2016年10月23日日曜日

まだらのニワトリ



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『まだらのニワトリ』
"Курочка Ряба"
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おじいさんとおばあさんがいました。そして二人には、まだらのニワトリがいました。
ニワトリは卵を産みました。でもただの卵ではなく、金の卵です。

おじいさんが叩いても、卵は割れません。
おばあさんが叩いても、卵は割れません。

ところがネズミが走ってきて、しっぽを振ったら、卵は落ちて、割れてしまいました。
おじいさんもおばあさんも泣いていると、まだらのニワトリは言いました。
「おじいさんもおばあさんも泣かないで。今度は金の卵でなく、普通の卵を産みますよ。」

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これはロシアの民話で、絵本にしても数ページに満たない短い話です。
ところで、ソ連の児童文学作家マルシャークは、この話を元に別の物語を作りました。
題して、『まだらのニワトリと十羽のアヒルの子』です。

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きみは、おじいさんとおばあさんとまだらのニワトリのお話は知っているかな?
もし知っているなら、おじさんが、別の話を聞かせてあげましょう。

むかしむかし、別のおじいさんと別のおばあさんがいました。二人には、別のまだらのニワトリがいました。
ニワトリは卵を産みました。でも金の卵ではなく、ただの卵です。
半熟でも、固くもない、いちばん普通の、生卵です。

ネズミが走ってきて、しっぽを振ったら、卵は落ちて、割れてしまいました。
まだらのニワトリはえんえん泣いていました。
おばあさんはニワトリがかわいそうになり、鳥小屋にカゴを持って走ってきました。
カゴの中にあるのは、アヒルの卵。
ひとつではなく、まるまる10個。
「ニワトリや、アヒルの卵をあたためなさい。」

(以下略)

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やや長い話なので冒頭だけ引用しました。
このあと10羽のアヒルのヒナが生まれたニワトリは、一緒に散歩に出かけます。
アヒルという違う種類の鳥を、しかも10羽も世話するのは大変です。アヒルたちが池を泳いでいるのを、「溺れないかしら」と心配そうに見守るのです。
さて、みんなが池から上がると、とつぜん、ネコがやってきますが、
ニワトリは勇敢に立ち向かって追い返し、強いお母さんぶりを発揮して、この話は終わります。

サムイル・マルシャークが残した数々の作品は、ロシアでは昔から人気です。

マルシャークの多くの絵本では、ウラジーミル・レーベジェフという画家が絵を描いているのですが、この二人が作った絵本は、日本語にも翻訳されています。
代表的なのは『しずかなおはなし』(福音館書店)です。

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(参考:『まだらのニワトリ』ロシア語原文)
Жили-были дед да баба. И была у них Курочка Ряба.
Снесла курочка яичко, да не простое - золотое.

Дед бил - не разбил.
Баба била - не разбила.
А мышка бежала, хвостиком махнула, яичко упало и разбилось.
Плачет дед, плачет баба и говорит им Курочка Ряба:
- Не плачь, дед, не плачь, баба: снесу вам новое яичко не золотое, а простое!

(筆者:市川透夫)

2016年10月16日日曜日

黄金の秋

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黄金の秋
Золотая осень

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ロシアは寒い冬のイメージが先行してしまいますが、実は季節ごとの移り変わりが豊かです。

9月から11月まではロシアでは秋とされています。
秋になると、森が黄色く色づき、たいへんきれいです。
ロシアの詩人プーシキンは、これを「黄金の秋」と表現しました。

Японцы думают, что в России очень холодно и там одна зима. Но на самом деле в зависимости от времени года можно посмотреть, какой она бывает разной.
Сентябрь, октябрь и ноябрь - осенние месяцы. Осенью листья желтеют или краснеют, и выглядят очень красиво. Русский народный поэт Пушкин назвал это "золотой осенью".


秋になると、ロシア人は森の中へキノコ狩りに出かけます。
ロシア人はキノコ狩りが大好きです。私のロシアの友人の話では、みんな「気が狂ったように」採集するそうです。

Осенью русские люди идут в лес за грибами.
Они очень любят собирать грибы. Мой русский друг сказал, что они делают это "как сумасшедшие".


ロシアで市場に出ているキノコはあまり見慣れないものが多く、
名前をロシア語の辞書で調べても知らないものが多いです。

Сорта грибов, продающихся на русских рынках, для нас японцам не очень привычны.
Я посмотрел их названия в словаре, но не смог представить, какие они.




これからロシアでは寒さが厳しくなっていきます。

Скоро в России наступят суровые холода.

(文:市川、写真:A、モスクワで撮影)

2016年10月10日月曜日

ロシアの古都へ ~コストロマー~

ロシアを旅行するときの観光ルートに「黄金の環」というのがあり、ロシアの古い町が輪を描くように並んでいます。

前回はヤロスラブリをご紹介しましたが、今回はコストロマーについてです。
コストロマーは、ヴォルガ河畔にある歴史ある町です。
水運や商業で発展した町なので、おみやげ品も、船や市場をモチーフにしたものが多いです。

真冬にいったため、あたりは雪でおおわれ、気温はマイナス20度でしたが、だからこそ旅は印象的なものとなりました。

コストロマーはとても素敵な町なので、夫婦や恋人と行くにもうってつけです。

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ロシアの古都へ ~コストロマー~
В Кострому, древний русский город





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モスクワからコストロマーは北へ340キロ。汽車は夜行列車しか通っていませんでした。
夜12時くらいに出発し、到着は朝6時。


到着したときにはまだ暗く、お店はどこも閉まっていて、ホテルのチェックインもまだ先。しばらく駅の中でひと眠りすることにしました。

明けてきたので、駅からバスに乗って、街の中心部まで行きます。

町の中心「スサーニン広場」。
イワン・スサーニンは、現コストロマー州出身の農民ですが、
17世紀のポーランドのロシア襲撃の折に、
命をかけて国を守ったことから、ロシアの英雄となっています。

ふつうロシアの古い町といえば、クレムリン(お城の跡)がありますが、この町はクレムリンは見たところありません。残っていないのか、それとも無かったのか。
かわりに、町の中心に、二つの商業アーケードが、向かい合うように並んでいます。アーケードの敷地に入ると、にぎやかな市場です。
クリスマスが近かったため、あちこちのお店で、お菓子やプレゼントが売っていました。

アーチがいくつも並んだ、趣のある商業アーケード。
こういった昔ながらの市場が多いのも、
ロシアの魅力です。

これからホテルに向かいます。


さすが冬のロシア、ヴォルガ河が、凍ったまま雪で覆われています。
ふと、私がむかしロシア語の教科書で読んだ一文が頭に浮かびました。

Зимой Волга спит под снегом, а сначала весны до конца осени она живёт.
「冬、ヴォルガは雪の下で眠っているが、春の初めから秋の終わりまで、河は生きている」

河が雪の下で眠っているとはこういうことなのか、と初めて分かったのです。

そしてこれがホテルです。


このホテルはもともと、船の船着き場だったところですが、それを宿泊できるように作り直したところです。窓からはオーシャンビューならぬリバービューが見え、雰囲気は最高です。
ちなみに値段も一般的で、朝食付きなので、非常にオススメです。

