2023年6月25日日曜日

ゼレンスキー大統領のインスタグラムから

今日という日は沈黙があってはならない日です。そしてリーダーシップがまさに必要とされる時です。
今日世界は、ロシアの支配者たちが何も統制できていないのを目の当たりにしました。いっさい何も。ただただ全てが混乱状態です。先を見抜く目がまったく無かったのです。それも武器の油を注がれたロシア領のことで。
世界は怯えていてはなりません。何が我々を守ってくれるかを、我々は知っています。それは我々の一体性ただひとつです。ウクライナは必ずヨーロッパをどのようなロシアの軍隊からも守ることができます。そして、誰がその軍隊を指揮しているかは重要ではありません。我々は守ります。ヨーロッパ東翼の安全は我々の防衛によってのみ持ち堪えます。そしてなぜならそれは、我々の防衛の一回一回の支持の発揮がみなさんの防衛、自由な世界でのあらゆる人々への支持だからです。

ロシア語で言います。クレムリンから出てきた人は明らかに怯えており、おそらくどこかに隠れていて顔を出しません。もうモスクワにはいないと確信してきます。誰かに電話してなにか問いかけているのでしょう...何に怯えているのか彼自身わかっています。なぜならこの脅威を生み出した本人だからです。悪、すべての損失、あらゆる憎悪を彼自身が広げています。地下の避難所を長い時間かけまわっていられる限り、みなさんは何もかも、ロシアと結びつきのある何もかもを失うことになります。
我々ウクライナ人は何をすべきか?我々は国を守る。自らの自由を守る。我々は沈黙しない、行動を起こす。我々には勝つ力がある。そして勝てる。この戦争にあって我々の勝利とはただ一つの意味しかない。

ではみなさんはなにをするのか?みなさんの軍隊がウクライナの領域に長くあればあるほど、より大きな雪崩をやがてロシアにもたらすことになる。この人がクレムリンに長くいればいるほど、大惨劇は大きくなる。
(ゼレンスキー・ウクライナ大統領のインスタグラムhttps://www.instagram.com/reel/Ct4WX6WOp9t/?igshid=MzRlODBiNWFlZA==)

2023年1月20日金曜日

ヴィイ

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『ヴィイ』 N.V.ゴーゴリ

Вий

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ロシア語版『ヴィイ』の表紙。
ウクライナの村娘。しかしこの青白い顔は・・・?

 現ウクライナ出身の小説家ゴーゴリというと、『鼻』『外套』といったペテルブルグを舞台にした作品が有名ですが、これとは対照的に、故郷ウクライナを舞台にした、いわゆる「ウクライナもの」の作品も著しています。

『ディカニカ近郊夜話』(上巻「ソロチンツィの定期市」「イワン・クパーラの前夜」「五月の夜または水死女」「消えた手紙」/下巻「降誕祭の前夜」「恐ろしき復讐」「イワン・フョードロヴィッチ・シポニカとその叔母」「魔法にかかった土地」)

 この二巻にまとめられた諸作品は、ゴーゴリが初期に発表したもので、当時ロシアでウクライナのエキゾチズムに対する流行があったことから、好評で迎えられました。

 もう一冊、このようなものがあります。

『ミルゴロド』(「むかしの人」「ヴィイ」「タラス・ブリバ」「イワン・イワノヴィッチさんとイワン・ニキフォロヴィッチさんが喧嘩した話」)

 こちらは『ディカニカ』に比べると、それぞれの物語がばらばらの時代・舞台・世界観を取り上げているので、より独立性が高い作品群になっています。

 『ディカニカ近郊夜話』のうちいくつかについてはこのブログで過去に取り上げましたが、ここでは『ミルゴロド』のうちの一つ「ヴィイ」について述べます。

 題になっているヴィイとは化け物の名前で、原文には著者自身の注釈で「民衆の創造物」と書いてありますが、実際にはゴーゴリの発想と考えられます。

 主人公はホマー・ブルートという神学校の学生です。夏休みに同じ学校の仲間たちと故郷へ帰るとちゅう、ホマー君は魔女に襲われます。このとき、魔女にけがを負わせてなんとか振り切りました。(以下、作品の結末を記述してありますので、知りたくない方は***まで飛ばすことをお勧めします。)

 さて、ある村についたホマー君は、そこの村長の娘が亡くなったと知らされます。そこで、弔問に訪れ、娘の亡骸を見たホマーはあることに気づきます。死んだ娘というのが、あの時傷を負わせた魔女だったのです。神学生は恐れをなしました。

 悲しみに暮れる村長ですが、神学校の学生が来たということで、弔いのお経を頼みます。それは、三夜連続、夜からニワトリが鳴く明け方までお祈りを続けるというものです。

 ホマーはどんなに嫌がっても、逃げ出すこともできず、結局お経を読むことになりました。すると娘、すなわち魔女は棺桶ごと宙を飛びまわったり、起き上がって襲ってきたりします。魔女のほかにも多くの妖怪が出てきて、最後にはヴィイが登場し、ホマーは魂を抜かれて死んでしまいました。

 ホマーの死因は信心が足らなかったことだと作中で説明されていますが、実際ゴーゴリが宗教的なもの、キリスト教の理想に対する敬意が強かったということが表れています。

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 作品中ではほかに、神学生たちが劇を披露するという内容が語られますが、実際に帝政ロシアでは、宗教的な劇をやったのは神学校の生徒たちだったという事情があります。三夜弔いの祈祷をあげるというのも、スラブ人の民話に同様の筋があるものです。

 全体的には、魔女や妖怪が姿を見せて登場するという意味では、『ディカニカ近郊夜話』に並んで民話的な色彩が濃いといえます。(その他の『ミルゴロド』に収められた作品、たとえば「むかしの人」などは怪奇の要素がそこまでは強くありません。)

