2015年10月23日金曜日

アレクサンドロフ ~歴史ドラマの舞台~

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アレクサンドロフ ~歴史ドラマの舞台~
Александров
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 ロシアの皇帝に、イワン雷帝というのがいます。

 カザン征服など有能な面を見せましたが、一方でお妃の死をきっかけに精神を病み、多くの家臣を殺し、数えきれないほどの人々を処刑や拷問にかけた残忍な人物でした。

 モスクワのトレチヤコフ美術館には、イワンが息子を殺害する一場面を描いた有名な絵画があります。

 そのイワン雷帝が17年間近く居を構え、事実上のロシアの首都ともなっていたのが、アレクサンドロフです。

 皇帝が住んでいた16世紀のアレクサンドロフは、リームスキー=コルサコフのオペラ『皇帝の花嫁』の舞台となっています。

 この町は厳密に言うとウラジーミル州にあるため、いわゆる「モスクワ郊外」と呼ばれるモスクワ州の町とは違うのですが、それでも電車で2時間程度なので、日帰りは十分可能です。

 さて、首都モスクワから郊外列車に乗ってアレクサンドロフ駅に到着し、20分ほど歩くと、目的の博物館「アレクサンドロフスカヤ・スラボダー」が見えます。

 壁で囲まれた敷地の中に教会や、展望台、宮殿、博物館があります。見どころはいっぱい。一日かけて残らず見ることをお勧めします。

入口。
この年は、10月に雪が降りました。
ロシアとはいえ10月の降雪は珍しいそうです。
白い壁が中世の雰囲気を出しています。
中に入ると、映画「イワン4世」の中にあるような、古いお城の造りになっています。
昔の時計。

 小学生が遠足で大勢きています。先生が博物館の中で引率して、なにか説明をしています。前のほうではちゃんと聞いていますが、後ろの列ではふざけていたりして、日本とあんまり変わらない。

展望台から。
展望台から(2)。
きれいな場所です。

 敷地の中には木の家があって、そこには猫が住み着いていたり、親切な館員の人に説明してもらえたりします。

 ちなみに展示内容自体は、中世から近代まで幅広いので、さまざまな場所を歩き回ってもあまり飽きないと思います。

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 博物館から駅まで戻る途中で、偶然、マリーナ・ツヴェターエワの家博物館を発見しました。マリーナ・ツヴェターエワとは20世紀のロシアの詩人で、技巧を凝らした作品で知られます。私は大学では、ツヴェターエワが好きな先生のもとでロシアの詩を勉強し、ツヴェターエワの伝記も読んだのですが、内容をすっかり忘れてしまいました。こんなところで「ツヴェターエワの家」とかかれた看板を見つけ、アレクサンドロフとゆかりがあったなんて、と不意打ちをくらった気分です。

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◆アレクサンドロフへの行き方◆

 モスクワ市内・ヤロスラブリ駅(Ярославский вокзал)から、郊外列車エレクトリーチカで、アレクサンドロフ駅(Александров)まで。二時間ほど。
(文と写真:市川)

2015年10月21日水曜日

モジャイスク ~牛乳とクレムリン~

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モジャイスク ~牛乳とクレムリン~
Можайск : Кремль, молоко...

 
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 モジャイスクという町にもクレムリンがあります。ただし、今までのドミートロフやコロームナとは違い、ただ門といくつかの壁や教会があるだけで、本当にひっそりとしています。

住宅地の中にひっそりとたたずむ門。

中は草木の生える公園。市民の憩いの場になっている。
地形上、クレムリンは丘の上にある。崖からは、このように郊外の村が見える。
あるロシア人の教師いわく、「モスクワは外国人の入り乱れる現代都市で、もはやロシアではない。もし本当のロシアの姿を見たければ、電車で一時間や二時間郊外に出ていく必要がある」とのこと。この先生の言葉に従うなら、ロシアのいろんな姿を見るという意味で、郊外への遠出はとても意義深いことだと思います。

 ちなみにロシアの本当の田舎は電気すら通っていないらしいので、モジャイスクどころではないようです。

 他にこの街には、立派な修道院や教会などがあるようなのですが、そこには行けませんでした。

 これまでは、歴史的地区の散策でした。日本でもロシアでも、何か一つの街を見る場合、ときどき「歴史的中心」と「経済的中心」が離れている場合があります。駅や商店街、仕事場など経済活動が集中している場所と、古い建造物など歴史的な名勝が集まる場が、離れていることがあるからです。
 
