2015年7月25日土曜日

おおきなかぶ

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『おおきなかぶ』
РЕПКА
(ロシア民話)
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いままでアニメの話ばっかりだったので、絵本の話題を。

 子供の本と大人の本との違いは何かという問いには、いくつか答え方があると思う。ただ一つ挙げるとするならば、大人向けの本が、新作が短期間で一気に売れるという場合が多い一方、絵本は、良い本が少しずつ何年も売れ続け、ロングセラーになるというパターンが多いという点がある。

 そんな中、福音館書店から1966年に発行された「おおきなかぶ」は、広い世代ですっかりおなじみになった絵本の一つである。ある調査によれば、売上はおよそ250万部、絵本全体で見ると第6番目とのこと(情報源http://nendai-ryuukou.com/article/072.html)。小学校の国語の教科書にも掲載された。実はこれは、ロシアの民話。この物語が日本でこんな有名だと知ったら、ロシア人の方はどんな反応をするだろうか。こんどロシアの友人に話してみようと思う。

 ストーリーはシンプル。おじいさんが植えたかぶが、とっても大きくなった。あまり大きいので、一人ではとても抜けない。おじいさんはおばあさんを呼び、おばあさんは孫娘を呼び...というふうに、かぶをひっぱる列は一人ずつ大きくなっていく。みんなで力を合わせた結果、やっとのことかぶは抜けた。
 昔話の中でも典型的な、積み重ね型の物語である。

 このお話のびっくりするところは、まずかぶが巨大に成長すること。特に何の説明も前置きもなく、いきなり大きなかぶが登場する。常人の発想ではない。

 自動車ほどはある大きなかぶ。本当の世界で見たことはないけれども、きっとおじいさんが心をこめて育てたに違いない。だから大きくなったのだ。こんな大きなかぶは、ぜひとも抜きたい。

 おじいさんは一人でひっぱってもなかなか抜けない。そこで次におばあさんを読んだ。おばあさんがおじいさんを、おじいさんがかぶを引っ張る。今となっては、腰を痛くしないかとか心配になる。「うんとこしょ、どっこいしょ!」と声を合わせるが、かぶはなかなか抜けない。

 おばあさんは孫娘を呼び、今度は3人で引っ張る。なぜお父さんとお母さんを飛ばして、孫娘が来たのかよく分からない。若い夫婦は働きに出たのかもしれない。あるいは他の民話がそうであるように、老夫婦のもとへ偶然やってきた子供かもしれない。たとえば桃太郎で、桃から男の子が生まれたように、かぐや姫が竹の中から現れたように。ロシアの話だから、雪でできた雪娘かもしれない。ともかくも孫娘が加わったが、三人では、かぶは抜けなかった。

 今度はイヌが、ネコが、と動物まで仲間に加わる。まだ抜けない。もうネコがきたあたりで抜けてもいいんじゃないかと思うのに、だめ。そろそろお話を聞いてくる方にも冷汗が流れる。

 そこでネズミが加わる。このネズミ、あまり頼りないが、このネズミのわずかな力が加わったことで、とうとうかぶが抜けるという運びになった。ネズミのわずかな力も、この時ばかりは非常にありがたい存在となったわけである。

 さて、やっとのことで抜けた大きなかぶを、スープにするか煮物にするか、そこは読む人の想像の自由。ちなみにロシアではどう食べるのかロシア人に聞いてみたところ、蒸したり、ふかしたりしてそのまま食べたり、お肉の付け合わせにしたり、チーズと一緒に食べたという話が出てきた。

 というわけで、「いぬがまごむすめを、まごむすめがおばあさんを、おばあさんが...」という風にますます長くなる列、それにあわせて言葉も鎖のようにつながっていくところに、この話の面白さがあるのだが、もう一つ、日本語で読まれる「おおきなかぶ」にはもうひとつ味噌がある。それは、かぶをひっぱるときの、かけことば。

うんとこしょ、どっこいしょ!

 これに相当するロシア語はない。ロシア語でこの民話を読んでも、そこには「引っ張った、引っ張った」という意味の動詞(Тянут, потянут)があるだけ。そのまま日本語にしても味気ないのを、リズミカルなフレーズに変えたのは、一に「おおきなかぶ」を翻訳した内田莉莎子さんの力量である。

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 ちなみに、このお話の原典とはどんなものだろうか。いま絵本になっている昔話はふつう、絵本にするために、誰かがやさしい言葉で書き直したもの。実際にはどこかに原典が存在する。
 日本で翻訳された「おおきなかぶ」の絵本は、アレクセイ・トルストイの再話が元になっている。しかし元々は民話であり、ロシアの農村において、大昔から口伝えによって代々語り継がれてきた、フォークロアである。
 ロシアでは19世紀に、アファナーシエフという文学者が、ロシア各地の民話を収集し、「ロシア民話集」を編纂した。その民話集の中に、「かぶ」という題の話が収録されている。
 内容は、大きなかぶをおじいさんが引っ張るのを、おばあさんや孫娘たちが手伝うというもの。ところが、子犬の後に来たのは、なんと「足」。

「...みんなでうんうんひっぱるが、どうしても引き抜けない。そこへ子犬がやってきた。子犬が孫娘につかまり、孫娘がおばあさんにつかまり、おばあさんがおじいさんにつかまり、おじいさんが蕪をつかんで、みんなでうんうんひっぱるが、どうしても引き抜けない。そこへ一本の足(?)がやってきた。足が子犬につかまり、子犬が孫娘につかまり、孫娘がおばあさんにつかまり、おばあさんがおじいさんにつかまり、おじいさんが蕪をつかんで、みんなでうんうんひっぱるが、どうしても引き抜けない。そこへ二本目の足がやってきた。二本目の足が最初の足につかまり、その足が子犬につかまり、子犬が孫娘につかまり、孫娘がおばあさんにつかまり、おばあさんがおじいさんにつかまり、おじいさんが蕪をつかんで、みんなでうんうんひっぱるが、どうしても引き抜けない。(こうして五本目の足までつづく)五本目の足が四本目の足につかまり、四本目の足が三本目の足につかまり...みんなでうんうんひっぱると、とうとう蕪が引き抜けた。」(中村喜和訳)

 足がひとりでに歩いてくるのはどういう意味か。しかもそれが孫娘を「つかむ」とは?そして一本だけでなく、5本も出てくるのはなぜか?これは、アファナーシエフ自身も解明不可能だったようで、本文の中に「?」を置いている。人から人へ伝わっていく伝承ということで、ときどきこういう理不尽なことが起きる。

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(追記2017/2/2)
最近聞いた話では、日本政府の高官に、小学校の国語の教科書に「おおきなかぶ」を載せることを好んでいない人がいるらしいです。なんでも内容が社会主義的だからとか。
たしかに、この本をアレクセイ・トルストイが再話したのはソ連時代のはずなので、内容が社会主義的になるのはしかたないかも。

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『おおきなかぶ』 A・トルストイ、佐藤忠良絵、内田莉莎子訳。福音館書店、1966年。
(筆者:市川透夫)

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