2015年10月30日金曜日

セルプホフ ~暗闇の中で見た修道院~

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セルプホフ ~暗闇の中で見た修道院~
Серпухов
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 セルプホフ行きは完全な失敗で、なぜかというと電車に乗り遅れた。午前の電車に乗るつもりが間に合わなかったせいで、次の電車までの2時間を待たなければならなかった。その間はショッピングモールをうろついて、ユニクロのモスクワ支店を見たりしながら時間を潰す他なかった。

 郊外列車エレクトリーチカは、昼間は大きな休憩時間があるので、乗るときは時刻表をよく確認する必要がある。

 これと関係あるかないか、ロシアでは昼休みをとっている施設が多い。レストランも昼の間だけ閉まっていることがある。

 それは、日本やヨーロッパが正餐(ディナー)を夜に摂るのに対し、ロシアでは昼に行うことと関係があるのかもしれない。あんまり間違っていると恥ずかしいので、断言するのはやめておく。

 そういうわけで、電車で二時間もゆられ、過ぎていく時間に憂愁を覚えながら、セルプホフに到着した。駅に降りたころには、もう夕方の4時。

 さてこの後も大変である。歴史地区まで行きたいわけだが、セルプホフは比較的に町が大きいので、車などで移動しないと、歩く距離が非常に多くなる。だが私は電車できたぐらいなので車など持っていない。だから、歴史地区まではバスでの移動である。


駅前のお店。正直なところ古くて汚い場所が多いが、
その古くて汚いところにどこか懐かしい感じがある(失礼)。
こういうよくある光景がずっと残っていてほしい

 そしてバスがなかなか来ない。日本もそうだが、田舎のバスは一時間に一本来れば良い方である。実際このときは、一時間待てば来る、「良い方」のバスだったわけだが、それでもバルに乗り込む頃には、すでに夕方五時。ロシアの冬は、一日が非常に短いので、4時にもなれば暗くなりはじめ、5時にはすっかり夜である。

 こうして、バスに乗りながら暗くなった外の景色を、悲しい気持ちで眺めていた。けれども、せめてセルプホフに来たからには、修道院は見てみたい。

 そういうわけで修道院に着いた。

 さて空は真っ暗であるから、修道院もよく見えない。わずかに、雪の照り返しでうっすら白い壁が見える。

 古い言葉で「蛍雪の功」というのがある。蛍の光や、窓の雪の光で、夜も勉強に励んだ人の成功を指す成句だが、実際に雪によって光が生じるのを、これほど実感したのはこの時ぐらいである。

奥にうっすらと、修道院の壁や、尖塔が見える。

デジカメを夜景用に設定するも、手がブレるせいでまともに撮れない。

 ところで今まで書かないでおいたが、冬のロシアだからえらい寒さである。バス停で一時間待ったなどと書いたが、その間も風吹の中を待っていたわけである。電車やバスの時間をよく見ておかないと、こんなところでも大変な被害を受ける。

 修道院も外は寒い。私は、お寺に対する敬意を忘れずに中を見学する。すると天国かな、非常に暖かい。ロシアは建物の中を暖めるにかけては素晴らしい。

 その時は夕方の祈祷が行われていた。セルギエフ・ポサードで見た様な、祈りの言葉を聞きながら、信徒たちの十字を切る姿を見ていた。

 祈祷は長く続いたが、私は途中で外に出た。暗闇の中にそびえる修道院。街灯は一つもない。中世のロシア人も同じくらいの暗闇の中で、教会の白壁や丸屋根を見上げていたろうか。

 つまるところ、私のセルプホフ行きは、暗い中でこの修道院を見たという話に尽きるから、いささかも町の魅力を理解できず、また伝えることもできないのが遺憾ではあるが、しかし旅行先として楽しいのはたしかなので、ここに記事をものした次第である。