<この作品を読むなら>

「ヴィイ」を日本語で読める本はあまり多くありませんが、このようなものが出版されています。

ちくま文庫『世界幻想文学大全 怪奇小説精華』東雅夫編(https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480430120/

河出文庫『ロシア怪談集』沼野充義編(https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309467016/

現在では稀覯本ですが、1984年に金の星社から、子ども向けにリライトされた次のようなものも出ています。

(世界こわい話ふしぎな話傑作集12ロシア編)『魔女の復讐』田辺佐保子訳・文(https://www.kinnohoshi.co.jp/search/info.php?isbn=9784323006628

 やはりゴーゴリの幻想的な世界観はわくわくさせるものがあり、子どもたちにぜひ語り聞かせたい、ということで、『ヴィイ』を初め、『五月の夜』『降誕祭前夜』など、このような児童書として出版することが過去にも数多くされています。

<映像で観るなら>

 この物語はソビエト時代に映画化されており、YouTubeの映画製作会社の公式チャンネルで鑑賞できます。

1967公開 "Вий" https://www.youtube.com/watch?v=Amh3uudVMBo

 新たに作られたものもありますが、かなりアレンジされているので、原作とは違うものとして楽しんだほうがいいでしょう。

2022年11月30日水曜日

「ツリー上のイエスさまに参れる少年」ドストエフスキー

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「ツリー上のイエスさまに参れる少年」

Мальчик у Христа на Ёлке

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 クリスマスが近いので、F・M・ドストエフスキーの小品を紹介します。

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ツリー上のイエスさまに参れる少年

クリスマスの物語

一 施しを乞う少年

 子どもっていうのは不思議なもので、夢に出たり心に浮かんだりするものなんですよ。クリスマス前や、降誕祭前のクリスマスもたけなわのときになると、私はいつも家の外の、ある道の角っこで、どうにも七歳より上には見えない少年を見かけたものです。ひどい大寒気なのにその子はほとんど夏の格好をしていて、ただし首もとはなにか古きれのようなものが巻いてあり、つまり誰かに服を着せられてお遣いに出されたんでしょうね。その子は「手を出して」歩いていまして、要するにこれはそういう特別な言い方で、つまり施し物を乞うていました。この言い方は少年たちが自分で作ったものです。この子のようなのはわんさかいて、あなたも道を歩いていれば、そういう子たちがうろついていて何か板についたようなことを寂しくうなっているのを耳にしますよ。けれども私の話すこの少年はうなっていなくて、どこか無垢な話し方をしていて、ぎこちなくも人を信じ切ったように私の目を見つめるんです。きっと、この職業を始めたばかりなんでしょう。私が細かく尋ねてみると、少年には姉がいて、仕事はしないで、病気なんだと言います。もしかしたら本当かもしれませんが、あとになって知ったところでは、このような少年は無数にいるとのことです。子どもたちはわざわざ一番寒いときに「手を出しに」駆り出されて、それで何ももらえないで戻れば、ぶたれてしまうんです。少年が何コペイカかを集め、赤いかじかんだ両手をしてどこかの地下室に戻ると、そこでは怠け者の一味みたいなのが酔っぱらっていて、そいつらはちょうどあの<日曜日も目前になると(こう)()をストライキし、水曜日の晩にもならないうちにまた仕事に戻ってくる>連中です。地下室では、こっちじゃ腹を空かせ旦那に叩かれる奥さん方が一緒になって酔っぱらっていて、そっちじゃ腹を空かせた乳飲み子たちが泣き叫んでいる。ウォッカに、汚物に、淫乱、でも第一にまずウォッカ。コペイカを集めた少年はすぐにでも酒場に行かされて、そしてまた酒を持ってくる。遊びでときどき少年の口にもビン半分そそぎこまれて、アハアハ笑う声がしたと思うと、子は息がハッと止まってほとんど気を失いそうになりながら床に倒れ込んで・・・

(と、ここで私の口にもいまいましいウォッカが否応なく入れられてしまいました。)

 この少年が大きくなれば、早いうちにどこかの工場に売られるのですが、稼ぐお金は全部また怠けものたちのところに持ってこなければならず、そしてそいつらが飲みに使い果たしてしまうのです。ところが工場に行く前にも、もうこの子らというのは真っ赤な罪びとになります。子どもらは街をぶらついていて、あちこちの地下室には忍び込んで気づかれずに夜を明かせる場所があることを知っています。ある一人の少年は、ある掃除夫のいるところの何かカゴのようなところの中に何夜も立て続けに泊まり込みましたが、掃除夫は結局気づかなかったなんてことがあります。ひとりでにコソ泥へとなっていくのです。窃盗は八歳の子どもの心でも熱中してくるもので、時にはその行為の罪深さにはなんら気づかないときもあります。しまいには、自由ひとつのためには何もかも、飢えにも寒さにもぶたれるのにも、耐えきると、怠けものの大人たちからは逃げて独立して放浪するようになります。この野蛮な生き物は、場合によっては何もわかっていません。自分がどこに住んでいて、なんの出自で、神さまはいるのかも、君主さまはいるのかも。時にはこの子らにまつわる、耳を疑うようなことも伝えられていますが、やはりすべて本当のことのようです。

 

二 ツリー上のイエスさまに参れる少年

 けれども私は小説家(ロマニスト)です。そして、どうやら一つの「物語」をこの手で創ったみたいです。どうして書いているか、それは<どうやら>創ったわけです。なにしろ私は自分でも何を創ったか分かっているのですが、それでも私にはやはり夢に出てくるのです。ある日ある時、これが起こったという夢が。すなわちそれが起こったのは降誕祭の前夜、「どこかの」大きな町でひどい寒気の時のようです。

