た。
その下に座っていると、学者のネコが、
私に物語を語ってくれたものだ。
そのうちの一つを私は覚えている。その物語を、
私がいま世の中の人々に聞かせよう...
(訳:筆者)

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日本人にとってはやや謎めいた部分もありますが、実はここにはロシアのおとぎ話に登場するモチーフがぎゅっと詰め込まれています。

ロシアの素朴な民衆の間に、何百年ものあいだ語られてきたおとぎ話を、プーシキンは近代になって詩として再構成したのです。

今ここに挙げた「入り江のほとりで」に始まる部分は、あるロシア人いわく、「保育園で暗記した」とのことです。
プーシキンが「国民詩人」と言われるのも分かる気がします。

モスクワ郊外にある「学者のネコ」像

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日本語版

昔むかし、おばあさんが川へ洗濯に行きました。
すると川上から大きな桃と、お椀に乗った一寸法師が流れてきました。
家に帰って桃を割ると、桃太郎と金太郎が出てきました。
桃太郎jと金太郎と一寸法師は、鬼ヶ島へ鬼退治に行きました。
鬼ヶ島では鬼たちが亀をいじめていました。
英雄たちが亀を助けると、亀はお礼に、みんなを竜宮城へ連れて行きました。
竜宮城ではおにぎりがおむすびころりんすってんてん(以下略)

(文:市川透夫)

2016年4月9日土曜日

ロシアの桜(2)

以前は、チェーホフの『桜の園』に出てくるサクラが一体なんなのかについて出来る限り考えてみたわけですが、今回は別の作品に出てくるサクラを考察しようと思います。

それは、ゴーゴリの『五月の夜、または身を投げた女』です。

この小説はずっと前にこのブログで紹介しましたが、私が個人的に翻訳し、絵本にした作品でもあります。

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さて、翻訳という作業をしているとさまざまな困難にぶつかりますが、その一つに、「植物の名前をどう翻訳するか」という問題があります。

植物の名前というのは、ロシア語と日本語では一対一で対応していない場合が多いので、自分では正解だと思う訳をつけても、花に詳しい人から見れば違うということがあるのです。

仮にロシア人を相手に通訳するのであれば、「これはヤナギの一種です。ロシアで見るヤナギとはすこし違うと思いますが」といえばその場をしのげます。

ですが、これはあくまで緊急対処法にすぎません。文学作品や学術論文といった文章を翻訳をするとなると、「ヤナギの一種」ではなくて、きちんとした日本語訳をつけなければなりません。

つらいことに、ゴーゴリの「五月の夜」には、植物が頻出します。
ここでは、作品に出てくるサクラやその仲間にあたる植物を挙げます。

вишня(ヴィーシニャ) オウトウ
черешня(チェレーシニャ) セイヨウミザクラ、甘果オウトウ(ヨーロッパ産オウトウの一種)
черёмуха(チリョームハ) エゾノウワミズザクラ

右につけた和訳は、「岩波ロシア語辞典」によります。
やはり一対一対応してない可能性があるので、あまり露和辞典の訳に頼るのは心もとない気がします。
それに、「セイヨウミザクラ」ではなんだか説明的で、いかにも翻訳調という感じがするし、また読者にはイメージしづらい。
この物語において植物とは、ウクライナの夜の風景を美しく彩る大切な要素だと思うので、やはりポエティカルで、かつ分かりやすい翻訳にしたいと考えました。

そこで、前回「桜の園」でやったように、まず学名などを調べ、植物としての正確な分類を把握することから始めました。さらに、日本語としては、普段の生活でもなじみがあり、分かりやすい単語の中から、もっとも意味的に近く、訳としても無難(と思われる)ものをあてることにしました。

結果として、私はこのような形で翻訳することにしました。

вишня(ヴィーシニャ) サクラ
черешня(チェレーシニャ) サクランボ
черёмуха(チリョームハ) イヌザクラ

さて、ここで「イヌザクラ」については注意する必要があります。
学名を調べてまでして正確さに注意を払ったにも関わらず、ここで言わなければならないのは、「イヌザクラ」は正確とはいえないということです。