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セルプホフへの行き方

モスクワ・クールスク駅から郊外列車エレクトリーチカでセルプホフへ。所要時間一時間半~二時間。

2015年10月27日火曜日

ザライスク ~バスで行った小さな町~

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ザライスク ~バスで行った小さな町~
Зарайск : поездка на автобусе
 
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 今まではすべて電車での旅行でしたが、今回は電車が通っていない町に行きます。移動手段は長距離バスです。

 地下鉄のヴィーヒノ駅前にあるバスターミナルで、バスの切符を購入し、正しい番号のバスに乗ります。終点までなので、途中でバス停を乗り過ごす心配はありません。

 バスの窓からは、広く、何もない平原が見えます。
 
 
 なんだかずいぶん田舎に行くような気分ですが、しかししばらく車に揺られていると、やがて家が見え始め、マクドナルドの看板まで見えてきて、終点のザライスクに到着。 
 
ザライスク観光(1) ~クレムリン~
 
 バスターミナルのすぐそばにクレムリンが見えます。
 

モスクワの赤の広場に、ミーニンとポジャールスキーの像がありますが、
ザライスクは後者のポジャールスキーとかかわりがあります。

教会や博物館があります。
博物館には、むかしのロシアの貴族が集めていたという、
日本の骨董品があります。日本刀もありました


ブランコ。
 
ザライスク観光(2) ~聖なる源泉~
 
 クレムリンを見た後は、町の通りに沿って散歩します。といっても、ザライスクはとても静かな町なので、通りをあるいても、木造の民家が続くばかりです。
 
ごくふつうのロシアの田舎の家です。

 ガソリンスタンドまできたら、左折します。 
 
草原が見えます。
 ここで、二つ目の観光スポットを見つけます。 聖なる源泉と呼ばれる井戸からは、水が流れ、オショートル川にそそがれます。
 
看板があり、
 
こんな風に進んでいく先には沐浴所があります。
 
沐浴所
 ザライスクは静かでとても小さな町ですが、歴史的な遺跡や記念碑、博物館なども多く、とても面白い場所です。
 
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◆ザライスクへの行き方◆
 
地下鉄ヴィーヒノ駅(または郊外列車のヴィーヒノ駅)にあるバスターミナルから、ザライスク行きのバスに乗る。片道二時間ほど。
(文と写真:市川)

2015年10月25日日曜日

アブラムツェヴォ ~芸術家の村~

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アブラムツェヴォ ~芸術家の村~
Абрамцево
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 なんでも、芸術家たちが集まって、切磋琢磨しあった場所らしい、というおぼつかない知識だけで向かったのが、アブラムツェヴォの博物館である。

 後から入れた知識だと、ここはもともと作家アクサーニコフの領地であったが、19世紀後半にはマーモントフというお金持ちが買い取った。

 このマーモントフというのは芸術家のパトロンである。いろんな芸術家にお金を出すことをしていた。別荘だったアブラムツェヴォ村には、画家や文学者たちが招かれ、やがて村は、有名な芸術家村となっていく。

 ここで活動した芸術家の一派はアブラムツェヴォ・サークルと呼ばれた。画家でいうと、このブログでもたびたび絵を紹介したV・ヴァスネツォフとその兄弟、ヴルーベリ、セローフ、レーピンなどなど。

 現在は博物館となっており、公園のようになった敷地内に展示場や建物がいくつか並んでいるという趣きであった。

古いロシアの田舎の家をイメージしている

 アブラムツェヴォへは、ロシア人の連れ合いと共に向かった。12月の冬場で、ほとんど観光客の訪れない時期であったから、ひっそりしている。


池が凍っている。

 ここに向かったのも、実はそのロシア人の連れ合いというのが、館員と知り合いであったためである。この館員はモスクワ市在住だが、平日は、この博物館まで片道一時間半以上かけて出勤していた。いまは労働環境を改善したかったとかで、自宅で働いているらしい。