 ところで、モジャイスクは、「英雄の町」という異名を持っています。それは、近い過去に戦場となり、ロシア人が勇敢に戦ったためです。第二次世界大戦のとき、モスクワを目指す敵の侵入を防ぐため、壁となったのが、モジャイスクでした。それゆえ、戦死者をたたえる記念碑がいくつもあります。

中心に見える赤い炎は、「永遠の火」と呼ばれる。
ロシアの多くの戦争記念碑に置かれている。
それは一年中消えることがない。

 ちなみにモジャイスクは牛乳を作っているところらしく、屋台で「モジャイスクの牛乳」として売っています。おみやげに買うと良いと思います。腐りますが。

日本でいうコンビニがない代わり、外国の町では屋台がいっぱいある。

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◆モジャイスクへの行き方◆

モスクワ・ベラルーシ駅(Белорусский вокзал)から郊外列車エレクトリーチカで、モジャイスク駅(Можайск)へ。2時間程度。
(文と写真:市川)

2015年10月18日日曜日

ドミートロフ ~コンクール第一位の町~

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ドミートロフ ~コンクール第一位の町~
Дмитров : Город, занявший первое место на конкурсе городов
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 かつてモスクワ郊外の町どうしでコンクールが開かれたとき、ドミートロフは一位を獲得しました。それだけのことはあって、ここは名所旧跡が多く、新しい建物がある一方で、古い趣きの民家も残っていて、清潔で、楽しい場所です。
 
 町の真ん中には、クレムリンがあります。ロシアのクレムリンといえば、モスクワにあるのが一番有名ですが、ロシアでは古い町であればほとんどあります。そもそもクレムリンとは城塞のこと。強い壁で守られた中に、教会や民家などの建物が入っていました。中世の人々は、このようにクレムリンの中で暮らしていたということです。
 
 ドミートロフのクレムリンは、モスクワの立派なものと比べると小さく、壁もほとんど残っていません。その代り公園のようになって人々に解放されています。

いざ入城。門はレンガではなく木でできています。
門の向こう。
ロシアの教会。
教会の近くにあったのは、
ロシア語のアルファベットを作った二人、
キュリロスとメトディオスです。
 教会のそばに、なぜかキュリロルとメトディオスの像。この二人は、ロシア語のアルファベットをつくった人物として知られています。ロシア語は、多くの方が見ている通り、英語とは違う形の文字で書きます。
 
 昔ロシア人は文字を持たない民族でした。しかし、宣教師だった弟キュリロスと兄メトディオスの兄弟は、そのロシア語で聖書を書くために、ギリシャ文字を元にして、新しく文字を作りあげました。
 
 兄よりも弟キュリロスの方が活躍したことから、ロシア語で使う文字はキリル文字と呼ばれています。
 
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 もともと壁があった場所は、今では丘になっており、上をぐるぐると歩けば、クレムリンを一周できます。
 
丘の上から町が見下ろせます。

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 クレムリンの敷地を抜けると、田舎風の建物や、面白いミュメントの立ち並ぶ、かわいらしい通りに出ます。
 
木造の建物。色遣いや窓枠がかわいい。
 
たぶん童話の登場人物。
立ち並ぶ。
  このほかに修道院や博物館など興味深い場所はありますが、クレムリンや、その周辺の美しく整えられた街を見ていただけでも、この町が郊外の町で一位に選ばれた理由が分かる気がします。
 
市街地。
 
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ドミートロフへの行き方
 
モスクワ市内のサヴョーロフスカヤ駅(станция Савёловская)から郊外列車エレクトリーチカでドミートロフ駅(Дмитров)へ。1時間15分ほど。
(文と写真:市川)

2015年10月16日金曜日

コロームナ ~城壁の内側に町がある~

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コロームナ ~お城の内に町がある~
Коломна : На территории кремля живут люди 
 
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 首都のモスクワから、郊外へ向かう汽車に乗って二時間。車窓に見える景色は、すっかり田舎。
 
 コロームナ駅で車両を降りると、そこは舗装すらされていない土の道。あたりは木造の田舎家ばかりで、ときどき犬が鳴く以外は、人の気配がないほどひっそりしています。
 


お店なのか、やたらいろいろな人形を飾った家。
なんだかすごい辺鄙な場所に来てしまったような気がします。しかし、市の中心へ向かって歩くにつれて、だんだん景色が開けてくるので、不安は解消されていきました。
 
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クレムリン入口。右横には、パンの博物館。
 
クレムリンの城壁。
 
 コロームナには立派なクレムリン(壁で囲まれたお城)があります。モスクワほど大きくはありませんが、巨大な城壁は見上げるほど大きく、とても見ごたえがあります。
 
 ここのクレムリンは城壁の中に、いろいろな教会や、学校、博物館、お店、さらには民家があり、街のようになっています。

 かつてロシアの中世の人々は城壁の内側に家や商店を構えて、暮らしていました。モスクワなどのクレムリンは、すっかり博物館のようになっています。しかしコロームナでは今でも、中世のようにクレムリンで囲まれた地域内に町があるのです。
 