これから観光です。
一番の名所、「イパーチエフスキー修道院」に向かいます。

路線バスに乗り、橋を渡って、ヴォルガ河の向こう岸へ行きます。

橋の上から、向こう岸のイパーチエフスキー修道院を望む。

中世ロシアの世界へ。


中には、聖堂や、僧房があり、ロシアの歴史と宗教を伝える展示があります。

金の糸で織った刺繍のようです。

外を出ると、もう真っ暗になっていました。
冬のロシアは、一日が非常に短く、午後5時にもなればもう真っ暗になってしまうのです。

都会のネオンになれていましたが、
この暗闇に入ると、ふと原始的な気持ちになり、
「中世のロシアも、夜はこれより暗かったんだなあ」と思いを馳せるわけです。

この日、もう一つ行きたい場所があったのです。それは、「木造建築博物館」。敷地の中に、木造建築が集まって、村のようになっている場所です。

暗くなって、もうとっくのとうに閉まっているのでしょうが、ダメ元で行ってみることに。

...やっぱり門が閉まっていました。

コストロマーへの滞在は二日、翌日の夕方には町を出なければならないので、そうすると明日のスケジュールはどうなるだろう、などと思案に暮れていました。

するとそこへ、ニャーと言いながら一匹のネコが近づいてきました。
おそらく博物館で飼っているネコなのでしょうが、夜の間、博物館を守っているのかもしれません。

ネコはまだ小さく、しかしとても人懐っこく、私へとすり寄ってきたのです。こんな寒いところで私のような旅人に寄ってくるネコが、なんだか可哀そうになってしまいました。

明日もまた来るからね~と約束して、とりあえず帰ることに。

朝まだき、ホテルからの眺め。ヴォルガ河は凍っている。

昨日は入れなかった木造建築博物館へ。


ロシア各地の木造建築が集められた、公園のようなところです。夏はさまざまなイベントをやっていて、家族連れで賑わうようですが、冬にはほとんど人影がなく、ときどき風吹が吹き、あたりは荒涼としています。


ロシアの民話に出てくる「ペチカ」という暖炉が見られ、農民の暮らしも分かります。
ロシアのフォークロアの世界を勉強するには、このような場所がうってつけです。

バーバ・ヤガーが住んでいる、「ニワトリの足がついた家」です。

さて、ひとしきり展示を見たところで、私は思わぬ再開を果たしました。


あのネコ!!!

またも私に近寄ってきて、ニャー、ニャーと、何かを話しています。
私のことを覚えてくれていたのでしょうか、それともただ人懐っこいのか...


建物に目をやると、けっこう仲間がいるみたいです。

再会したネコは頭をなでてやりました。旅の出会いは一期一会、次に会えるときはいつになることか...

この他に、コストロマーの生物博物館や、教会などをいろいろと見ましたが、何よりも印象に残ったのはこのネコでした。



というわけで一泊二日のコストロマー旅行は終わり、夕方、長距離バスに乗って、真冬の古都を離れました。
長距離バスは夜行列車よりも本数が多いので、時間帯によってはこちらもおすすめです。

(市川透夫)

2016年9月19日月曜日

ロシアの古都へ ~ヤロスラヴリ~

ロシアを旅行するときの観光ルートに「黄金の環」というのがあります。
モスクワをはじめとする、ロシアの古い都が環を描くように並んでいます。
セルギエフ・ポサード(過去に記事あり)、ウラジーミル、スーズダリ、ヤロスラヴリ、ウーグリチ、ペレスラヴリ・ザレースキーなどなど、町ごとに特色があります。
定番は、モスクワ滞在のついでに、ウラジーミルとスーズダリをそれぞれ一日かけて見るというコースです。

私もロシア留学中に、ヤロスラヴリとコストロマーを訪れました。
今回は、ヤロスラヴリを紹介しようと思います。
ヤロスラヴリは、ロシアの古都として、歴史を伝える街でありながら、オシャレなお散歩スポットもいろいろあり、恋人や連れ合いと行くにもおすすめの場所です。

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ロシアの古都へ ~ヤロスラヴリ~
В Ярославль, древний русский город

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モスクワから汽車に乗って4時間。到着したのは昼の1時。

ヤロスラヴリは、ヤロスラフ賢公によって1010年頃に建てられた町です。この頃、日本では平安時代。1000年以上の歴史を持つ、ロシアの古都なのです。
建都1000年を記念して作られた広場。
あたりは音楽が流れ、
噴水がリズミカルに吹き上げます。

泊まったホテルには、入口にクマの置き物がありました。


実は、クマは、ヤロスラヴリの町の紋章にもなっています。

地面を探してみると、こんなところにも街のシンボルが。

1)キーロフ通り
市の中心にある歩行者天国です。お土産物の屋台が並び、路上パフォーマンスをする芸人もいるなど、モスクワでいうところのアルバート通りのような場所です。

2)預言者イリヤー教会
注目するべきは、教会の中の壁画です。宗教的な題材のものや、中世ロシア人の暮らしを描いたものなどが一面に描かれています。

とがった屋根のロシア式の教会。
比較的古い教会では、壁が白いものが多いです。

どの壁や天井を見ても絵が描かれています。

庶民の暮らし。

3)博物館『音楽と時間』
このお屋敷の主人は、収集が趣味だったようで、時計、ベル、レコード、蓄音機、オルゴール、石炭アイロンなどといったアンティーク雑貨のコレクションがぎっしりと並んでいて、なんだかジブリの映画を思わせる空間です。館員さんが館内ツアーをしていて、オルゴールを実演してくれます。



4)救世主変容修道院(スパソ・プレオブラジェンスキー修道院)
以前このブログでセルギエフ・ポサードの修道院をご紹介したと思いますが、こちらはセルギエフ・ポサードほど宗教的な色は薄くなり、むしろ歴史を伝える博物館になっています。

ここでもトンガリ屋根。
昔のロシアの町は、トンガリ屋根だらけだったと
言われています。

庭が非常にきれいなので、
結婚用の記念写真を撮っている花嫁花婿もいました。

古代ロシア文学の名作『イーゴリ軍記』が発見されたのはこの修道院内と伝えられています。


敷地内では、クマのマーシャが飼われています。ずっと檻の中にいるらしく、かなり退屈そう。

檻の中をひたすらぐるぐる回っていました。

修道院の敷地内には、お土産物屋さんやカフェもあります。
私が行ったときは、若き芸術家といった雰囲気の人が屋台を出し、木のおもちゃを売っていました。パズルみたいに組み合わせることができるおもちゃだったのですが、後でロシア人から聞いた話だと、ヤロスラヴリではそういったお土産をよく作っているのだそうです。

「メドヴィーク」というハチミツを使ったケーキです。

(おまけ)
このクマの像は、毎日決まった時間になると「ガオー」と吠えます。


これは、私が一泊二日かけてヤロスラブリで見たものの、ほんの一部です。
もっとゆっくりと、観光名所を回るには、3日か4日はあったほうがゆとりがあると思います。

(市川透夫)