まずロシア語のチリョームハは、Prunus padusです。

チリョームハは、Prunus padusなのだから、素直にPrunus padusを日本語でなんというのか探せばいいのではないかという話になります。

ところが、Prunus padusを日本語にすると、「エゾノウワミズザクラ」というえらい長いものになります(上の露和辞典の訳は正確だったといえます)。エゾをとって「ウワミズザクラ」にしたらそれは別の種類になってしまうし、どちらにせよ七文字というのは長い気がする。「エゾノウワミズザクラ」を文章の中に入れてみると、なんだかリズムが良くない感じがする。

そこで、私は昔の人がどう訳したかを参考することにしました。昔の人とは誰かというと、明治時代のロシア文学翻訳家、二葉亭四迷です。
二葉亭四迷といえば、ロシアの小説を精密な逐語訳によって翻訳し、明治の文学界に新しい風を吹き込んだ人物。
二葉亭なら、明治時代らしい抒情豊かな日本語で、このチリョームハを翻訳したかもしれない。
そこで探してみると...

「犬桜」*

はて。
日本語のイヌザクラ(犬桜)はPrunus buergeriana。なんだかまた新しいものがでてきた。もしかして誤訳だろうか。しかし誤訳になるにしてもなっただけの理由がありそう。

そこで、ためしに、このイヌザクラの写真を探してみると...

写真で見たところ、「イヌザクラ」とは、桜に似た花が集まって、細長い房を作っていて、ぱっと咲いたところは華やか。六月には、サクランボより小さな実を結ぶ。

なんだか、ロシアの「チリョームハ」と似ているのです

そして、私はチリョームハは「イヌザクラ」にしてしまいました。違うのは分かっているけれども、形がよく似ているし、第一に「二葉亭四迷が訳をつけた」という意味で、何らかの権威がある。何か指摘されたときは「でも二葉亭が...」と言い訳すれば済む(?)。

ちなみに、ここに挙がったサクラやその仲間の名称は、別に高度な専門用語ではなく、ロシアではごく一般的な植物です。街にも咲いていますし、スーパーにいけばジャムが売っています。

というわけで、「サクラ」をめぐる問題は、いったんここで考えるのをやめとしました。

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*二葉亭四迷は、同じくゴーゴリの書いた作品『むかしの人』の中で、この訳をあてています。『むかしの人』は、一般的には『昔気質の地主たち』というタイトルで翻訳されています。「五月の夜」と同じくウクライナを舞台にした物語です。

⦅追記⦆
やはりチリョームハの訳語として、「イヌザクラ」という別品種の名前をあてるのは間違いという考えが強くなりました。エゾノウワズミザクラが長くてダメなら、ここはひとつ、「房桜」「ジングル桜(?)」とか造語しちゃうのも手かもしれない。
(2018年3月20日)

(文:市川透夫)

2016年4月3日日曜日

ロシアの桜

『桜の園』に出てくる桜はどんな花?
Вишнёвый сад


『桜の園』というお芝居があります。
もともとロシアのチェーホフという作家が作った作品ですが、日本ではよく上演されます。
チェーホフの作品では、ほかに『三人姉妹』も有名です。

『桜の園』というのは、ある貴族の奥さんの話です。奥さんは田舎にお屋敷を持っていて、その庭は桜の木が並んでいます。
しかし、奥さんはだんだんお金が無くなっていって、昔のような豊かな暮らしができなくなりました。
この花咲くきれいなお屋敷も捨てなければならなくなります。

ところで、ここで出てくる「桜」。桜といえば日本の花で、寒いロシアのイメージとはあまり結びつきません。

ここで、一つの課題が生じます。「桜の園」の「桜」って、日本人のイメージするものとは違うんじゃないか?

そこで、日本語とロシア語の両方から比較・検討してみましょう。

日本人が4月にお花見するあの花は、正式には「ソメイヨシノ」といいます。学名はPrunus× yedonesisと言って、「yedo(江戸)」という言葉が入っている所からも、日本固有種ということが分かります。
なんでも、江戸時代に、園芸職人が人工交配して生み出した木のようで、自然発生したわけではないようです。しかしあとで植林が進み、今では日本でサクラといえば、まずこのソメイヨシノのことを指すようになりました。