 展示を見た全体の印象から言うと、アブラムツェヴォでは、ロシアの自然やフォークロアを題材にした絵画、伝統的な工芸品や民芸品、さらにイコンなどが作り出されていたようである。近代のある時期の画家たちには、古い時代のロシアに回帰するような傾向があったのかもしれない。

これは博物館の外にあるホテルの前なのだが、
バーバ・ヤガーのモニュメントがある。
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アブラムツェヴォへの行き方

モスクワ・ヤロスラブリ駅(Ярославский вокзал)から郊外列車エレクトリーチカでアブラムツェヴォ駅(Абрамцево)まで行った後、乗り合いタクシー(マルシルートカ)に乗る。
( 文と写真:市川)

2015年10月23日金曜日

アレクサンドロフ ~歴史ドラマの舞台~

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アレクサンドロフ ~歴史ドラマの舞台~
Александров
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 ロシアの皇帝に、イワン雷帝というのがいます。

 カザン征服など有能な面を見せましたが、一方でお妃の死をきっかけに精神を病み、多くの家臣を殺し、数えきれないほどの人々を処刑や拷問にかけた残忍な人物でした。

 モスクワのトレチヤコフ美術館には、イワンが息子を殺害する一場面を描いた有名な絵画があります。

 そのイワン雷帝が17年間近く居を構え、事実上のロシアの首都ともなっていたのが、アレクサンドロフです。

 皇帝が住んでいた16世紀のアレクサンドロフは、リームスキー=コルサコフのオペラ『皇帝の花嫁』の舞台となっています。

 この町は厳密に言うとウラジーミル州にあるため、いわゆる「モスクワ郊外」と呼ばれるモスクワ州の町とは違うのですが、それでも電車で2時間程度なので、日帰りは十分可能です。

 さて、首都モスクワから郊外列車に乗ってアレクサンドロフ駅に到着し、20分ほど歩くと、目的の博物館「アレクサンドロフスカヤ・スラボダー」が見えます。

 壁で囲まれた敷地の中に教会や、展望台、宮殿、博物館があります。見どころはいっぱい。一日かけて残らず見ることをお勧めします。

入口。
この年は、10月に雪が降りました。
ロシアとはいえ10月の降雪は珍しいそうです。
白い壁が中世の雰囲気を出しています。
中に入ると、映画「イワン4世」の中にあるような、古いお城の造りになっています。
昔の時計。

 小学生が遠足で大勢きています。先生が博物館の中で引率して、なにか説明をしています。前のほうではちゃんと聞いていますが、後ろの列ではふざけていたりして、日本とあんまり変わらない。

展望台から。
展望台から(2)。
きれいな場所です。

 敷地の中には木の家があって、そこには猫が住み着いていたり、親切な館員の人に説明してもらえたりします。

 ちなみに展示内容自体は、中世から近代まで幅広いので、さまざまな場所を歩き回ってもあまり飽きないと思います。

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 博物館から駅まで戻る途中で、偶然、マリーナ・ツヴェターエワの家博物館を発見しました。マリーナ・ツヴェターエワとは20世紀のロシアの詩人で、技巧を凝らした作品で知られます。私は大学では、ツヴェターエワが好きな先生のもとでロシアの詩を勉強し、ツヴェターエワの伝記も読んだのですが、内容をすっかり忘れてしまいました。こんなところで「ツヴェターエワの家」とかかれた看板を見つけ、アレクサンドロフとゆかりがあったなんて、と不意打ちをくらった気分です。

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◆アレクサンドロフへの行き方◆

 モスクワ市内・ヤロスラブリ駅(Ярославский вокзал)から、郊外列車エレクトリーチカで、アレクサンドロフ駅(Александров)まで。二時間ほど。
(文と写真:市川)

2015年10月21日水曜日

モジャイスク ~牛乳とクレムリン~

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モジャイスク ~牛乳とクレムリン~
Можайск : Кремль, молоко...