2016年8月6日土曜日

「赤」の持つ意味

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「赤」の持つ意味
Красный цвет как символ

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以前、ロシアの作家アレクサンドル・グリンの小説『紅い帆』について書きましたが、
今回はそれに関連して、赤という色の意味についてです。ロシアの文化の中で、赤い色はどんな意味を持っているのでしょう。

ロシアで赤というと、つい共産主義やソビエト連邦を連想してしまいます。
ところが、実はそれは一面的な見方に過ぎません。

例えばロシアの民族衣装や伝統工芸品では、好んで赤が使われます。
赤とは、燃える炎の色であり、太陽やエネルギー、生命力の象徴でもあります。

モスクワの中心部には「赤の広場」と呼ばれる場所があります。この名前はどこから来たのかというと、別に赤かったからではありません。
確かに写真などを見ると、壁などが赤いレンガから出来ていて、文字通り「赤い」(ややこげ茶色)のですが、実はこれが名前の由来ではありません。
※そもそも昔はモスクワのお城は白い石でできていたりして、むしろ街が白かったらしいです。今でもモスクワのことを「白い都」と美称で呼ぶことがあるのはそのためです。

実は古いロシア語では、「赤い」という言葉は「美しい」という意味を持っていました。
そのため広場の名前も、本来は「美しい広場」という意味だったのです。

「美しい」という言葉と「赤」が同じ語源を持っているというところを見ても、赤という色が他の色にくらべて特別な意味を持っていると言えます。


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では、『紅い帆』という作品の中で、赤というよりは深紅というべき、鮮やかな赤色は、どのような意味を持っているのでしょう。

昔から人気の作家で、ソビエト時代から子供向けの作品として読まれています。

この本が評価された要因の一つに、赤い帆船というモチーフが共産主義をイメージさせるというのもあったかもしれません。
(他にも、明るく前向きな内容、作品の中でブルジョワが悪役を演じている、なども考えられます)。

しかし、もともと小説の内容自体に、共産主義的なメッセージは無かったといえます。
そもそもロシア語のタイトルを見ても、「共産主義」という意味で使われる「クラースヌイ」という単語はなく、かわりに「アールイ」という、古風な響きを持つ別の言葉を使っています。
「アールイ」はより正確には、明るく鮮やかな赤色を指しています。

本来、船に張る帆と言えば白です。それが赤くなったというだけで

物語に出てくる燃えるような鮮やかな帆は、社会主義革命というよりは、むしろロマンやファンタジー、夢の象徴であると言えます。

(市川透夫)

2016年7月31日日曜日

ロシア語で歌われた『恋のバカンス』


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『恋のバカンス』
"Каникулы любви"
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今年の5月に、双子デュオ「ピーナッツ」の伊藤ユミさんが亡くなりましたが、
ピーナッツの代表的な歌に『恋のバカンス』というのがあります。

この恋のバカンス、実はロシアでは有名な曲なのです。
あちらでのタイトルは、Каникулы любви(カニークルィ・リュブヴィー/恋のバカンス)。
いま書いたロシア語のタイトルで検索すれば聴けます。
歌詞の内容にも大きな違いはありません。

私の大学時代、ロシア語の授業で、先生がラジカセでこの曲をかけながら、「これはロシア人の感性に非常によくあっているのです」と言ったのを覚えています。それから、「ロシア人の心にしっくりくるあまり、ロシアの曲だと思っている人もいるくらい」。
実際、私のロシア人のツレは、この歌が日本の歌だということを知らなくて、驚いていました。

それにしても、海でのバカンスを歌った曲が、寒いロシアという国で有名になったのは、なんででしょう。
単なるエキゾチズムというより、ロシアの人々が抱く、海や、海でのバカンスにかける思いなども関係してくるかもしれません。

意外かもしれませんが、ロシアは夏はけっこうな暑さになります。モスクワやペテルブルグ、シベリアでも川や湖で水浴びをするのが人気です。

しかしなんといっても海は憧れ。ロシア人にとっての夏休み最高の過ごし方は、クリミアのような浜辺にいって、海水浴をすることではないか、と私は思います。俗っぽくいえば、これがもっとも「リア充」な夏休みです。

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『恋のバカンス』がどうやってロシアで広まったのかの詳しい話や、前回ブログで書いた『百万本のバラ』の秘密については、この本に書いてあります。

山之内重美『黒い瞳から百万本のバラまで ―ロシア愛唱歌集(ユーラシアブックレット)』東洋書店

(市川)

2016年7月17日日曜日

『百万本のバラ』はロシアの歌


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『百万本のバラ』
"Миллион алых роз"
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『百万本のバラ』といえば、歌手の加藤登紀子さんが歌っている曲です。

貧しい画家がいて、女優に恋をし、有り金をはたいて百万本のバラをプレゼントするが、
恋はかなわない、という歌です。

実は、これはもともとロシアの歌謡曲です。

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ロシアでは、ソ連時代にアーラ・プガチョーワという歌手が歌ったのですが、あちらでもかなり有名な曲なのです。

このアーラ・プガチョーワは、年齢的には中年ですが、芸能人だけあって見た目が若いです。今でもロシアの芸能界では影響力を持っているようで、向こうのタブロイド紙なんかでも写真がデンと一面に載っていたり、なんというか大御所のオーラをかもしだしています。

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『百万本のバラ』の、ロシア語でのタイトルは、『ミリオーン・アールィフ・ロース』といいます。
ミリオーンは英語のmillionと同じ、最後のロースも英語のroseと一緒です。
真ん中の「アールィフ」というのは、赤い、という意味なのですが、赤の中でも鮮やかなものを指し、「真っ赤」「真紅」という意味で使う、詩的な言い方です。

くしくも、前回のブログで『紅い帆(アールィエ・パルサー)』という小説を紹介しましたが、そこでも同じ単語を使っています。

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ところで、日本語の『百万本のバラ』で知られる加藤登紀子さんですが、最近テレビで見た情報では、新宿にあるロシア料理レストランのオーナーでもあるそうです。

なんでも、もとは加藤登紀子さんのお父さんが50年以上前に開いたお店で、昔は白系ロシア人のコックさんが、故郷の味をふるまっていたとのこと。

こんなところでロシアとのつながりがあったことが、やがて、あのヒット曲を歌うことにつながったのかもしれません。

ちなみに日本にはロシア料理のレストランがけっこうあるので、探してみると意外と近所にあったりします。

(市川)

2016年6月20日月曜日

小説『紅い帆』(A・グリン)


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『紅い帆』
原作 A・グリン
А. Грин "Алые паруса"
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 ロシアで二番目の都市サンクト・ペテルブルグでは、毎年6月に非常に大きなお祭りが開かれます。

 それは「赤い帆」と呼ばれる催しです。「宮殿広場」(エルミタージュ美術館の前の広場)でコンサートをしたり、花火を打ち上げたりします。メイン・イベントとして、街を流れるネヴァ川には、イベントの名前にもなっている「赤い帆」をつけた船が浮かべられます。私はこのお祭りには行ったことがないのですが、調べてみる限りかなり大規模なイベントみたいです。