 私には心に浮かんでいます、地下室に一人の少年がいるのが。しかしまだとても小さい、六歳かもっと幼いくらいです。この少年は朝、湿った寒々しい地下室の中で目が覚めました。何かガウンのようなものを着て、震えていました。呼吸は白い息になって飛び出していて、少年は長持ちの中の片隅に座って、退屈まぎれにこの息を口から吹いては、飛んでいくのを見て楽しんでいました。しかしその子はひどくご飯が欲しかったのです。少年は朝から何度か高床に近寄ったりしました。そこではクレープのように薄い御座の上に、何かの結び目のようなものを枕がわりに頭を載せて、病気の母親が横になっていました。母親はどうやってここにやってきたのでしょう?おそらく、我が息子を連れて別の街からやってきて、突然病気になったのです。貸し部屋の主人はたった二日前に警察に捕まりました。住人たちはあちこちに出かけました、世間はめでたい気運ですからね、で、たった一人残った怠け者が、クリスマスが待ちきれなかったので、もう何日間も死んだように酔いつぶれていました。部屋のもう片隅ではリウマチでどこかの八十の婆さんがうめいていました。婆さんはいつかどこかで子守りをしていたけれども、いまは孤独に死のうとしていて、おおと声を出し、少年にぶつぶつぐつぐつ文句を言っていたので、もう少年はその隅には近づきたがらなくなりました。たっぷり飲むものはといえば玄関のどこかで見つけましたが、パンのかけらはどこにも見つからないので、もう母さんを起こしに歩み寄って十度目になります。とうとう、暗闇の中が嫌になりました。もう夜になってだいぶ経つのに、明かりは点く様子もありません。母さんの顔を手さぐりで触ると、少年は母さんがすっかり動かなくなって、壁のように冷たくなっているのに驚きました。「ここは寒いもんなあ」と少年は思うと、亡き人の肩に手をかけていたのもうっかり忘れて、ちょっと立っていましたが、そえから手にハアと息をかけて温めると、唐突に高床の上でつばの付いた帽子を探し当てて、そっと手探りで地下室から出ました。少年はもっと早く出かけてもよかったのですが、上の方、階段上の、一日中となりの家の扉で吠えていた大きい犬が怖かったのです。けれども犬はいなかったので、少年は唐突に表に出ました。

 なんとまあ、すごい街ですよ。少年はまだ一度もこんなものは見たことありませんでした。出身のあそこでは、夜な夜なそれは真っ暗闇で、通り一つに街灯が一本あるっきり。木造の小さい家々は雨戸を締め切っています。外は、すこしたそがれになれば、誰もいなくて、みんな家に閉じこもり、犬どもの群れが吠えるばかりで、犬も数百数千いて一晩中鳴いたり吠えたりしています。ところが代わりにそこはそれはもう暖かかくて、ご飯ももらえたのに、この街ときたら、誰がくれるものでしょう。それからここはすごい雑音や轟音で、すごい明かりと人々、馬や馬車、それに大寒気、大寒気。追い立てられた馬々の、息の熱い鼻っ面から凍える蒸気がもくもくあがっています。ほろほろ雪をかきわけて石畳をひづめが打ち鳴らし、誰もかれもが押し合いへし合い、それになんとまあ、ひとくち食べたい、何かひとくち食べたい、それに指がもう痛くなってきました。そばを警官のやつが通っていきましたが少年を見て見ぬふりをして顔をそらしました。

 また道が通っています。ああ、なんて広いんだろう。こんなところでは轢かれてしまう。人々の叫んでいること、走ったり駆けたりしていること、それに明かりったら、明かりったらもう。ところでこれは何だろう。わあ、大きな大きなガラス、ガラスの向こうには部屋、部屋の中には天井まで届きそうな木が立っています。それはクリスマスツリーで、ツリーにはいくつもの明かりや、黄金の紙の飾りや球がついていて、周りには人形や小さな馬のおもちゃが吊るしてあります。部屋中を駆け回っている子どもたちはおしゃれで、こぎれいで、笑って遊んで、食べて、何か飲み物を飲んでいます。ごらん、そこでは女の子が男の子とダンスを始めましたよ、なんてかわいい女の子だろう。それに音楽ときた、ガラスごしに聞こえる。少年はじっと見て、驚いていて、もう笑顔になっているけれど、手も足も指が痛くてすっかり赤くなり、もう曲がらなくてぴくりとするのも痛いのです。そして突然少年は自分の指がとても痛いのを思い出し、泣き出して先へと走っていきましたが、また別のガラスごしに部屋が見えて、そこにはやっぱりツリーが並んでいて、でもテーブルの上にはケーキ、それもアーモンドだの赤いのだの黄色いのだのいろいろあって、そこには貴婦人が四人座っていて、誰かが来ればケーキを渡しているのですが、ドアはひっきりなしに開いて、外からたくさんの旦那さまが入ってくるのです。少年は忍び寄って、とつぜんドアを開けると中に入りました。その時の、叫ばれて手をふられたことときたら。一人の貴婦人が早めに駆け寄って、手に1コペイカを掴ませると、外に出るのを促されるようにドアを開けられました。少年はひどく驚きました。コペイカはすぐさま滑り落ちて段々の上をカラカラ落ちていきました。少年は赤くなった指を曲げてそれを止めることができませんでした。少年は早く早くと走り出しましたが、どこへ行っているか自分でも分かりませんでした。また泣き出したくなりましたが、怖いので、走って走って、両手に息をかけました。そして少年は憂うつな気分にとらわれました、それも一人ぼっちで暗かったからですが、突然、なんとどういうことでしょう、これはまた何でしょうか?人々が集まって立って驚いているのです。向こうの窓辺に三人の小さい人形が、赤と緑に着飾ってそれはもうまるで生きているかのようでした。何かお爺さんのようなのが立って、まるでバイオリンを弾いているようで、他の二人は同時にもっと小さいバイオリンを弾いているようで、音に載せて頭をゆらして、お互いを見つめて唇を震わせて、しゃべっています。本当にしゃべっているのです。ただガラスごしで聞こえません。それで少年はまず始めにこれは生きているのかと思いましたが、人形であるのにすっかり気づくと、突然笑い出しました。こんな人形は見たことがありませんし、こんなものがあるとは知らなかったのです。とつぜん後ろから誰かにガウンをつままれたのに気づきました。体の大きい意地悪な男の子がそばに立っていて、とつぜん頭を殴ると、つば付き帽子をはぎとり、少年を蹴飛ばしたのです。少年は地面にむかって転げ落ち、そこで叫び声がし、少年は目の前が真っ暗になって、飛び上がると走りに走って、とつぜん自分でもどこだか分からず、扉の下の隙間を通って、よその家の中庭に駆けこんでいきました。そして薪木の山の陰に腰かけるました。「ここなら見つからないし、暖かいよ。」