 
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 モジャイスクという町にもクレムリンがあります。ただし、今までのドミートロフやコロームナとは違い、ただ門といくつかの壁や教会があるだけで、本当にひっそりとしています。

住宅地の中にひっそりとたたずむ門。

中は草木の生える公園。市民の憩いの場になっている。
地形上、クレムリンは丘の上にある。崖からは、このように郊外の村が見える。
あるロシア人の教師いわく、「モスクワは外国人の入り乱れる現代都市で、もはやロシアではない。もし本当のロシアの姿を見たければ、電車で一時間や二時間郊外に出ていく必要がある」とのこと。この先生の言葉に従うなら、ロシアのいろんな姿を見るという意味で、郊外への遠出はとても意義深いことだと思います。

 ちなみにロシアの本当の田舎は電気すら通っていないらしいので、モジャイスクどころではないようです。

 他にこの街には、立派な修道院や教会などがあるようなのですが、そこには行けませんでした。

 これまでは、歴史的地区の散策でした。日本でもロシアでも、何か一つの街を見る場合、ときどき「歴史的中心」と「経済的中心」が離れている場合があります。駅や商店街、仕事場など経済活動が集中している場所と、古い建造物など歴史的な名勝が集まる場が、離れていることがあるからです。
 
 ところで、モジャイスクは、「英雄の町」という異名を持っています。それは、近い過去に戦場となり、ロシア人が勇敢に戦ったためです。第二次世界大戦のとき、モスクワを目指す敵の侵入を防ぐため、壁となったのが、モジャイスクでした。それゆえ、戦死者をたたえる記念碑がいくつもあります。

中心に見える赤い炎は、「永遠の火」と呼ばれる。
ロシアの多くの戦争記念碑に置かれている。
それは一年中消えることがない。

 ちなみにモジャイスクは牛乳を作っているところらしく、屋台で「モジャイスクの牛乳」として売っています。おみやげに買うと良いと思います。腐りますが。

日本でいうコンビニがない代わり、外国の町では屋台がいっぱいある。

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◆モジャイスクへの行き方◆

モスクワ・ベラルーシ駅(Белорусский вокзал)から郊外列車エレクトリーチカで、モジャイスク駅(Можайск)へ。2時間程度。
(文と写真:市川)

2015年10月18日日曜日

ドミートロフ ~コンクール第一位の町~

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ドミートロフ ~コンクール第一位の町~
Дмитров : Город, занявший первое место на конкурсе городов
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 かつてモスクワ郊外の町どうしでコンクールが開かれたとき、ドミートロフは一位を獲得しました。それだけのことはあって、ここは名所旧跡が多く、新しい建物がある一方で、古い趣きの民家も残っていて、清潔で、楽しい場所です。
 
 町の真ん中には、クレムリンがあります。ロシアのクレムリンといえば、モスクワにあるのが一番有名ですが、ロシアでは古い町であればほとんどあります。そもそもクレムリンとは城塞のこと。強い壁で守られた中に、教会や民家などの建物が入っていました。中世の人々は、このようにクレムリンの中で暮らしていたということです。
 
 ドミートロフのクレムリンは、モスクワの立派なものと比べると小さく、壁もほとんど残っていません。その代り公園のようになって人々に解放されています。

いざ入城。門はレンガではなく木でできています。
門の向こう。
ロシアの教会。
教会の近くにあったのは、
ロシア語のアルファベットを作った二人、
キュリロスとメトディオスです。
 教会のそばに、なぜかキュリロルとメトディオスの像。この二人は、ロシア語のアルファベットをつくった人物として知られています。ロシア語は、多くの方が見ている通り、英語とは違う形の文字で書きます。
 
 昔ロシア人は文字を持たない民族でした。しかし、宣教師だった弟キュリロスと兄メトディオスの兄弟は、そのロシア語で聖書を書くために、ギリシャ文字を元にして、新しく文字を作りあげました。
 