 これは中学・高校の卒業生を記念するもので、ソ連時代、サンクト・ペテルブルグ(当時はレニングラード)で始まって以来、いまでも続いています。ロシアでは学年暦が9月始まり・5月終わりなので、卒業式が終わって間もないこの時期に行うわけです。

 私がロシアに留学していた頃はずっとモスクワにいたので、こんなお祭りがあるとは少しも知らなかったのですが、このお祭りのモチーフである『赤い帆』については書くことができます。

 『紅い帆』Алые паруса)というのは、ロシアの作家アレクサンドル・グリンの小説です。

 舞台は海辺にある町。ヒロインは、アソールという少女。このアソールは、想像力豊かで、個性的であるがために、街の人々からは変わり者扱いされています。しかし、アソールは子供のころからの夢を忘れないで、前向きに生きていました。

 その夢とは、子供だったアソールが、一人の老人から聞いた物語でした。紅い帆を張った船が、この海辺の町にやってきます。その船には王子様が乗っていて、アソールを連れて永遠の旅へと旅立つのです。

 果たして紅い帆を付けた船が、アソールの町にやってくるのはいつなのか。どんな運命が少女を待っているかというのは、小説を読んでのお楽しみです。

 ロシアでは有名な話で、子供時代に読んだことがあるという人は多いようです。

 この小説は、実は日本では原卓也先生が『深紅の帆』というタイトルで翻訳しています。原卓也先生というと、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を翻訳されてますが、こんな童話も訳してたんだなあ、という感想。

 しかし現在、原卓也訳『深紅の帆』は絶版になっているようです。ネット通販でも若干の在庫が残っているだけという状況です。Amazonでは3冊ぐらいありましたが、その内1冊は先日私が注文しちゃったので、残り2冊ですね。

 せっかく面白い物語なのに残念...ということで、ここだけの話、私(筆者)は、ほそぼそとこの小説を翻訳しています。

 誰か身近な人に読ませる、でもいいのですが、もしできたら売り物にしたいです...。そうすると権利とか法律の問題とかいろいろ調べなきゃいけなくて、非常に面倒なのです。作者グリンは何十年も前に没しており、翻訳権上の問題もないはずなので、たぶん大丈夫かな、とは思いますが。

 ここまであえて「赤い帆」といわずい帆」と書いたのも、私が翻訳するときあえてこの字を選んだためです。

 ということで、いつになるか分かりませんが『紅い帆』をいずれお目にかけたいと思います。

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ちなみにYou tubeでは、『紅い帆』の映画が見られます。
https://www.youtube.com/watch?v=5YzwW4hxrx4

(市川)

2016年5月5日木曜日

カチューシャをかぶったエカテリーナ


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ロシア愛唱歌『カチューシャ』
Песня "Катюша"
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ロシアの有名な歌でカチューシャというのがあります。

〽りんごの花ほころび 川面に霞たち
君なき里にも 春はしのびよりぬ
君なき里にも 春はしのびよりぬ

日本では歌声喫茶という場所でよく歌われているようです。ロシアの歌としては日本で最も有名な歌ではないでしょうか。
これはもともと民謡ではなく、作曲者も作詞者もはっきりしているソビエトの歌謡曲なのですが、あまりに広く普及したがために、ほとんど民謡化しています。

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ここでタイトルになっている「カチューシャ」というのは、頭につける髪留めのことではなく、女性の名前。
正式にはエカテリーナといいます。カチューシャは、その短い形です。

さてこの『カチューシャ』という歌は、戦場で、一人の兵士が恋人のカチューシャを思い出している、という内容。戦争が背景にある曲です。
ロシアでは、5月9日の戦勝記念日になると必ず歌われます。

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ところで、頭に留めるあの道具を「カチューシャ」というのは、どこから来たのでしょう。
ロシア語ではこの道具を「アバドーク(ободок)」というので、ロシア語の単語が日本に入ったわけでもなさそうです。

では、ここである有力な説を紹介しようと思います。あくまで一つの説に過ぎないことに注意しましょう。

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ロシアの文豪・19世紀文学の巨塔の一人、レフ・トルストイは、老年に『復活』という小説を書きました。
作品は発表後にすぐさま世界各地で翻訳され、映画が作られ、演劇にもなりました。
この物語のヒロインはエカテリーナ・マースロワ。もうお分かりの通り、愛称はカチューシャです。

さて、この小説の中でカチューシャが頭に例の髪留めをしたのか?というとそうではありません。小説にはそのような描写は無いのです。

ですが、トルストイの作がこの日本で、演劇として上演されたときのこと。ヒロイン役の女優が、頭にかぶりものをつけていました。当時は珍しかったけど、なんだかかわいくておしゃれなその飾りを、日本人はいつのまにかヒロインの名前にちなんでカチューシャと呼ぶようになったとさ。

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もしこの説が正しければ、髪留めのカチューシャはいずれにしてもロシアと深いかかわりがあるということが分かります。

(おまけ)
実は、日本語の中にはロシア語からきた単語はけっこうあります。

イクラ
(石油の)コンビナート
インテリ
アジト
(仕事などの)ノルマ
ペチカ
(文:市川透夫)

2016年4月17日日曜日

ロシアの神話

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神話
Мифология

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文学にはいろいろなジャンルがあります。小説や詩歌もありますし、このブログでは子供向けの作品や、フォークロアをメインに書いてきました。

ところが、まだ神話については一度もふれていません。

日本には、日本人に知られる神話がいろいろあります。
大国主命や、ヤマトタケルという名前は有名ですし、「いなばの白うさぎ」はよく絵本になっています。

では、ロシアにはそもそも神話があったのでしょうか。
その答えは、すぐには出せません。

今でこそロシアはキリスト教の国ですが、キリスト教がやってくる前の大昔のロシアには、土着の信仰がありました。日本人と同じように、自然界にいるさまざまな神様を崇拝していたのです。

ところが、ロシア文学の本や、記事をいろいろ見ても、具体的にどんな神話があったかについてほとんど分からないのです。

ときどき、昔のスラブ人が信仰していた神様の名前(ペルーンやヴェルス)というのが出てきても、それらが登場する物語や伝説について語る資料が、なかなか見つからないのです。

ロシアの神話ってどんなものだろう?

もっと、ギリシア神話みたいに誰誰という神様が誰誰と恋に落ちて、とか、そういうのはないのでしょうか?