 少年は腰かけると縮み込みましたが、恐怖のあまり一息つくこともできず、とつぜん、本当にとつぜん、気持ちがよくなってきました。手も足もとつぜん痛くなくなり、暖炉に当たっているかのように、とてもとても暖かくなりました。全身はぞくっとしました。それもそう、少年は眠ってしまったのです。ここはなんと気持ちよく寝付けることか。「ここに少しいたらまた人形を見に行くぞ、あの本当に生きているみたいな人形を!」そして急に少年は、母さんが歌をうたってくれているのが聞こえました。「お母さん、眠いや、ここで寝るととっても気持ちがいいよ!」

「うちにクリスマスツリーを見に行きましょう、坊や」そこへ急に小さい声がささやきかけました。

 少年は、これはみんな母さんなのだと思いかけましたが、違います、母さんではありません。誰が一体少年を呼んだのか、目には見えませんが、暗闇の中誰かが身をかがめこんで抱きしめてくるので、少年はその人に手を差し出すと、急に・・・ああ、なん明るい光だろう、それにクリスマスツリーです。それもクリスマスツリーであるどころか、どこにも見たことのない木なのです。少年は今どこにいることやら、何もかも輝いて、光っていて、周りにはやっぱり人形があります・・・いいえ、これはみんな男の子や女の子たちで、ただとても明るくてみんな少年の周りをぐるぐる回っています。みんながキスしてくれて、手をとってくれて、担いでくれて、それに少年は空を飛んでいて、見えるものといえば、母さんが見つめて嬉しそうに笑ってくれている顔です。

「お母さん、お母さん!ああ、なんてここはすばらしいんだろう、お母さん!」少年は母親に叫ぶと、また子どもたちとキスし、そしてあのガラスの向こう側に見えた人形のことを早く話して聞かせたくなりました。「男の子たちも、女の子たちも、君たちは誰なんだい?」少年は笑って愛おしい気持ちでみんなに尋ねるのでした。

「これは『イエス様のツリー』だよ。」みんなは少年に答えました。「イエス様はいつもこの日、ツリーがない小さな子どもたちのために、ツリーを用意してくださるんだ。」そこで少年は、この男の子たちや女の子たちがみな自分と同じような子どもであることを知りました。ただ、ある者は、ペテルブルグの役人たちがドア元の階段に捨て置いたカゴの中で凍え死にした者で、またある者は養育院からひきとられたのに、養母のもとで息絶え、またある者は、(サマーラ大飢饉のときに)母親の枯れ上がった乳のもとで死に、またまたある者は三等車の車両の中で悪臭のせいで死にましたが、みんな今はここにいて、みんなここでは天使のようで、みんなイエス様のおんもとにいて、そして少年もその中におり、みんなに手を差し出し、みんなとみんなの罪深き母親たちを祝福しています・・・そしてその母親たちもその場で横に立っていて、泣いています。一人一人が我が息子や娘を見て取り、駆け寄ってキスをし、両手で涙を拭いてやって、泣くのはおやめ、ここはこんなに素晴らしいのだからと言って頼むのでした・・・

 ところが下の方では朝になると、掃除夫たちが薪木の山の陰に駆けこみ凍え死んだ少年の小さい亡骸を見つけたのでした。その母親も見つかりました・・・母親は子より先に死んだようでした。二人とも天の神さまのおんもとで再会を果たしました。

 それでなんで私がこんな、平凡なきちんとした日記、それも作家の日記には入らないような物語を創作したのでしょう?それに実際にあった出来事についての話を特別に請け合ったというのに。でもそこが大事で、私は、このことがみんな実際に起こりうるように思えて見えるのです。つまり、地下室や薪木の山の陰で起こったこと、イエス様のツリーのもとで起こったことが。それが起こりうるか起こりえないか、どうみなさんに申し上げようか私も分かりません。そこが物語をつくる私の小説家(ロマニスト)たるゆえんです。

(訳・市川透夫)

2022年2月25日金曜日

ゼレンスキー大統領のビデオメッセージ(全訳)

ビデオ:

https://www.president.gov.ua/videos/zvernennya-prezidenta-ukrayini-pro-posilennya-oboronozdatnos-2013