一方、チェーホフの戯曲に出てくるのは、ロシア語で「ヴィーシニャ」というもの。
たいていの場合、「サクラ」という日本語が当てられますが、今回はそういった定訳は無視して、一からこの「ヴィーシニャ」という単語の訳について考えてみましょう。
ヴィーシニャの学名は、prunus。どうやら、サクラ属の植物の総称を言うようです。
つまりヴィーシニャとは、ヒカンザクラ、スミミザクラ、ヤマザクラ、ヒマラヤザクラなどなどを含めた「総称」です。その中には当然ソメイヨシノも含まれます。ソメイヨシノの学名はPrunus× yedonesisです。ここにもPrunusという言葉が入っているのは、ソメイヨシノがヴィーシニャの仲間の一つであるということを示しているのです。

しかし。
ヴィーシニャ=ソメイヨシノとは言えません。
これはあくまで、ヴィーシニャと呼ばれる植物の中に、ソメイヨシノが含まれているかもしれないというだけです。
ロシア人が「ヴィーシニャ」と言ったとき、もしかしたら、それがヤマザクラやヤエザクラのことを指しているかもしれないのです。

では、重要な問題に入ります。実際にチェーホフ自身が、何を念頭に置いて作品を書いたかです。
チェーホフがヴィーシニャという言葉の念頭に置いていたのは、一体どういう花でしょう。

少なくとも、作品の内容から言っても、それが灌木や茂みに咲く花ではなく、「木」であることは確かです。
ですが、やはりソメイヨシノは日本で江戸時代に人工交配から生まれた品種。
19世紀ロシアの、貴族の田舎の屋敷に、それがたくさん植えてあるとは考えられません。

そのため、チェーホフが想像していたのは、おそらくソメイヨシノよりも幹が細かったり、場合によってはサクランボの実を付けている、ヨーロッパ生育の品種なのではないでしょうか。
実際のところ、ロシアには「ヴィーシニャ」から作ったジャムもあるので、これが、サクランボやチェリーをはじめとする“実ザクラ”である可能性は十分あります。

この『桜の園』という戯曲、日本語では何度か翻訳されていて、本屋さんでも簡単に見つけられます。実は、その中には『さくらんぼ畑』というタイトルで訳されたものが一種類だけあります。
おそらく、日本とロシアで、サクラというものに対するイメージが違うことを考慮に入れて、このようなタイトルに翻訳したのかもしれません。

まとめると、「桜の園」というタイトルは誤訳ではないにしても、日本で定番のソメイヨシノとは違う種類の花だよ、となります。

では、チェーホフは日本のサクラのことを知らなかったのでしょうか?そういえば、チェーホフはいちど日本を訪れていたそうです。そのときに、サクラを見るチャンスはあったんでしょうか。これについてはもっと調べる必要があります。

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そういえば有名な伝説で、アメリカ大統領のワシントンは、子供時代にお父さんの大事な桜の木を切ったという話があります。あの桜も、おそらく欧米に咲いている品種で、日本とは違うものだったのでしょう。

(文:市川透夫)

2016年4月2日土曜日

ペチカ

詩人・北原白秋の作詞した歌に「ペチカ」という曲があります。

雪の降る夜は楽しいペチカ
ペチカ燃えろよお話しましょ
昔昔よ燃えろよペチカ

このペチカというのは実はロシア語で、暖炉のこと。

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ロシアは寒い国なので、家の中に暖炉があります。ロシアの民話などでもこのペチカは何度も出てきます。

この暖炉は大きく、上の平べったくなったところは横になって眠ることができます。暖炉の上にじかに寝るので大変あたたかいのです。
体の弱いおじいさんなどは、ここで休みをとります。

ロシアの民話『カワカマスの命令により』では、エメーリャという若者が出てきます。エメーリャはなまけもの。仕事はせずに、ペチカの上で寝てばかりいます。

アニメ「カワカマスの命令により」


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ところで、ヨーロッパにチェコという国があります。このチェコで生まれた児童小説に、『黒猫ミケシュの冒険』という話があり、日本語でも読むことができます。

そこでは、農家の家のなかに暖炉があるのですが、ここでも暖炉の上で男の子が寝ているのです。暖炉を寝床として使用するのは、ロシアだけではないのかもしれません。

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もう4月、ロシアでも冬は終わったそうです。5月になれば、サクランボの花が咲いてきれいになると思います。

(文:市川透夫)