と思っていたら、ちょうど、ロシア文学史の本に、神話についての記述がありました。


「...ところが、ロシアの場合は違います。ギリシャのように壮大な体系の神話も、アメリカ原住諸族のように混沌とした豊富な神話も、アフリカのある地方のようにフォークロアと密接に入り組んだ神話も、ロシアには(一般に、スラブ族には)ありませんでした。あるのは、フォークロアや伝説の中に散在する神話の断片だけです。」
(藤沼貴『ロシア文学案内』岩波文庫)


やはり、ロシア(やその他スラブ人)の神話といっても、かろうじて神様の名前がいくつかあがるだけで、私が期待している、ギリシャ神話や、日本の神話みたいな、壮大な物語は、どうもロシアには無いようです。

それでも、一つでいいから何か物語はないものかと探してみると、ロシアの学校で使っている国語の教科書に、神話についてのページがありました

ただし、ここにも、残念な前置きがついていました。「スラヴ人の神話は保存されなかった。神話があるとしたら、それは研究者たちのメモや、一部の小説家たちの作品にバラバラな形で残っている。」とのことです。やはり、断片的な研究資料をつないで、作家たちが足りない部分を想像などで補って創作した『神話』がある、という程度のようです。

そして、一部の小説家が書いた神話の例として、こんなものが載せられていました。ブース・クレセーニ、「ロシアの知らせ」という本に入っている「大地の創造」という話です。

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「大地の創造」

 明るい光が誕生するまでは、この世界は底なしの闇に包まれていた。暗闇の中にただ一つあったのが、ロード(ロシア語で「祖」「生まれ」の意味)という、私たちの最初の祖先である。ロードは天の神スヴァローグを産み、その中に強い魂を吹き込んだ。ロードはスヴァローグに、四つの頭を与えた。世界を見渡せるように。何ものも隠れることのできないように。世界で起こっているあらゆる事に目がとまるように。

 スヴァローグはソーンツェ(太陽)のために、青い天球へと道を作りはじめた。その上を、日々が馬のように駆け抜けていけるように。朝がきたら昼間が燃えるように。昼間のあとに夜が飛んでくるように。

 スヴァローグが空をただよいながら、自分の支配する世界を眺めていた。そこでは、ソーンツェ(太陽)が空を転がっていた。明るいメーシャツ(月)は星々を眺めていたが、その下ではオケアーン(大海)が広がっていて、波を打ち、泡を立てていた。スヴァローグは自分の支配する世界を全て眺めたが、ただ一つ、母なるゼムリャー(大地)が見つからない。
 「ゼムリャー(大地)はどこだ?」スヴァローグはがっかりした。

 そこでスヴァローグは気が付いた。オキアーン(大海)の中に、小さな小さな黒い点が見える。それは点ではなかった。それは、灰色の泡から生まれた、灰色のカモが泳いでいたのである。
 「ゼムリャー(大地)がどこか、お前は知らないか?」スヴァローグは灰色ガモに尋ねた。
 「ゼムリャー(大地)は私の下にあります。オケアーン(大海)の深いところに埋まっています。」

 灰色のカモは三度オケアーン(大海)の中にもぐりこみ、三度目には、一握り分の土をくちばしにくわえてきた。スヴァローグはゼムリャー(大地)を掴むと、手の中でもみ始めた。

 「赤きソーンツェ(太陽)よ、暖めておくれ、明るいメーシャツ(月)よ、照らしておくれ、風よ、激しい風たちよ、吹いてくれ!力を合わせて、土から、母なるゼムリャー(大地)を作りだそう、恵みの大地を...」

 スヴァローグが土をこね、ソーンツェ(太陽)が暖めて、メーシャツ(月)が照らして、風たちが吹いた。風たちが、土をスヴァローグの手から吹き飛ばすと、土は青い海の中に落ちた。赤きソーンツェ(太陽)がそれを暖めると、殻をつけた母なるゼムリャー(大地)が焼き上がった。明るいメーシャツ(月)が、それを冷ました。

 このようにして、スヴァローグは母なるゼムリャー(大地)を創造したのである。

(『文学 5年生 上巻』啓蒙出版より。)

* * *


(文と訳:市川透夫)

2016年4月13日水曜日

宇宙飛行士の日


* * * *
宇宙飛行士の日
День космонавтики
4月12日
* * * *

4月12日はロシアでは「宇宙飛行士の日」です。
ソ連時代に、ユーリー・ガガーリンが世界で初めての宇宙飛行に旅立った日です。

ロケット発射の時に言った有名な言葉は、

Поехали!
パイェーハリ!
「出発!」

というごくシンプルなものでした。
もう一つガガーリンが言った言葉としては、「地球は青かった」というものがあります。しかし、本当にそう言ったという証拠が実はありません。私は、青い地球を見ながら、地上との通信でそんなコメントをしたのかと思っていたのですが、そうでもないようです。
一節によると、地球に戻ったあとのインタビューで、「地球は青いベールをまとった花嫁のようだった」などと言ったのが元だそうですが...

さて、ロシアではこのような祝日があると、外でお祭りが開かれます。

モスクワにある宇宙飛行士記念博物館(Музей космонавтики)は無料で開放されるのですが、私がモスクワ滞在中に行ってみるととても長い行列ができていました。

で、私は博物館の中に入るのは止めたのですが、代わりに博物館の敷地内で、屋外コンサートが開かれていました。歌や踊りやダンスやサーカス団のパフォーマンスがいろいろとありました。
さて、このコンサートの締めくくりには、ステージ場に横断幕が垂らされました。
そこには、こんなメッセージが。

Будь первым!
最初の人になれ!

最初の宇宙飛行士ガガーリンにちなんでのメッセージです。何において最初になるかどうかはともかく、とりあえず最初になれ、という意味のようです。

むむ、別に最初にならなくてもいいのでは、と思うのですが...

そういえば日本人が最初にやったことってなんだろう。
カラオケや新幹線みたいに、「独自の発明」をしたものはあるのですが、
他の国との競争において一番乗りになったこと、っていうとあまり思いつきません。
IPS細胞なんかそうだっけ...

宇宙飛行士博物館のモニュメント。
とても高く、宇宙を目指して伸びている。

宇宙飛行士博物館のすぐそばにある、ホテル「コスモス」。

(文と写真:市川透夫)


2016年4月10日日曜日

プーシキン『ルスランとリュドミーラ』


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「ルスランとリュドミーラ」
Руслан и Людмила
作:A.S.プーシキン
* * * *

詩、と聞いてどんなイメージをお持ちでしょうか。
詩やポエムと聞くと、なんだか非常にロマンチックで、高尚で、なかなか一般人の手に届かないところにあるもの、というイメージがあります。

しかしロシアでは詩は、少なくとも日本と比べれば、非常に身近な存在です。
まだ小学校にも入っていない子供が、プーシキンの詩を暗唱したりするぐらいです。
私のロシア人の友人にも、詩を作るのが好きな人がいます。
そして、ロシアでは詩を書く人というのは大変尊敬されています。

私のロシア人のツレは言いました。

В России поэт больше поэта.
(ロシアで詩人は詩人以上の意味を持っている)。

ロシア文学といえば、外国ではトルストイやドストエフスキーが有名ですが、ロシア国内で一番偉いのは、詩人のプーシキンという人なのです。
外国で詩人があまり有名にならないのは、ロシア語が持っている詩のリズムや面白さが、翻訳ではなかなか伝えられないためです。

* * * *

『ルスランとリュドミーラ』という叙事詩があります。
ロシア文学の名作の一つ、作者はプーシキン。

この物語は、王子様が冒険の旅に出る話です。
さまざまな苦難を乗り越え、最後に悪い魔法遣いをやっつけると、お姫様を救い、結婚するというもの。
ロシアの様々なフォークアを元に、プーシキンが作り出したおとぎ話です。