2022年2月24日付け ゼレンスキー・ウクライナ大統領のビデオメッセージ

偉大なるウクライナの偉大なる民よ。

 約束通り、短く簡潔に一日のことを話します。本日我々は、我が国の防衛能力と耐久性を強化しました。我が国を守ってくれる戦士たちの背後を覆うべく、我々は30日間の予定でウクライナ全領域に非常事態宣言を導入しました。この決定は335名の最高会議議員によって採択されました。大防衛連合が動き始めたのです。最高会議はまた、防衛部門の資金に充てる追加資源に関するセットとなる決定を行いました。明日、全議員が各地域の国民を支援するために向かいます。我が国の国際パートナーたちはウクライナ支援のために最大規模で動員されています。我々はパートナーたちに先制的な制裁を行うよう説得することに成功しました。昨日、アメリカ合衆国は対ロシアの追加制裁を発動しました。本日米国はノルド・ストリーム2に対する制裁を発動しました。対ロシアの個別的・経済的制裁のセットは欧州連合も認めたものです。日本政府とオーストラリア政府も新たな制裁を発動しました。本日私はオランダのマルク・ルッテ首相と言葉を交わしました。マルク・ルッテ首相は、同国もまたセットの制裁を準備していると請け合いました。本日私はキエフで、ポーランドのアンジェイ・ドゥダ大統領ならびにリトアニアのギターナス・ナウセーダ大統領と会見しました。我々は会談の結果、共同声明に署名しました。その中では、我々のポーランドとリトアニアの朋友が、欧州連合メンバーへの候補としての地位をウクライナに提供することを支持していると明言されています。本日我々は国連総会に具体的行動を行うことを呼びかけました。すなわち国際平和維持部隊をウクライナに送ることです。私はウクライナの大実業界の代表者たちと会見しました。私たちは、彼らがみな自らのチームと共にウクライナにいるということで同意しました。ありがとう。彼らはウクライナを守るために働いている。私たちは、全ての政治勢力と同意した。すなわち最も早いうちに最高会議は経済に関する諸法律のセットを採択すべきであると。それは「経済的愛国主義」です。ウクライナを助けてくれているすべての人に感謝します。これからも動いていきましょう。

 ここからはロシア語で話します。

 本日私はロシア連邦大統領との電話会談のイニシアチブをとりました。その結果は、無音でした。とはいえ無音は、ドンバスにおいてあるべきでしょう。したがって本日は、ロシア国民のみなさんに向けて話したいと思います。私は大統領としてではなく、一人のウクライナ国民として、ロシア国民のみなさんに話しています。

私たちとみなさんは、全長2000キロメートル以上の国境で分かたれています。いまそれに沿い、あなたがたの軍隊が立っています。20万人以上の兵士、1000台の軍事車両です。みなさんの指導者は一歩先へ、他の国の領域へ入ることを是認しました。そしてこの一歩は、もしかしたらヨーロッパ大陸における大きな戦争の始まりになるかもしれません。一日また一日と起こっていくかもしれないことについて、いま世界中が話しています。その原因はあらゆる瞬間にも生じうるものです。あらゆるセンセーションが、あらゆる火花が。すべてを燃やし尽くす火花が。

みなさんは聞かされています。この炎がウクライナの民の開放をもたらすと。しかしウクライナの民は自由です。ウクライナの民は過去を記憶していて、自ら未来を建設しています。建設いているのであり、みなさんの国で毎日テレビで語られるがごとく破壊しているのではありません。みなさんの国でのニュースの中のウクライナと、現実の世界でのウクライナは、全く別の国です。そして差異で重要なこととは、私たちの方が本物であるということです。

みなさんは聞かされています。私たちがナチであると。しかしまさか、ナチズムに打ち勝つために800万もの命を犠牲にした民が、ナチズムを支持することができるでしょうか?どうして私がナチになれるでしょうか?そのことを、戦争の間ずっとソビエト軍の歩兵として過ごし、未独立のウクライナの指揮官として死んだ私の祖父に話してみてください。

みなさんは聞かされています。私たちがロシアの文化を憎んでいると。どうやって一つの文化を憎むことができるでしょう?隣人とは、常にお互いに文化的に豊かにしあっていくものです。しかしそれで隣人どうしが一つになるわけではありません。私たちが、みなさんの中に溶け込んでいくのではありません。私たちは別々ですが、それは敵になる理由にはなりません。私たちは自らの歴史を確定して建設していくことを望んでいます。平和に、平穏に、誠実に。

皆さんは聞かされたことがあります。私がドンバスを攻めるよう命令すると。問題がないのに射撃し、爆撃するようにと。しかし問題はあります。誰を射撃するかです。何を爆撃するかです。私が何十回も訪れたことのあるドネツクを?顔が、目が見えました。友人たちと一緒に遊んだアルチョーマ通りを?ユーロ(欧州選手権)で地元の人たちとウクライナの男子選手たちを応援したドンバス・アリーナを?ウクライナ選手たちが負けたのでみんなで飲んでいたシチェルバコフ公園を?私の最高の友人の母が住んでいる家があるルガンスクを?私の最高の友人の父が眠る場所を?ご注意ください、私はいまロシア語で話していますが、誰もロシアでは、この地名や通りの名や出来事がなんのことか、誰も理解していません。みなさんにとってはこれは他人事なのです。見知らぬものなのです。これは私たちの土地、私たちの歴史です。なんのために、そして誰と戦争をする必要がありますか?みなさんの中では多くの方がウクライナにきたことがあります。みなさんの中で多くはウクライナに家族がいます。ウクライナの学校で学んだ人がいます。ウクライナ人と親しくなった人がいます。みなさんは私たちの性格を知っています。みなさんは我が国の人たちを知っています。私たちの原理を知っています。私たちが何を大切にしているか、みなさんには明らかです。ですから自分の心の声に、理性の声に、耳をすませてください。私たちの声が聞こえるでしょう。ウクライナの国民は平和を望んでいます。ウクライナの政権は平和を望んでいます。望んでいるし実行しています。すべてを、できることすべてを実行しています。