教会が並ぶ、クレムリンの中心部。

民家か、それとも施設か。
いずれにしても、一般人の生活の場らしい。
 

 クレムリン内の博物館ではたまたま、路面電車についての特別展示がしてありました。実はコロームナは路面電車と縁の深い町です。1918年には、電車を敷設する計画が上がりました。そのあと内戦などでストップしましたが、戦争の終わった1948年に工事が始まりました。
 
 工事のときは、なんとすべての市民が駆り出されました。建設者は、市民を役割分担させて、すでにいる労働者への手助けをさせたのです。同じ年のうちに路面電車は開通し、それからも路線は増えつづけ、コロームナの路面電車は発展しました。
 
 
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 コロームナの名物は、「パスチラー」と呼ばれるリンゴを使ったロシア伝統のお菓子。スーパーなどでも売っていますが、こうしたところで売っているパスチラーは伝統的な製法で作られた本格的なもので、色も味も違います。
 
 そして、「カラーチ」という南京錠のような形をしたパン。これは、外側がカリカリしていますが、中はモチモチ。塩味も砂糖もありませんが、とてもおいしいです。
 
 
 コロームナには、街のあちこちに、「パスチラー博物館」など小さな博物館がたくさんあります。クレムリンの門のすぐそばにある「パンの博物館」では、このカラーチの販売をしています。なお展示を見学をするときはガイドの案内付きで、必ず電話での予約が必要なので注意。
 
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◆コロームナへの行き方◆
 
 モスクワ・カザン駅(Казанский вокзал)から郊外列車エレクトリーチカでコロームナ駅(Коломна)へ。所要時間二時間程度。

(文と写真:市川)

2015年10月12日月曜日

リュ―ベルツィ ~ふつうのソビエト式の町~

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リューベルツィ ~ふつうのソビエト式の町~
Люберцы : обыкновенный советский город
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 前回のラーメンスコエにしても、今回のリューベルツィにしても、一般の観光客が訪れることはない、ごく普通の町です。ソ連式の集合住宅が残る以外は、これといった名所旧跡があるわけでもないので、「リューベルツィに行った!」とロシアの人たちにいっても、どうしてそんなところに行ったの?と聞かれることが多いです。
 
 しかしどの町にも何か面白い場所はあるわけで、ことに日本人からすれば、典型的なロシアの町こそ、もっとも興味深いものといえます。
 
 このリューベルツィはモスクワのすぐ隣の町で、電車で30分程度。
 
主婦の未来は明るい
 ロシアを歩いていると、様々な場所にソビエト時代の遺産を認めることがあります。ちょっとしたところにレーニンの銅像が建っていたり、建築物に共産主義の星の紋章がしてあったりする。
 
 このリューベルツィも、ウラジーミル・イリイチの銅像はもちろんのこと、一般の集合住宅にこんなソビエトのモザイク画がついていて、びっくりするわけです。
 
 よく計算してみると、ソビエトが崩壊したのはもう25年は前のことになるので、今のうちは「懐かしい」で済んでいる話でも、そのうち誰も知らない大昔になってしまうのかと思うと、なんだかつまらないような儚いような。
 
人類初の宇宙飛行を行った宇宙飛行士ガガーリンは、
子供時代にリューベルツィの学校に通っていたとかで、
こんな銅像が建っています。
人生の中で何回か住む場所を変えたガガーリンは、
いろんな町でそれぞれ「名誉市民」の栄誉を預かっているようです。
 
 
消防署。「01」は消防車を呼ぶ番号。
 
消防署の横は、昔の消防車の展示。
 
1919年の消防用ポンプ。手動だとか。
 
 さて、日本とは違い、ロシアは軍隊を持っていて、何かあれば戦争もするわけです。5月9日はロシアでは戦勝記念日なので、盛大にお祝いします。赤の広場では軍事パレードで戦車やミサイルが出てくるし、方々でお祭りを開いたり、軍歌を歌ったりと、なんだか賑やかです。
 
 8月の終戦記念日をつつましく過ごす日本人からすると、個人的にこの大きなギャップには驚くものですが、外国ではこんなものなのかなと思います。
 
 このリューベルツィは、地図を見てみると、「地区A」「地区B」という妙な住所表記があります。しかも、普通の町なら、通りにも「キーロフ通り」「カール・マルクス通り」「レオンチエフスキー横丁」のように名前があるのに、それもありません。ただ「1番」「2番」…という番号があるだけ。
 