この人は詩人。「ルスランとリュドミーラ」も、全体がリズムを持った詩です。

さて、この王子様とお姫様の物語には、冒頭に序詩が捧げられています。
それは、このおとぎの国へと読者をいざなう、幻想的で面白くてわくわくする名文だと思います。
ロシア人の間では、とても有名です。

「入り江のほとりで」

入り江のほとりには、青く茂った樫の木。
その樫の木には、金の鎖がかかっている。
昼も夜も、学者のネコが、
鎖のまわりをぐるぐる歩き続ける。
右に歩いては歌を歌い、
左に歩いては物語を語る。

そこでは奇跡が起こる。森の妖精がぶらつきまわる、
水の妖精が木の枝に座っている。
そこでは知られざる道の上に、
見たこともない生き物の足跡がある。
ニワトリの脚がついた木の小屋が、
窓もドアもないまま立っている。
森も、谷間も、幻に満ちている。
朝日が昇る頃、海から波が、
ひとけもなく悲しげな岸の上に打ち寄せて、
三十人の美しい戦士たちが、
次々に水の中から、輝きながら現れる。
戦士たちには海の大王がついている。
そこでは王子様が通りすぎて、
悪い王様を連れ去っていく。
そこでは、民の見ている前では、
雲の中を飛んで、森を越え、海を越え、
魔法使いが、勇士を連れて飛んでいく。
暗闇の中では、お姫様が泣いている、
それにはオオカミが忠実に仕えている。
そこでは、バーバ・ヤガーを乗せた木の臼が、
ひとりでに、のろのろ動き回っている。
そこではカシチェイ王が黄金の上で嘆いている。
そこにはロシアの魂がある...ロシアの香りが漂う。
私はそこにいって、ハチミツ酒を飲んでいた。
海のそばで私は、青く茂った樫の木を見た。
その下に座っていると、学者のネコが、
私に物語を語ってくれたものだ。
そのうちの一つを私は覚えている。その物語を、
私がいま世の中の人々に聞かせよう...
(訳:筆者)

* * * *

日本人にとってはやや謎めいた部分もありますが、実はここにはロシアのおとぎ話に登場するモチーフがぎゅっと詰め込まれています。

ロシアの素朴な民衆の間に、何百年ものあいだ語られてきたおとぎ話を、プーシキンは近代になって詩として再構成したのです。

今ここに挙げた「入り江のほとりで」に始まる部分は、あるロシア人いわく、「保育園で暗記した」とのことです。
プーシキンが「国民詩人」と言われるのも分かる気がします。

モスクワ郊外にある「学者のネコ」像

* * * *

日本語版

昔むかし、おばあさんが川へ洗濯に行きました。
すると川上から大きな桃と、お椀に乗った一寸法師が流れてきました。
家に帰って桃を割ると、桃太郎と金太郎が出てきました。
桃太郎jと金太郎と一寸法師は、鬼ヶ島へ鬼退治に行きました。
鬼ヶ島では鬼たちが亀をいじめていました。
英雄たちが亀を助けると、亀はお礼に、みんなを竜宮城へ連れて行きました。
竜宮城ではおにぎりがおむすびころりんすってんてん(以下略)

(文:市川透夫)

2016年4月9日土曜日

ロシアの桜(2)

以前は、チェーホフの『桜の園』に出てくるサクラが一体なんなのかについて出来る限り考えてみたわけですが、今回は別の作品に出てくるサクラを考察しようと思います。

それは、ゴーゴリの『五月の夜、または身を投げた女』です。

この小説はずっと前にこのブログで紹介しましたが、私が個人的に翻訳し、絵本にした作品でもあります。

* * *

さて、翻訳という作業をしているとさまざまな困難にぶつかりますが、その一つに、「植物の名前をどう翻訳するか」という問題があります。

植物の名前というのは、ロシア語と日本語では一対一で対応していない場合が多いので、自分では正解だと思う訳をつけても、花に詳しい人から見れば違うということがあるのです。

仮にロシア人を相手に通訳するのであれば、「これはヤナギの一種です。ロシアで見るヤナギとはすこし違うと思いますが」といえばその場をしのげます。

ですが、これはあくまで緊急対処法にすぎません。文学作品や学術論文といった文章を翻訳をするとなると、「ヤナギの一種」ではなくて、きちんとした日本語訳をつけなければなりません。

つらいことに、ゴーゴリの「五月の夜」には、植物が頻出します。
ここでは、作品に出てくるサクラやその仲間にあたる植物を挙げます。

вишня(ヴィーシニャ) オウトウ
черешня(チェレーシニャ) セイヨウミザクラ、甘果オウトウ(ヨーロッパ産オウトウの一種)
черёмуха(チリョームハ) エゾノウワミズザクラ

右につけた和訳は、「岩波ロシア語辞典」によります。
やはり一対一対応してない可能性があるので、あまり露和辞典の訳に頼るのは心もとない気がします。
それに、「セイヨウミザクラ」ではなんだか説明的で、いかにも翻訳調という感じがするし、また読者にはイメージしづらい。
この物語において植物とは、ウクライナの夜の風景を美しく彩る大切な要素だと思うので、やはりポエティカルで、かつ分かりやすい翻訳にしたいと考えました。

そこで、前回「桜の園」でやったように、まず学名などを調べ、植物としての正確な分類を把握することから始めました。さらに、日本語としては、普段の生活でもなじみがあり、分かりやすい単語の中から、もっとも意味的に近く、訳としても無難(と思われる)ものをあてることにしました。

結果として、私はこのような形で翻訳することにしました。

вишня(ヴィーシニャ) サクラ
черешня(チェレーシニャ) サクランボ
черёмуха(チリョームハ) イヌザクラ

さて、ここで「イヌザクラ」については注意する必要があります。
学名を調べてまでして正確さに注意を払ったにも関わらず、ここで言わなければならないのは、「イヌザクラ」は正確とはいえないということです。

まずロシア語のチリョームハは、Prunus padusです。

チリョームハは、Prunus padusなのだから、素直にPrunus padusを日本語でなんというのか探せばいいのではないかという話になります。

ところが、Prunus padusを日本語にすると、「エゾノウワミズザクラ」というえらい長いものになります(上の露和辞典の訳は正確だったといえます)。エゾをとって「ウワミズザクラ」にしたらそれは別の種類になってしまうし、どちらにせよ七文字というのは長い気がする。「エゾノウワミズザクラ」を文章の中に入れてみると、なんだかリズムが良くない感じがする。

そこで、私は昔の人がどう訳したかを参考することにしました。昔の人とは誰かというと、明治時代のロシア文学翻訳家、二葉亭四迷です。
二葉亭四迷といえば、ロシアの小説を精密な逐語訳によって翻訳し、明治の文学界に新しい風を吹き込んだ人物。
二葉亭なら、明治時代らしい抒情豊かな日本語で、このチリョームハを翻訳したかもしれない。
そこで探してみると...