 兄よりも弟キュリロスの方が活躍したことから、ロシア語で使う文字はキリル文字と呼ばれています。
 
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 もともと壁があった場所は、今では丘になっており、上をぐるぐると歩けば、クレムリンを一周できます。
 
丘の上から町が見下ろせます。

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 クレムリンの敷地を抜けると、田舎風の建物や、面白いミュメントの立ち並ぶ、かわいらしい通りに出ます。
 
木造の建物。色遣いや窓枠がかわいい。
 
たぶん童話の登場人物。
立ち並ぶ。
  このほかに修道院や博物館など興味深い場所はありますが、クレムリンや、その周辺の美しく整えられた街を見ていただけでも、この町が郊外の町で一位に選ばれた理由が分かる気がします。
 
市街地。
 
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ドミートロフへの行き方
 
モスクワ市内のサヴョーロフスカヤ駅(станция Савёловская)から郊外列車エレクトリーチカでドミートロフ駅(Дмитров)へ。1時間15分ほど。
(文と写真:市川)

2015年10月16日金曜日

コロームナ ~城壁の内側に町がある~

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コロームナ ~お城の内に町がある~
Коломна : На территории кремля живут люди 
 
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 首都のモスクワから、郊外へ向かう汽車に乗って二時間。車窓に見える景色は、すっかり田舎。
 
 コロームナ駅で車両を降りると、そこは舗装すらされていない土の道。あたりは木造の田舎家ばかりで、ときどき犬が鳴く以外は、人の気配がないほどひっそりしています。
 


お店なのか、やたらいろいろな人形を飾った家。
なんだかすごい辺鄙な場所に来てしまったような気がします。しかし、市の中心へ向かって歩くにつれて、だんだん景色が開けてくるので、不安は解消されていきました。
 
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クレムリン入口。右横には、パンの博物館。
 
クレムリンの城壁。
 
 コロームナには立派なクレムリン(壁で囲まれたお城)があります。モスクワほど大きくはありませんが、巨大な城壁は見上げるほど大きく、とても見ごたえがあります。
 
 ここのクレムリンは城壁の中に、いろいろな教会や、学校、博物館、お店、さらには民家があり、街のようになっています。

 かつてロシアの中世の人々は城壁の内側に家や商店を構えて、暮らしていました。モスクワなどのクレムリンは、すっかり博物館のようになっています。しかしコロームナでは今でも、中世のようにクレムリンで囲まれた地域内に町があるのです。
 
教会が並ぶ、クレムリンの中心部。

民家か、それとも施設か。
いずれにしても、一般人の生活の場らしい。
 

 クレムリン内の博物館ではたまたま、路面電車についての特別展示がしてありました。実はコロームナは路面電車と縁の深い町です。1918年には、電車を敷設する計画が上がりました。そのあと内戦などでストップしましたが、戦争の終わった1948年に工事が始まりました。
 
 工事のときは、なんとすべての市民が駆り出されました。建設者は、市民を役割分担させて、すでにいる労働者への手助けをさせたのです。同じ年のうちに路面電車は開通し、それからも路線は増えつづけ、コロームナの路面電車は発展しました。
 
 
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 コロームナの名物は、「パスチラー」と呼ばれるリンゴを使ったロシア伝統のお菓子。スーパーなどでも売っていますが、こうしたところで売っているパスチラーは伝統的な製法で作られた本格的なもので、色も味も違います。
 
 そして、「カラーチ」という南京錠のような形をしたパン。これは、外側がカリカリしていますが、中はモチモチ。塩味も砂糖もありませんが、とてもおいしいです。
 
 
 コロームナには、街のあちこちに、「パスチラー博物館」など小さな博物館がたくさんあります。クレムリンの門のすぐそばにある「パンの博物館」では、このカラーチの販売をしています。なお展示を見学をするときはガイドの案内付きで、必ず電話での予約が必要なので注意。
 
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◆コロームナへの行き方◆
 
 モスクワ・カザン駅(Казанский вокзал)から郊外列車エレクトリーチカでコロームナ駅(Коломна)へ。所要時間二時間程度。

(文と写真:市川)

