2021年10月23日土曜日

ロシアのお茶とコーヒー、そしてハチミツ

ロシアではもともと、クワス(黒パンからつくるビールのようなもの)やモルス(ベリーの実のジュース)などが飲まれていました。

ロシアに初めてお茶が伝わるのは1638年、モンゴルのハーンがロマノフ朝初代のミハイル・ロマノフに献呈したときで、それ以後は中国から輸出されるようになりました。そして18世紀にロシアの様々な階層でお茶を飲む習慣が広がりました。やがてロシアでは「サモワール」と言われる湯沸かし器が使われるようになりました。サモワールには大きな卓上版のほかに、旅行用の小さなものもあります。

一方コーヒーは、改革で知られるピョートル1世によってもたらされました。1740年には初めてのコーヒーショップがペテルブルグに登場します。詩人プーシキンの代表作「エヴゲーニー・オネーギン」では、オネーギンがコーヒーを飲むシーンが登場します。

モスクワでお茶とコーヒー、そしてそのお供のお菓子を買える有名なお店といえば、ミャスニツカヤ通りにある「チャイ・コーフェ」です。お店の中に入った瞬間にカフェインの魅力的なにおいとチョコレートの甘い香りがただよってきて酔いそうになるほどです。




ここでなくても、スーパーなどで普通のお茶、さまざまなフレーバーのついたハーブティー、が手に入るほか、お菓子(ここではコンフェーティといって、飴やチョコーレートのボンボンを丸く包んだもの。)は大量に棚に入っているのを掴んで量り売りしているところもあります。

ロシアではとりわけ鉄道などでお目にかかるのが、透明のコップと、それをはめて使う「パトスタカーンチク」と呼ばれる取っ手付きのコップ入れです。透明のコップをそのまま触るには暑いので、ケースに入れて使うわけです。

またロシアでは風邪をひいたときに一番言われているのが、ハチミツを入れた紅茶です。ハチミツに関しては、ロシアでは定期的にハチミツ市が開催され、モスクワの公園などでも見かけます。各地のいろんな花から採取したハチミツを試食しながら選ぶことができます。

そして話はハチミツへ

ロシア語ではクマのことをメドヴェーヂというのですが、これはメド(ハチミツ)とヴェーヂ(食べる者)から来た語で、おそらく本来はクマを直接さす言葉があったのですが、森に住むロシア人にとってクマは天敵、直接その名を口にするのは不吉なこととされたのか、このような遠回しの言い方が定着しました。

なお、ウクライナ語でクマという場合、ヴとメの音が入れ替わってヴェドメーチになっています。これはいわゆるメタテーゼ(音位転換)と呼ばれる現象で、日本語で言うなら「あきばはら」が「あきはばら」になったという例があります。

ハチミツといえば、ハチミツを使ったお酒「メダヴーハ」は定番のお酒で、ウォッカより歴史が深いです。アルコール度数は3~5パーセントとあまり強くなく、甘いビールのような風味なのであまり強くない人でも飲めます。

ロシアの伝承おとぎ話の世界では、物語の締めくくりの定型文としてこのようなものがあります。「こうして無事王子様とお姫様魔は結婚したとさ。そのお祝いは飲めや歌えの大騒ぎで、私もそこに参ってハチミミツ酒を飲もうとしたが、ヒゲをつたって流れてしまい、一口も入らなかった」ここにもハチミツ酒が出てくるんですね。これは、おとぎ話の語りべが、たくさん話して喉がかわいたから飲むものをくれ、という意味があるそうです。

最後に、ロシアにはハチミツを使ったケーキ、メダヴィークがあります。ハチミツをつかったスポンジとクリームが層になっていて、スーパーにも売っています。

メダヴィークと紅茶


(市川)

2021年9月7日火曜日

ノルシュテイン「霧に包まれたハリネズミ」の原作

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「霧に包まれたハリネズミ」

Ёжик в тумане

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 ロシアのアニメーション作家ユーリー・ノルシュテインは、ロシア関係者のみならず、多くのアニメ愛好家の間で知られる伝説的なアニメ監督ですが、代表的作品のうちに「霧に包まれたハリネズミ」があります(これは本邦初公開時のタイトルで、現在は「霧の中のハリネズミ」というタイトルで紹介されることが一般的です)。