「犬桜」*

はて。
日本語のイヌザクラ(犬桜)はPrunus buergeriana。なんだかまた新しいものがでてきた。もしかして誤訳だろうか。しかし誤訳になるにしてもなっただけの理由がありそう。

そこで、ためしに、このイヌザクラの写真を探してみると...

写真で見たところ、「イヌザクラ」とは、桜に似た花が集まって、細長い房を作っていて、ぱっと咲いたところは華やか。六月には、サクランボより小さな実を結ぶ。

なんだか、ロシアの「チリョームハ」と似ているのです

そして、私はチリョームハは「イヌザクラ」にしてしまいました。違うのは分かっているけれども、形がよく似ているし、第一に「二葉亭四迷が訳をつけた」という意味で、何らかの権威がある。何か指摘されたときは「でも二葉亭が...」と言い訳すれば済む(?)。

ちなみに、ここに挙がったサクラやその仲間の名称は、別に高度な専門用語ではなく、ロシアではごく一般的な植物です。街にも咲いていますし、スーパーにいけばジャムが売っています。

というわけで、「サクラ」をめぐる問題は、いったんここで考えるのをやめとしました。

――――

*二葉亭四迷は、同じくゴーゴリの書いた作品『むかしの人』の中で、この訳をあてています。『むかしの人』は、一般的には『昔気質の地主たち』というタイトルで翻訳されています。「五月の夜」と同じくウクライナを舞台にした物語です。

⦅追記⦆
やはりチリョームハの訳語として、「イヌザクラ」という別品種の名前をあてるのは間違いという考えが強くなりました。エゾノウワズミザクラが長くてダメなら、ここはひとつ、「房桜」「ジングル桜(?)」とか造語しちゃうのも手かもしれない。
(2018年3月20日)

(文:市川透夫)

2016年4月3日日曜日

ロシアの桜

『桜の園』に出てくる桜はどんな花?
Вишнёвый сад


『桜の園』というお芝居があります。
もともとロシアのチェーホフという作家が作った作品ですが、日本ではよく上演されます。
チェーホフの作品では、ほかに『三人姉妹』も有名です。

『桜の園』というのは、ある貴族の奥さんの話です。奥さんは田舎にお屋敷を持っていて、その庭は桜の木が並んでいます。
しかし、奥さんはだんだんお金が無くなっていって、昔のような豊かな暮らしができなくなりました。
この花咲くきれいなお屋敷も捨てなければならなくなります。

ところで、ここで出てくる「桜」。桜といえば日本の花で、寒いロシアのイメージとはあまり結びつきません。

ここで、一つの課題が生じます。「桜の園」の「桜」って、日本人のイメージするものとは違うんじゃないか?

そこで、日本語とロシア語の両方から比較・検討してみましょう。

日本人が4月にお花見するあの花は、正式には「ソメイヨシノ」といいます。学名はPrunus× yedonesisと言って、「yedo(江戸)」という言葉が入っている所からも、日本固有種ということが分かります。
なんでも、江戸時代に、園芸職人が人工交配して生み出した木のようで、自然発生したわけではないようです。しかしあとで植林が進み、今では日本でサクラといえば、まずこのソメイヨシノのことを指すようになりました。

一方、チェーホフの戯曲に出てくるのは、ロシア語で「ヴィーシニャ」というもの。
たいていの場合、「サクラ」という日本語が当てられますが、今回はそういった定訳は無視して、一からこの「ヴィーシニャ」という単語の訳について考えてみましょう。
ヴィーシニャの学名は、prunus。どうやら、サクラ属の植物の総称を言うようです。
つまりヴィーシニャとは、ヒカンザクラ、スミミザクラ、ヤマザクラ、ヒマラヤザクラなどなどを含めた「総称」です。その中には当然ソメイヨシノも含まれます。ソメイヨシノの学名はPrunus× yedonesisです。ここにもPrunusという言葉が入っているのは、ソメイヨシノがヴィーシニャの仲間の一つであるということを示しているのです。

しかし。
ヴィーシニャ=ソメイヨシノとは言えません。
これはあくまで、ヴィーシニャと呼ばれる植物の中に、ソメイヨシノが含まれているかもしれないというだけです。
ロシア人が「ヴィーシニャ」と言ったとき、もしかしたら、それがヤマザクラやヤエザクラのことを指しているかもしれないのです。

では、重要な問題に入ります。実際にチェーホフ自身が、何を念頭に置いて作品を書いたかです。
チェーホフがヴィーシニャという言葉の念頭に置いていたのは、一体どういう花でしょう。

少なくとも、作品の内容から言っても、それが灌木や茂みに咲く花ではなく、「木」であることは確かです。
ですが、やはりソメイヨシノは日本で江戸時代に人工交配から生まれた品種。
19世紀ロシアの、貴族の田舎の屋敷に、それがたくさん植えてあるとは考えられません。

そのため、チェーホフが想像していたのは、おそらくソメイヨシノよりも幹が細かったり、場合によってはサクランボの実を付けている、ヨーロッパ生育の品種なのではないでしょうか。
実際のところ、ロシアには「ヴィーシニャ」から作ったジャムもあるので、これが、サクランボやチェリーをはじめとする“実ザクラ”である可能性は十分あります。

この『桜の園』という戯曲、日本語では何度か翻訳されていて、本屋さんでも簡単に見つけられます。実は、その中には『さくらんぼ畑』というタイトルで訳されたものが一種類だけあります。
おそらく、日本とロシアで、サクラというものに対するイメージが違うことを考慮に入れて、このようなタイトルに翻訳したのかもしれません。

まとめると、「桜の園」というタイトルは誤訳ではないにしても、日本で定番のソメイヨシノとは違う種類の花だよ、となります。

では、チェーホフは日本のサクラのことを知らなかったのでしょうか?そういえば、チェーホフはいちど日本を訪れていたそうです。そのときに、サクラを見るチャンスはあったんでしょうか。これについてはもっと調べる必要があります。

* * *

そういえば有名な伝説で、アメリカ大統領のワシントンは、子供時代にお父さんの大事な桜の木を切ったという話があります。あの桜も、おそらく欧米に咲いている品種で、日本とは違うものだったのでしょう。

(文:市川透夫)

2016年4月2日土曜日

ペチカ

詩人・北原白秋の作詞した歌に「ペチカ」という曲があります。

雪の降る夜は楽しいペチカ
ペチカ燃えろよお話しましょ
昔昔よ燃えろよペチカ

このペチカというのは実はロシア語で、暖炉のこと。

* * *

ロシアは寒い国なので、家の中に暖炉があります。ロシアの民話などでもこのペチカは何度も出てきます。

この暖炉は大きく、上の平べったくなったところは横になって眠ることができます。暖炉の上にじかに寝るので大変あたたかいのです。
体の弱いおじいさんなどは、ここで休みをとります。

ロシアの民話『カワカマスの命令により』では、エメーリャという若者が出てきます。エメーリャはなまけもの。仕事はせずに、ペチカの上で寝てばかりいます。

アニメ「カワカマスの命令により」


* * *

ところで、ヨーロッパにチェコという国があります。このチェコで生まれた児童小説に、『黒猫ミケシュの冒険』という話があり、日本語でも読むことができます。

そこでは、農家の家のなかに暖炉があるのですが、ここでも暖炉の上で男の子が寝ているのです。暖炉を寝床として使用するのは、ロシアだけではないのかもしれません。

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もう4月、ロシアでも冬は終わったそうです。5月になれば、サクランボの花が咲いてきれいになると思います。