私たちは同じ国ではありません。これは事実です。大多数の国がこのことについてウクライナを支持しています。なぜか?なぜなら話しているはあらゆることを犠牲にした平和ではなく、平和と原則について、公正について、国際的な権利についてだからです。自らを規定する権利について、自らの未来を自ら規定する権利についてだからです。一つ一つの社会が安全である権利、一人ひとりが脅威なく生きていく権利についてだからです。これが、私たちにとって大切なもののすべてです。これが世界にとって大切なもののすべてです。私はこれがみさなんにとっても大切であることを確かに知っています。私たちは確かに知っています。私たちには冷たい戦争も、熱い戦争も、その二つの混ざった戦争も。しかしもし私たちが攻められることがあれば、もし私たちから自分の国が、自由が、命が、私たちの子どもたちの命が奪い取られそうになったら、私たちは身を守ります。攻めるのではなく、身を守るのです。攻めることをすれば、みなさんは私たちの顔を見ることになります。背ではなく、顔です。戦争とは大きな悲劇です。その悲劇では大きな犠牲が、あらゆる意味での犠牲が払われます。人々は、財産も名誉も生活水準も自由も失いますが、もっとも重大なことは、人々が近しい人を失うことです。自分自身を失うことです。戦争では常に、あらゆるものが足りなくなります。ありあまるのは、痛み、汚れ、血、死です。何千何万もの死です。

みなさんは聞かされています。ウクライナはロシアに脅威をもたらすと。これは過去にもなく、現在もなく、将来もない。みなさんはNATOの安全保障を要求しています。私たちもウクライナの安全、安全保障を、あなたがた、ロシアから、そしてブダペスト覚書のその他の保障国から要求します。現在私たちは、あらゆる防衛協定の外側にいます。ウクライナの安全は、私たちの隣国の安全と結びついています。したがって今は全ヨーロッパの安全について話をしなければなりません。しかし私たちの第一の目的は、ウクライナの平和と我が国民であるウクライナ人たちの安全です。そのために私たちはこのことをすべての人々と、話す心構えであり、その中にはみなさんもいます。様々な形式の様々な場において。戦争は全ての保障を奪い去ります。安全の保障は誰のもとからもなくなることになるでしょう。このことで誰が最も苦しむことになるか?人々です。このことを最も望んでいないのは誰でしょう?人々です。このことを許さないのは誰でしょう?人々です。この「人々」が、みさなんの中にいることは、私は確信しています。社会活動家、ジャーナリスト、音楽家、俳優、スポーツ選手、学者、医師、ブロガー、スタンドアップコメディアン、ティックトッカー、その他多くのふつうの人々。ふつうの人々です。男性、女性、お年寄り、子どもたち、父親たち、そして何より大切なのは、母親たち。ウクライナにいる人々も等しく同じです。そしてウクライナの政府もです。どれだけみなさんが逆のことを説得されたとしても。私は、この自分のメッセージがロシアのテレビ放送では流ないことは分かっています。しかしロシア国民は見なければなりません。ロシア国民は事実を知らなければなりません。事実とは、立ち止まらなければならないということです。遅くないうちにです。そしてロシアの指導部が平和のために私たちとテーブルに着くことを望まないのなら、指導部はみなさんとテーブルについてくれるでしょうか?ロシア人たちは戦争を望んでいますか?私はこの問いに答えたい気持ちが強くあります。しかし答えはみなさん、ロシア連邦の国民のみなさん次第という以外ありません。

ご清聴ありがとうございました。

(訳:市川透夫)

2021年10月23日土曜日

ロシアのお茶とコーヒー、そしてハチミツ

ロシアではもともと、クワス(黒パンからつくるビールのようなもの)やモルス(ベリーの実のジュース)などが飲まれていました。

ロシアに初めてお茶が伝わるのは1638年、モンゴルのハーンがロマノフ朝初代のミハイル・ロマノフに献呈したときで、それ以後は中国から輸出されるようになりました。そして18世紀にロシアの様々な階層でお茶を飲む習慣が広がりました。やがてロシアでは「サモワール」と言われる湯沸かし器が使われるようになりました。サモワールには大きな卓上版のほかに、旅行用の小さなものもあります。

一方コーヒーは、改革で知られるピョートル1世によってもたらされました。1740年には初めてのコーヒーショップがペテルブルグに登場します。詩人プーシキンの代表作「エヴゲーニー・オネーギン」では、オネーギンがコーヒーを飲むシーンが登場します。

モスクワでお茶とコーヒー、そしてそのお供のお菓子を買える有名なお店といえば、ミャスニツカヤ通りにある「チャイ・コーフェ」です。お店の中に入った瞬間にカフェインの魅力的なにおいとチョコレートの甘い香りがただよってきて酔いそうになるほどです。




ここでなくても、スーパーなどで普通のお茶、さまざまなフレーバーのついたハーブティー、が手に入るほか、お菓子(ここではコンフェーティといって、飴やチョコーレートのボンボンを丸く包んだもの。)は大量に棚に入っているのを掴んで量り売りしているところもあります。

ロシアではとりわけ鉄道などでお目にかかるのが、透明のコップと、それをはめて使う「パトスタカーンチク」と呼ばれる取っ手付きのコップ入れです。透明のコップをそのまま触るには暑いので、ケースに入れて使うわけです。

またロシアでは風邪をひいたときに一番言われているのが、ハチミツを入れた紅茶です。ハチミツに関しては、ロシアでは定期的にハチミツ市が開催され、モスクワの公園などでも見かけます。各地のいろんな花から採取したハチミツを試食しながら選ぶことができます。

そして話はハチミツへ

ロシア語ではクマのことをメドヴェーヂというのですが、これはメド(ハチミツ)とヴェーヂ(食べる者)から来た語で、おそらく本来はクマを直接さす言葉があったのですが、森に住むロシア人にとってクマは天敵、直接その名を口にするのは不吉なこととされたのか、このような遠回しの言い方が定着しました。