 アニメ会社ソユーズ・ムリトフィルム(連邦アニメーション)の公式ユーチューブでも公開されているので、字幕が必要なければだれでも鑑賞できます。

 ところで、この作品はもともとセルゲイ・コズロフという童話作家のごく短い作品がもとになっています。アニメの方に登場するフクロウやイヌ、友達のコグマくんとの話は原作には登場しません。しかし、原作のロシア語文が持つ幻想的な雰囲気は、映像で何倍にも増幅して表現されていて、見る人を惹きつけてやまないと言えます。コズロフの原文は3ページほどの小編ですし、アニメの方もロシアのアニメとしては一般的な10分程度の短い話ですが、時間を忘れて夢中になって観ることができます。(もっとも、セルゲイ・コズロフのこのシリーズは子熊くんとハリネズミくんがメインキャラクターなので、それを踏まえているといえます。)

 以下に、おそらく日本では現在翻訳が入手困難な、セルゲイ・コズロフ原作「霧に包まれたたハリネズミ」の拙訳を掲載します。アニメと比較などするといろいろ面白いと思います。

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 三十匹の蚊たちが野原に飛び出て、バイオリンのような羽をきいきい鳴らしていました。雲の向こうから月が出てきて、微笑みながら空に浮かんでいます。

「モオー・・・」川の向こうで牛さんがため息をつきました。犬さんが吠えだし、四十羽の月のウサギくんたちが道を駆けだしました。

 川の上には霧が立ち、悲しそうに白馬が胸までその中につかり、それはまるで大きな白いアヒルさんが霧の中を泳いでいるようでした。そして鼻をブルルと鳴らすと、霧の中に首を降ろすのでした。

 ハリネズミくんは松の木の下にある小山に腰かけて、月の光に照らされながら霧の中に埋まった谷間を見ていました。

 それはとても美しかったので、ときどき身震いしながら、これは夢ではないかしらと思いました。

 いっぽうで蚊たちはバイオリンを疲れず弾き続けるし、月のウサギくんたちは踊りを踊り、犬さんたちは吠えていました。

「誰かに話しても信じてもらえないだろうな。」とハリネズミくんは思うと、さらにじっくりと眺めだし、このきれいな景色を一本の草まで心に残そうとしました。

「あ、流れ星が落ちた。」ハリネズミくんは気が付きました。「それに草が左に傾いたし、樅はてっぺんしか残っていないし、樅は馬の横で泳いでる・・・でも気になるな。」ハリネズミくんは考え続けました。「馬さんは寝るとき、霧の中でむせたりはしないだろうか?」

 そこでハリネズミくんはゆっくりと小山を下り、霧の中に入って、中がどのようになっているか見ようとしました。

「この通りさ、何も見えない。」とハリネズミくんは言いました。「自分の手も見えない。お馬さん!」ハリネズミくんは呼びかけました。

 しかし馬さんは何とも答えませんでした。

「お馬さんはどこだろう?」ハリネズミくんは考えました。そしてまっすぐ這っていきました。あたりは音がなく、暗くてしけっていて、高く高く上のほうでだけ空が弱々しく光っていました。

 ハリネズミくんは這って進み続けていくと、とつぜん地面がなくなり、どこかに飛んでいくような感じがしました。

 ボチャン!

「川の中だ!」ハリネズミくんは怖くてぞっとしながら考えました。そして両手両足であらゆる向きを叩き始めました。

 ハリネズミくんが水の中から飛び出ると、元通りあたりは暗く、ハリネズミくんはどこに岸があるかも分かりませんでした。

「川の流れに運んで行ってもらおう!」と思いました。できるだけ深くため息をつくと、流れに乗って川下へと運ばれていきました。

 川の水は石にぶつかってばしゃばしゃいい、もりあがったところでぶくぶくいい、ハリネズミくんは体がすっかり濡れてもうすぐ沈むのではないかと思いました。

 そこでとつぜんなにものかに足を触られました。

「すみませんが。」しわしわ声でなにものかが言いました。「あなたはどちらさまで、どうやってここにきたのですか?」

「ぼくはハリネズミです。」ハリネズミくんもしわしわ声で答えました。「ぼくは川に落ちたのです。」

「それでしたら私の背中にお乗りください。」しわしわ声で何者かが答えました。「私が岸に連れてさしあげます。」

 ハリネズミくんはなにものかの狭くてすべすべする背中に乗り、少しするともう岸についていました。

「ありがとう。」ハリネズミくんは声に出して言いました。

「どういたしまして。」ハリネズミくんが今まで見たこともないなにものかが、しわしわ声で言い、波の中に消えていきました。

「すごい話だよ。」ハリネズミくんはブルブル水を払いながら心に思いました。「だれが信じるもんか?」

 そして霧の中へとはいずりこんでいくのでした。

(市川透夫)

2021年9月4日土曜日

「波を駆ける女」試訳

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波を駆ける女

A・グリン
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久しぶりのブログです。 最近、ネタをツイッターで小出しにすることが増えたためか、まとまってブログに投稿するということがなくなって、気が付けば2年経っていました。