2015年10月12日月曜日

リュ―ベルツィ ~ふつうのソビエト式の町~

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リューベルツィ ~ふつうのソビエト式の町~
Люберцы : обыкновенный советский город
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 前回のラーメンスコエにしても、今回のリューベルツィにしても、一般の観光客が訪れることはない、ごく普通の町です。ソ連式の集合住宅が残る以外は、これといった名所旧跡があるわけでもないので、「リューベルツィに行った!」とロシアの人たちにいっても、どうしてそんなところに行ったの?と聞かれることが多いです。
 
 しかしどの町にも何か面白い場所はあるわけで、ことに日本人からすれば、典型的なロシアの町こそ、もっとも興味深いものといえます。
 
 このリューベルツィはモスクワのすぐ隣の町で、電車で30分程度。
 
主婦の未来は明るい
 ロシアを歩いていると、様々な場所にソビエト時代の遺産を認めることがあります。ちょっとしたところにレーニンの銅像が建っていたり、建築物に共産主義の星の紋章がしてあったりする。
 
 このリューベルツィも、ウラジーミル・イリイチの銅像はもちろんのこと、一般の集合住宅にこんなソビエトのモザイク画がついていて、びっくりするわけです。
 
 よく計算してみると、ソビエトが崩壊したのはもう25年は前のことになるので、今のうちは「懐かしい」で済んでいる話でも、そのうち誰も知らない大昔になってしまうのかと思うと、なんだかつまらないような儚いような。
 
人類初の宇宙飛行を行った宇宙飛行士ガガーリンは、
子供時代にリューベルツィの学校に通っていたとかで、
こんな銅像が建っています。
人生の中で何回か住む場所を変えたガガーリンは、
いろんな町でそれぞれ「名誉市民」の栄誉を預かっているようです。
 
 
消防署。「01」は消防車を呼ぶ番号。
 
消防署の横は、昔の消防車の展示。
 
1919年の消防用ポンプ。手動だとか。
 
 さて、日本とは違い、ロシアは軍隊を持っていて、何かあれば戦争もするわけです。5月9日はロシアでは戦勝記念日なので、盛大にお祝いします。赤の広場では軍事パレードで戦車やミサイルが出てくるし、方々でお祭りを開いたり、軍歌を歌ったりと、なんだか賑やかです。
 
 8月の終戦記念日をつつましく過ごす日本人からすると、個人的にこの大きなギャップには驚くものですが、外国ではこんなものなのかなと思います。
 
 このリューベルツィは、地図を見てみると、「地区A」「地区B」という妙な住所表記があります。しかも、普通の町なら、通りにも「キーロフ通り」「カール・マルクス通り」「レオンチエフスキー横丁」のように名前があるのに、それもありません。ただ「1番」「2番」…という番号があるだけ。
 
 というのも、ここはもともと、よそからは入れない軍隊の駐屯地だったので、こんな変な住所表記が残っているわけです。
 
空軍をたたえる軍事プロパガンダ。ここから「地区A」が始まる
「1」という番号の表示だけ。通りの名称はない。
 
 現在は普通の住宅地なので、一般人が居住しています。
 
 町を一回りすると、やがて「ナターシンスキー池」という大きな公園と池が見えます。公園にはいろんな形のモニュメントが並んでいるので、街を歩いて疲れた後は、ここで銅像を見ながら休んでもいいと思います。
 夏になると、水浴びの大好きなロシア人が遊んでいる姿があります。
 
 ほかにもリューベルツィには巨大な新興団地があって、ドーナツ化現象により市民の生活地区が郊外に集まっていることが分かります。
 
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リューベルツィへの行き方
 
首都のカザン駅(Казанский вокзал)から郊外列車エレクトリーチカでリューベルツィ1駅(Люберцы-1)まで。所要時間30分程度。
(文と写真:市川)