 というのも、ここはもともと、よそからは入れない軍隊の駐屯地だったので、こんな変な住所表記が残っているわけです。
 
空軍をたたえる軍事プロパガンダ。ここから「地区A」が始まる
「1」という番号の表示だけ。通りの名称はない。
 
 現在は普通の住宅地なので、一般人が居住しています。
 
 町を一回りすると、やがて「ナターシンスキー池」という大きな公園と池が見えます。公園にはいろんな形のモニュメントが並んでいるので、街を歩いて疲れた後は、ここで銅像を見ながら休んでもいいと思います。
 夏になると、水浴びの大好きなロシア人が遊んでいる姿があります。
 
 ほかにもリューベルツィには巨大な新興団地があって、ドーナツ化現象により市民の生活地区が郊外に集まっていることが分かります。
 
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リューベルツィへの行き方
 
首都のカザン駅(Казанский вокзал)から郊外列車エレクトリーチカでリューベルツィ1駅(Люберцы-1)まで。所要時間30分程度。
(文と写真:市川)
 

2015年10月9日金曜日

イーストラ ~もう一つのエルサレム~

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イーストラ ~もう一つのエルサレム~
Истра. Новоиерусалимский монастырь
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ノーヴィ・イエルサリーム(新しいエルサレム)という変わった名前の場所があります。

 ロシアのニコン総主教という人物が、エルサレムをもう一つ作ろうという目的で修道院を建てたのが始まり。

 ロシアの教会といえば、モスクワのワシーリー大聖堂や、ウラジーミルのポクロフ・ナ・ネルリなど、デザインはいろいろでも、それぞれがどことなくロシアっぽい感じを出しています。

 しかしこのノーヴィ・イエルサリームの修道院は、どこか異国風です。色遣いにしても形にしても装飾にしてもちょっと趣が違う。

 これを建てるために、くだんのニコン総主教というお坊さんは、エルサレムの聖堂を真似するために、当地に使者を遣わしました。

 エルサレムといえば、イスラエルの首都であるとともに、キリスト教、イスラーム、ユダヤ教の三つの宗教の聖地。

 総本山の名を冠した修道院を建てるのは、かなり壮大な話に見えます。しかし、ロシアにはこの時、「モスクワは第三のローマ」であるという考え方がありました。世界史には、ローマ帝国とビザンツ帝国という、キリスト教を信仰する二つの大きな帝国があります。しかし二つとも滅びてしまいました。

 一方、正しいキリスト教を守るロシアは、滅びることなくこれからも存続しつづけるであろうと考えられました。モスクワは、ローマを継承する、第三番目の帝国なのです。こうなるとロシアはもう、たんなる辺境の国などではない。正統なイエスの教えを信じる、大きな強い国となるわけです。

 さて、そんなロシアの「イエルサリーム」は、モスクワから電車で一時間半のイーストラという田舎町にあります。


どこかほかの教会と違う気がする...



 どこもかしこも修理中。
堂内も完成しておらず、聖障(イコノスタス)の絵は取り外されたまま。
「復活大聖堂」の中を見学することに。

 修道院敷地内はこのころ、全面的な修理中で、聖堂内も工事が未完成。その上なぜか警備員が歩き回って、トランシーバーで連絡を取り合ったりしているので、あまり神聖な場所という雰囲気がありませんでした。

 途中で、一本の通路が奥に向かって伸びているのが見えました。通路の先には小部屋があり、そこに向かって人が列を作っていました。どうも、この小部屋の中には一人ずつしか入れないようで、順番にゆっくり列が進んでいきます。そして中に入った人は、一点を見つめて十字を切っている。一体何があるのでしょう。

 私も列に並び、神聖な場所にいるという緊張から少し硬くなりながら、この小部屋に入ってみました。しかしその先には何もありません。仕切られた先に、棺桶のおけそうな空洞があるのですが、棺桶があるわけでもありません。聖人の肖像画が飾られているのでもないのです。あれは何だったのでしょう。
 
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◆ノーヴィ・イエルサリームの修道院への行き方◆

モスクワ・リーシスキー駅(Рижский вокзал)から郊外列車エレクトリーチカで「ノヴォイエルサリームスカヤ」(Новоиерусалимская)へ。一時間半ほど。そこから徒歩で街道を歩いていくと、丘の上にある。隣には木造建築公園があって、木造の風車小屋などがみられる。