最近自分には何かできることはないかと思い、ロシアの小説の翻訳をやるかということで、アレクサンドル・グリンの中編「波を駆ける女(仮)」Бегущая по волнамを選びました。第一章だけ試みにやってみたのですが、見てもらう相手もいないのでここに載せることにしました。


波を駆ける女

 

それはラ・デジラード島・・・

ああ、ラ・デジラード島よ、マンチニールの木に覆われたその斜面が海の向こうから持ち上がってきたとき、我々はどれほどの憂愁にとらわれたか。

L・シャドゥルン

 

第一章

 

聞かされたところでは、私は突然起きる類のある急病のおかげでリースに行き当たったのだという。それは道中でのことだった。私は意識不明と高熱の中で列車を降ろされ、病院に入れられた。

危機が去ると、フィラートル医師は私が病室を出るまでの残った時間を常に親しげに楽しませてくれ、私のアパートを見つける面倒を見てくれた上に女中まで探してくれた。私は医師には大いに感謝しているが、さらにこの部屋の窓は海を向いていた。

ある時フィラートルが言った。

「ガルヴェイさん、私はあなたをこの街に無理やりひきとめているような気がします。私があなたにアパートを借りてさしあげたことにいっさい遠慮しなくとも、お元気になられたら旅立っていいのです。いずれにせよ、このさき旅を続ける前に、あなたはいくらかくつろぐ必要が不可欠です。自分の中での小休止です。」

 医師は明らかにほのめかしをしていた。そして私は「未実現のこと」の威力についての対話を思い出した。その威力は急激な病のおかげでいくらか弱まっていたが、私は依然として時々、心の中で、その消えるとは思えぬ決然と動く音を聞いていた。

 街から街へ、国から国へと移っていく中で、私は情熱や熱狂よりもさらに支配力のある力に屈していった。

 遅かれ早かれ、老年であれ花盛りであれ、「未実現のこと」は我々を呼び、我々はどこからその呼び声が飛んできたかを知ろうとしてあたりを見回すのである。そのとき、自分の世界の真ん中で目を覚ますと、重々しく気を取り直し一日一日を大切にしながら、人生を見つめ、心と体全体を使って理解しようとする。すなわち、「未実現のこと」は実現しようとしていないか?その形は明瞭でないか?手をのばしさえすれば、その弱々しく点滅する輪郭をとらえて抑えられるかどうか?と。

 そうしている間にも時間は過ぎていき、我々は高い霧のような「未実現のこと」の岸辺を船で進みながら、日々の物事について解釈するのである。

 この題目で私は何度もフィラートルと会話した。しかしこの感じの良い医師はまだ「未実現のこと」の別れの手に触れられたことがなく、そのために私の説明には動揺されていなかった。医師は私にこのことについて全て質問し、それなりに穏やかに、ただし私の不安を認めそれを理解しようとよく注意しながら話を聞いていた。

 私はほとんど良くなっていたが、動作が途切れ途切れなのによって起こる反応があり、フィラートルの助言が有益と見なした。そのために、病院から出たあと、リースでも特に美しい通りであるところのアミリー通りの右の角のアパートに住み着いた。家は道を下った先の端にあり、港に近く、船渠の裏にあった。それは船のがらくたと、港仕事の鋭い、距離によってやや和らげられた音によって、執拗でない程度には壊される静寂の場所であった。

 私は二つの大きな部屋を占めた。一つ目は海をむいた巨大な窓があり、二つ目は一つ目より二倍ほど大きかった。下に行く階段のある三つ目の部屋には、女中が住んだ。昔ながらの堅苦しいが清潔な家具、古い家、フラットの奇妙な配置は街のこの個所の比較的静かなことによく合っていた。東と南に角が向いていた部屋からは、一日中日の光が消えず、そのために、この古めかしい居場所は、長年過ぎた明るい平和と、無尽蔵の永久的な太陽の脈とに満たされていた。

 私が家の主人を見たのは一度きり、金を払った時であった。その人は太って騎兵の顔をし、静かで話し相手に向かって突き出た青い瞳をした男性であった。料金を受け取りに立ち寄ると、まるで私のことを毎日見ていたかのように、なんの興味や活気を見せなかった。

 三十五歳ほどの、ゆったりとした用心深い女中は、レストランから昼食と夕食を運んできて、部屋を片付けると、自室へと戻った。もう私が別段何も言いつけてこず、しゃべくって歯をほじりながら、漠然とした思考の流れに身を任せるためだけを大部分の目的とした会話の中には入れてくれないことを女中は知っていたのだ。

 とにかく、私はここで住み始めた。そして延べ二十六日を過ごした。何度かフィラートル医師が尋ねにきた。

(市川透夫)