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「ルスランとリュドミーラ」
Руслан и Людмила
Руслан и Людмила
作:A.S.プーシキン
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詩、と聞いてどんなイメージをお持ちでしょうか。
詩やポエムと聞くと、なんだか非常にロマンチックで、高尚で、なかなか一般人の手に届かないところにあるもの、というイメージがあります。
しかしロシアでは詩は、少なくとも日本と比べれば、非常に身近な存在です。
まだ小学校にも入っていない子供が、プーシキンの詩を暗唱したりするぐらいです。
私のロシア人の友人にも、詩を作るのが好きな人がいます。
そして、ロシアでは詩を書く人というのは大変尊敬されています。
私のロシア人のツレは言いました。
В России поэт больше поэта.
(ロシアで詩人は詩人以上の意味を持っている)。
ロシア文学といえば、外国ではトルストイやドストエフスキーが有名ですが、ロシア国内で一番偉いのは、詩人のプーシキンという人なのです。
外国で詩人があまり有名にならないのは、ロシア語が持っている詩のリズムや面白さが、翻訳ではなかなか伝えられないためです。
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『ルスランとリュドミーラ』という叙事詩があります。
ロシア文学の名作の一つ、作者はプーシキン。
この物語は、王子様が冒険の旅に出る話です。
さまざまな苦難を乗り越え、最後に悪い魔法遣いをやっつけると、お姫様を救い、結婚するというもの。
ロシアの様々なフォークアを元に、プーシキンが作り出したおとぎ話です。
この人は詩人。「ルスランとリュドミーラ」も、全体がリズムを持った詩です。
さて、この王子様とお姫様の物語には、冒頭に序詩が捧げられています。
それは、このおとぎの国へと読者をいざなう、幻想的で面白くてわくわくする名文だと思います。
ロシア人の間では、とても有名です。
「入り江のほとりで」
入り江のほとりには、青く茂った樫の木。
その樫の木には、金の鎖がかかっている。
昼も夜も、学者のネコが、
鎖のまわりをぐるぐる歩き続ける。
右に歩いては歌を歌い、
左に歩いては物語を語る。
そこでは奇跡が起こる。森の妖精がぶらつきまわる、
水の妖精が木の枝に座っている。
そこでは知られざる道の上に、
見たこともない生き物の足跡がある。
ニワトリの脚がついた木の小屋が、
窓もドアもないまま立っている。
森も、谷間も、幻に満ちている。
朝日が昇る頃、海から波が、
ひとけもなく悲しげな岸の上に打ち寄せて、
三十人の美しい戦士たちが、
次々に水の中から、輝きながら現れる。
戦士たちには海の大王がついている。
そこでは王子様が通りすぎて、
悪い王様を連れ去っていく。
そこでは、民の見ている前では、
雲の中を飛んで、森を越え、海を越え、
魔法使いが、勇士を連れて飛んでいく。
暗闇の中では、お姫様が泣いている、
それにはオオカミが忠実に仕えている。
そこでは、バーバ・ヤガーを乗せた木の臼が、
ひとりでに、のろのろ動き回っている。
そこではカシチェイ王が黄金の上で嘆いている。
そこにはロシアの魂がある...ロシアの香りが漂う。
私はそこにいって、ハチミツ酒を飲んでいた。
海のそばで私は、青く茂った樫の木を見た。
その下に座っていると、学者のネコが、
私に物語を語ってくれたものだ。
そのうちの一つを私は覚えている。その物語を、
私がいま世の中の人々に聞かせよう...
(訳:筆者)
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日本人にとってはやや謎めいた部分もありますが、実はここにはロシアのおとぎ話に登場するモチーフがぎゅっと詰め込まれています。
ロシアの素朴な民衆の間に、何百年ものあいだ語られてきたおとぎ話を、プーシキンは近代になって詩として再構成したのです。
今ここに挙げた「入り江のほとりで」に始まる部分は、あるロシア人いわく、「保育園で暗記した」とのことです。
プーシキンが「国民詩人」と言われるのも分かる気がします。
モスクワ郊外にある「学者のネコ」像 |
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日本語版
昔むかし、おばあさんが川へ洗濯に行きました。
すると川上から大きな桃と、お椀に乗った一寸法師が流れてきました。
家に帰って桃を割ると、桃太郎と金太郎が出てきました。
桃太郎jと金太郎と一寸法師は、鬼ヶ島へ鬼退治に行きました。
鬼ヶ島では鬼たちが亀をいじめていました。
英雄たちが亀を助けると、亀はお礼に、みんなを竜宮城へ連れて行きました。
竜宮城ではおにぎりがおむすびころりんすってんてん(以下略)
(文:市川透夫)
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