(文:市川透夫)

2016年3月8日火曜日

ロシアの三月

***
3月8日 国際婦人の日
Международный женский день
***

ロシアでも日本でも、2月という一年で一番寒い時期を乗り越えると、少しずつ暖かくなって、春がやってきます。

日本では3月3日にひなまつり。
そして同じく3月には、年度末のごたごたがあります。入学式が4月始まりの国ならではです。

一方ロシアでは、3月8日に国際婦人の日、ないし国際女性デーというのがあります。

もちろんロシアの伝統的なお祭りではなく、女性の権利を訴えるための国際的な記念日です。日本ではこの日ほとんど何もやらないのですが、ロシアを始め旧社会主義の国では国民の祝日として、特にさかんにお祝いしています。
そういえば、ある時ブルガリア語の講座に参加したときも、ブルガリア人の先生がこの日について話していました。ヨーグルトで有名なこの国はかつては社会主義。ブルガリア人に、「祝日と言えば?」という質問をすると、クリスマスやお正月についでこの日を挙げる人が多いようです。

この日に、一体なにをどうするのかというと、
女性に感謝するとかで、男性が花をプレゼントします。

では、なんで社会主義の国ではこんなにお祝いするのか?それは、歴史と関係があるようです。
世界で初めての社会主義国家ソビエト連邦は、1917年のロシア革命によって誕生しました。
で、この年の3月には三月革命といわれる大きな動乱が起こったのですが、それはなんと国際女性の日でした。革命の契機は、女性の労働者が起こしたデモだったのです。

というわけで、ソ連ではこれは単に女性の権利を主張するだけでなく、革命記念日という意味も持っていました。

ところが、革命や平等や権利といった政治的な意味合いは次第に薄れていき、ソビエト時代の内からすでに、単に女性を大切にする記念日へと変わっていきました。

このようなわけで、国際女性デーが日本ではほとんど祝われませんが、ソビエトとロシアでは一年のなかでも重要な日となっています。

じゃあ男性の日はないのか、というと、あります。それは2月23日、祖国防衛者の日です。もともと軍隊に関係する日ですが、事実上は男性のための日になっています。

日本では3月3日が桃の節句で女の子の日、5月5日が端午の節句で男の子の日になっているのと対照的です。ちなみに日本にあるのはどちらも子供向けの日なので、子供から老人までお祝いされる女性の日とは違います。

ちなみに、ひな祭りと子供の日の中間にある4月4日を、オカマ・オナベの日として祝っている動きもごく一部でありますが、公式なもの・非公式なものを含めて、祝日というテーマでリサーチしてみると面白いかもしれません。

(文:市川)

2016年2月20日土曜日

バレンタイン

2月14日はバレンタインデー(День святого Валентина)です。
いまさら?っていう感じはしますが、個人的に毎日といっていいほどチョコレートを食べてる自分からすれば、いつバレンタインだろうと関係ない(?)です。

チョコレートは体にいいそうです。タレントの楠田恵理子さんは、毎日チョコレートを食べているおかげで何十年も便秘がないとのこと。

ストレスや、頭の疲労にも効果があります。あるスペイン語の通訳者の方は、チョコレートをいつも持ち歩いているとのこと。通訳という仕事では、2、3時間の作業でもかなり頭を使うため、それだけで板チョコ一枚がなくなってしまうそうです。

自分の記憶が正しければ、ロシア語通訳の故米原万理さんや、イタリア語通訳の田丸久美子さんも同じようなことを言っていた気がします。

さて、この日、日本人はチョコレートを贈りあいますが、ロシア人はどうするのか問い合わせたところ、

1)チョコレートではなくメッセージカードでもよい。
2)恋人や家族にプレゼントを渡す。女の子→男の子だけでなくその逆もある。

という話でした。おそらく他のヨーロッパの国でも同様と思われます。

ちなみにロシア語では、День святого Валентина(聖バレンチヌスの日)という言い方のほかにДень всех влюблённых(全ての恋人たちの日)という表現もあります。

いずれにせよ、カトリックではなくロシア正教を奉じるロシアでは、これは非公式のお祭りです。ロシア正教会はバレンタインデーには否定的な立場をとっています。しかし、欧米からの影響を免れることはできず、普通のロシア人は自由にプレゼントを交換しているようです。恋人がいない人が退屈そうにしているのも日本と同じです。

こちらは、私の近所にある百貨店でチョコレートのフェアをやっていたので、買ってきたものです。
チョコラーシカというブランドの「シーニイ」という箱です。ちなみにシーニイはロシア語で紺色のこと。
もう一つ、「ミールイ(可愛い)」というピンク色の箱もありました。


(文と写真:市川)

2016年1月23日土曜日

「五月の夜、または身を投げた女」(ゴーゴリ)


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「五月の夜、または身を投げた女」
Майская ночь, или утопленница
(『ディカニカ近郊夜話』)
原作:N・ゴーゴリ
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 前回、「生誕祭前夜」が、現在でも子供向けに劇場で上演されているという話をしました。

 もともと『ディカニカ近郊夜話』という短編集は、子供向けに書かれた話というわけではありません。しかしユーモラスで、かつファンタジーにあふれる作風のため、今までにも何度かアニメーションや絵本になっています。

 興味深い事実として、日本の児童書出版社も、戦後に「生誕祭前夜」をかつて世に出していました。昭和の本屋さんでは、この作品が児童書として置いてあったのでしょう。

 これは私個人的なテーマですが、児童向けの作品としてゴーゴリをとらえる、ということをもっとやってみたいと思います。

 実は私もかつて、同じ短編集「ディカニカ近郊夜話」の中から、「五月の夜、または身を投げた女」という作品を日本語に翻訳し、挿絵を付けるという試みをしました。去年の外語祭では、ヴァスネツォフやチャルーシンの名作絵本が並ぶ展示の中に、こっそりこれを入れて、来場者の方の感想を伺いました。(※販売する予定はありません。)

日本語版とロシア語版です。

字が多い大人向けの絵本です。

コサックたち。

ウクライナの村。

この「五月の夜」もとても面白い話です。

 同じくウクライナのコサック村が舞台です。
 季節は五月。空気が暖かく、澄んだ空にはきれいな月が浮かんでいます。
 そんな中で、コミカルなキャラクターたちがドタバタ劇を演じます。そのドタバタと並行して、身を投げて死んだ女をめぐる不思議な怪奇現象が起こります。この話は色々な要素が何重にも重なったとても奥が深い小説だと思います。

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「五月の夜」は、ソ連時代に制作された映画が二種類あります。
Майская ночь (1940) фильм смотреть онлайн (1940年制作)
Майская ночь, или Утопленница (1952) фильм смотреть онлайн (1952年制作)

初めて見る時は 1952年版がおすすめです。

(文と画像:市川透夫)