なお、ウクライナ語でクマという場合、ヴとメの音が入れ替わってヴェドメーチになっています。これはいわゆるメタテーゼ(音位転換)と呼ばれる現象で、日本語で言うなら「あきばはら」が「あきはばら」になったという例があります。

ハチミツといえば、ハチミツを使ったお酒「メダヴーハ」は定番のお酒で、ウォッカより歴史が深いです。アルコール度数は3~5パーセントとあまり強くなく、甘いビールのような風味なのであまり強くない人でも飲めます。

ロシアの伝承おとぎ話の世界では、物語の締めくくりの定型文としてこのようなものがあります。「こうして無事王子様とお姫様魔は結婚したとさ。そのお祝いは飲めや歌えの大騒ぎで、私もそこに参ってハチミミツ酒を飲もうとしたが、ヒゲをつたって流れてしまい、一口も入らなかった」ここにもハチミツ酒が出てくるんですね。これは、おとぎ話の語りべが、たくさん話して喉がかわいたから飲むものをくれ、という意味があるそうです。

最後に、ロシアにはハチミツを使ったケーキ、メダヴィークがあります。ハチミツをつかったスポンジとクリームが層になっていて、スーパーにも売っています。

メダヴィークと紅茶


(市川)

2021年9月7日火曜日

ノルシュテイン「霧に包まれたハリネズミ」の原作

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「霧に包まれたハリネズミ」

Ёжик в тумане

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 ロシアのアニメーション作家ユーリー・ノルシュテインは、ロシア関係者のみならず、多くのアニメ愛好家の間で知られる伝説的なアニメ監督ですが、代表的作品のうちに「霧に包まれたハリネズミ」があります(これは本邦初公開時のタイトルで、現在は「霧の中のハリネズミ」というタイトルで紹介されることが一般的です)。

 アニメ会社ソユーズ・ムリトフィルム(連邦アニメーション)の公式ユーチューブでも公開されているので、字幕が必要なければだれでも鑑賞できます。

 ところで、この作品はもともとセルゲイ・コズロフという童話作家のごく短い作品がもとになっています。アニメの方に登場するフクロウやイヌ、友達のコグマくんとの話は原作には登場しません。しかし、原作のロシア語文が持つ幻想的な雰囲気は、映像で何倍にも増幅して表現されていて、見る人を惹きつけてやまないと言えます。コズロフの原文は3ページほどの小編ですし、アニメの方もロシアのアニメとしては一般的な10分程度の短い話ですが、時間を忘れて夢中になって観ることができます。(もっとも、セルゲイ・コズロフのこのシリーズは子熊くんとハリネズミくんがメインキャラクターなので、それを踏まえているといえます。)

 以下に、おそらく日本では現在翻訳が入手困難な、セルゲイ・コズロフ原作「霧に包まれたたハリネズミ」の拙訳を掲載します。アニメと比較などするといろいろ面白いと思います。

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 三十匹の蚊たちが野原に飛び出て、バイオリンのような羽をきいきい鳴らしていました。雲の向こうから月が出てきて、微笑みながら空に浮かんでいます。

「モオー・・・」川の向こうで牛さんがため息をつきました。犬さんが吠えだし、四十羽の月のウサギくんたちが道を駆けだしました。

 川の上には霧が立ち、悲しそうに白馬が胸までその中につかり、それはまるで大きな白いアヒルさんが霧の中を泳いでいるようでした。そして鼻をブルルと鳴らすと、霧の中に首を降ろすのでした。

 ハリネズミくんは松の木の下にある小山に腰かけて、月の光に照らされながら霧の中に埋まった谷間を見ていました。

 それはとても美しかったので、ときどき身震いしながら、これは夢ではないかしらと思いました。

 いっぽうで蚊たちはバイオリンを疲れず弾き続けるし、月のウサギくんたちは踊りを踊り、犬さんたちは吠えていました。

「誰かに話しても信じてもらえないだろうな。」とハリネズミくんは思うと、さらにじっくりと眺めだし、このきれいな景色を一本の草まで心に残そうとしました。

「あ、流れ星が落ちた。」ハリネズミくんは気が付きました。「それに草が左に傾いたし、樅はてっぺんしか残っていないし、樅は馬の横で泳いでる・・・でも気になるな。」ハリネズミくんは考え続けました。「馬さんは寝るとき、霧の中でむせたりはしないだろうか?」

 そこでハリネズミくんはゆっくりと小山を下り、霧の中に入って、中がどのようになっているか見ようとしました。

「この通りさ、何も見えない。」とハリネズミくんは言いました。「自分の手も見えない。お馬さん!」ハリネズミくんは呼びかけました。

 しかし馬さんは何とも答えませんでした。

「お馬さんはどこだろう?」ハリネズミくんは考えました。そしてまっすぐ這っていきました。あたりは音がなく、暗くてしけっていて、高く高く上のほうでだけ空が弱々しく光っていました。

 ハリネズミくんは這って進み続けていくと、とつぜん地面がなくなり、どこかに飛んでいくような感じがしました。

 ボチャン!