※郊外列車エレクトリーチカの時刻表はよく確認しておくことをお勧めします。目的地によっては、線路が分岐しているなどで思ってもいない方向に電車が行く可能性があります。このイーストラに行く場合は特にそうです。
時刻表は、検索サイトで「расписание Москва Истра」などとキーワードを打つと調べられます。

(写真と文:市川)

2015年10月5日月曜日

巡礼の地セルギエフ・ポサード

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巡礼の地セルギエフ・ポサード
Сергиев Посад
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ロシアの街で、今でも教会や修道院を見て、そこでお祈りをする人々を見かけると、ロシアがやはりキリスト教の国であるという強い印象を受ける。

 信仰心の篤いクリスチャンは、巡礼のために、このモスクワ郊外の町セルギエフ・ポサードを訪れる。目指すのは、トロイツェ・セルギエフ大修道院

 ここは、『黄金の環』の町として観光客が多く訪れる。その一方で、大司教座がおかれた、宗教上でも重要な場所である。訪問者は十字を切ってお祈りを捧げている。ときどき、黒いローブを着た、髭を生やした男性を見かける。年を取っているのは聖職者、若いのは神学校の生徒たち。

 セルギエフ・ポサードの始まりは、1392年に没した聖人セルギー・ラードネシスキーの建てた修道院。聖セルギー・ラードネシスキーは禁欲に身も心も捧げた聖者として、ロシアの教会では深く崇敬されている。何もないところに川ができたり、森の中でクマを追い払ったなど、数々の奇跡が伝えられている。

 聖セルギーははじめ、何もない森だった場所に修道院を立てた。ここに信徒が集い、寄付や布施が集まりながら、次第に町へと発展していった。その結果、セルギエフ・ポサード(セルギ-の町)が現れた。

 この町へ行くには、モスクワから郊外列車で1時間30分ほど。

 セルギエフ・ポサード駅を降りて少し歩くと、川を隔てて、丘の上に立つトロイツェ・セルギエフ修道院が見えてくる。


 私が訪れた2014年は、聖セルギーの生誕700周年ということで、催しも開かれていたようである。


 敷地の中にある最も大きな教会、「ウスペンスキー聖堂」。モスクワのクレムリンにも同名の教会があったが、ウスペンスキーというのは、聖母マリアの就寝を意味する。


 聖堂のわきにはボリス・ゴドゥノフの家族の墓がある。

 私が訪れた時間は夕方の4時。聖堂の中ではお祈りが行われていた。それまでもロシアの教会をいくつも見学してきたが、このセルギエフ・ポサードは、くらべものにならないほど訪問者が多い。

 中で、クリスチャンと並んで立ち、日本人の私は少し肩身の狭い思いをしていた。

 教会と言ってパイプオルガンを思いだすが、ロシア正教では楽器は使われない。祈祷は全てアカペラで行われる。司祭が祈りを読み、時どき声楽隊が後に続く。ときどき、信徒たちが十時を切って頭を下げる。祈祷の中で、ひたすらある一つの句が繰り返された。後で家に戻って調べると、それが「神よ赦したまえ」を意味するのだと知った。

 もう30分ほど経っただろうか、聖堂内いっぱいに立っていた信徒たちが、通り道を開け始めた。と開いたかと思うと、こんどは聖職者が、大きな鈴を手に持ち、それを振り子のようにして振りながら、堂内を歩き渡った。鈴からは煙が立っており、私の前を通ったとき良い香りがした。聖職者がひとめぐりすると、再び道はふさがり、さきほどの祈りが始まった。

 おそらく1時間以上たっただろうか。私は立っていられず、教会の外へ抜け出した。土曜日のこと。おそらくあれは、日曜日の朝まで続くものだったのかもしれない。

 さてここは宗教的な場所でありながら、観光地でもある。
 敷地内には土産物屋があって、聖書や、イコンと呼ばれる聖人の肖像画、さらには置き物やアクセサリー、カレンダーのような一般の品物も売っている。それから、多くの教会でそうであるように、パン屋がある。ガイドブックだと、ここでハチミツパンを買うことをお勧めしてあったりして、なんだか雰囲気が軽い。

 教会を保つためにもお金はやはりいるわけで、募金や販売で寄付を集めているはずである。このことを思うと、「経営」というおよそ宗教とは不釣合いな言葉が頭に浮かんでくるが、おそらく考えすぎであろう。

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セルギエフ・ポサードへの行き方

モスクワ・「ヤロスラヴリ駅」(Ярославский вокзал)から郊外列車エレクトリーチカで「セルギエフ・ポサード」(Сергиев Посад)で下車。一時間半程度。駅から10分ほど歩くと、トロイツェ・セルギエフ大修道院が見える。

(写真と文:市川)