「川の中だ!」ハリネズミくんは怖くてぞっとしながら考えました。そして両手両足であらゆる向きを叩き始めました。

 ハリネズミくんが水の中から飛び出ると、元通りあたりは暗く、ハリネズミくんはどこに岸があるかも分かりませんでした。

「川の流れに運んで行ってもらおう!」と思いました。できるだけ深くため息をつくと、流れに乗って川下へと運ばれていきました。

 川の水は石にぶつかってばしゃばしゃいい、もりあがったところでぶくぶくいい、ハリネズミくんは体がすっかり濡れてもうすぐ沈むのではないかと思いました。

 そこでとつぜんなにものかに足を触られました。

「すみませんが。」しわしわ声でなにものかが言いました。「あなたはどちらさまで、どうやってここにきたのですか?」

「ぼくはハリネズミです。」ハリネズミくんもしわしわ声で答えました。「ぼくは川に落ちたのです。」

「それでしたら私の背中にお乗りください。」しわしわ声で何者かが答えました。「私が岸に連れてさしあげます。」

 ハリネズミくんはなにものかの狭くてすべすべする背中に乗り、少しするともう岸についていました。

「ありがとう。」ハリネズミくんは声に出して言いました。

「どういたしまして。」ハリネズミくんが今まで見たこともないなにものかが、しわしわ声で言い、波の中に消えていきました。

「すごい話だよ。」ハリネズミくんはブルブル水を払いながら心に思いました。「だれが信じるもんか?」

 そして霧の中へとはいずりこんでいくのでした。

(市川透夫)

2021年9月4日土曜日

「波を駆ける女」試訳

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波を駆ける女

A・グリン
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久しぶりのブログです。 最近、ネタをツイッターで小出しにすることが増えたためか、まとまってブログに投稿するということがなくなって、気が付けば2年経っていました。

最近自分には何かできることはないかと思い、ロシアの小説の翻訳をやるかということで、アレクサンドル・グリンの中編「波を駆ける女(仮)」Бегущая по волнамを選びました。第一章だけ試みにやってみたのですが、見てもらう相手もいないのでここに載せることにしました。


波を駆ける女

 

それはラ・デジラード島・・・

ああ、ラ・デジラード島よ、マンチニールの木に覆われたその斜面が海の向こうから持ち上がってきたとき、我々はどれほどの憂愁にとらわれたか。

L・シャドゥルン

 

第一章

 

聞かされたところでは、私は突然起きる類のある急病のおかげでリースに行き当たったのだという。それは道中でのことだった。私は意識不明と高熱の中で列車を降ろされ、病院に入れられた。

危機が去ると、フィラートル医師は私が病室を出るまでの残った時間を常に親しげに楽しませてくれ、私のアパートを見つける面倒を見てくれた上に女中まで探してくれた。私は医師には大いに感謝しているが、さらにこの部屋の窓は海を向いていた。

ある時フィラートルが言った。

「ガルヴェイさん、私はあなたをこの街に無理やりひきとめているような気がします。私があなたにアパートを借りてさしあげたことにいっさい遠慮しなくとも、お元気になられたら旅立っていいのです。いずれにせよ、このさき旅を続ける前に、あなたはいくらかくつろぐ必要が不可欠です。自分の中での小休止です。」

 医師は明らかにほのめかしをしていた。そして私は「未実現のこと」の威力についての対話を思い出した。その威力は急激な病のおかげでいくらか弱まっていたが、私は依然として時々、心の中で、その消えるとは思えぬ決然と動く音を聞いていた。

 街から街へ、国から国へと移っていく中で、私は情熱や熱狂よりもさらに支配力のある力に屈していった。

 遅かれ早かれ、老年であれ花盛りであれ、「未実現のこと」は我々を呼び、我々はどこからその呼び声が飛んできたかを知ろうとしてあたりを見回すのである。そのとき、自分の世界の真ん中で目を覚ますと、重々しく気を取り直し一日一日を大切にしながら、人生を見つめ、心と体全体を使って理解しようとする。すなわち、「未実現のこと」は実現しようとしていないか?その形は明瞭でないか?手をのばしさえすれば、その弱々しく点滅する輪郭をとらえて抑えられるかどうか?と。

 そうしている間にも時間は過ぎていき、我々は高い霧のような「未実現のこと」の岸辺を船で進みながら、日々の物事について解釈するのである。

 この題目で私は何度もフィラートルと会話した。しかしこの感じの良い医師はまだ「未実現のこと」の別れの手に触れられたことがなく、そのために私の説明には動揺されていなかった。医師は私にこのことについて全て質問し、それなりに穏やかに、ただし私の不安を認めそれを理解しようとよく注意しながら話を聞いていた。

 私はほとんど良くなっていたが、動作が途切れ途切れなのによって起こる反応があり、フィラートルの助言が有益と見なした。そのために、病院から出たあと、リースでも特に美しい通りであるところのアミリー通りの右の角のアパートに住み着いた。家は道を下った先の端にあり、港に近く、船渠の裏にあった。それは船のがらくたと、港仕事の鋭い、距離によってやや和らげられた音によって、執拗でない程度には壊される静寂の場所であった。

 私は二つの大きな部屋を占めた。一つ目は海をむいた巨大な窓があり、二つ目は一つ目より二倍ほど大きかった。下に行く階段のある三つ目の部屋には、女中が住んだ。昔ながらの堅苦しいが清潔な家具、古い家、フラットの奇妙な配置は街のこの個所の比較的静かなことによく合っていた。東と南に角が向いていた部屋からは、一日中日の光が消えず、そのために、この古めかしい居場所は、長年過ぎた明るい平和と、無尽蔵の永久的な太陽の脈とに満たされていた。

 私が家の主人を見たのは一度きり、金を払った時であった。その人は太って騎兵の顔をし、静かで話し相手に向かって突き出た青い瞳をした男性であった。料金を受け取りに立ち寄ると、まるで私のことを毎日見ていたかのように、なんの興味や活気を見せなかった。

 三十五歳ほどの、ゆったりとした用心深い女中は、レストランから昼食と夕食を運んできて、部屋を片付けると、自室へと戻った。もう私が別段何も言いつけてこず、しゃべくって歯をほじりながら、漠然とした思考の流れに身を任せるためだけを大部分の目的とした会話の中には入れてくれないことを女中は知っていたのだ。

 とにかく、私はここで住み始めた。そして延べ二十六日を過ごした。何度かフィラートル医師が尋ねにきた。

(市川透夫)